趣味


プロテウス的な大統領
 ジェファソンは現代風に肩書きを挙げるのであれば、政治家はもちろんであるが、法律家、外交官、植物学者、農学者、園芸家、地理学者、古生物学者、数学者、天文学者、自然主義者、人類学者、民族学者、哲学者、古典主義者、愛書家、辞書編纂者、言語学者、作家、教育者、美食家、馬術家、発明家、技師、貨幣収集家、ヴァイオリニスト、家具デザイナーなどの肩書きを挙げることができる。また1797年3月3日には、アメリカ哲学協会の会長にも就任している。
 ジェファソン自身、「猟で狐をしとめたり、愛馬が競馬で勝ったり、法廷や国家の重大な会議で白熱した議論をたたかわせたり、といった興奮のさなかに、わたしは何度も自問してみた。―さてこのうち、どの分野で声望を得ることがもっとも望ましいのだろうか(五十嵐武士訳)」と自問するほどであった。
 エリクソンはこのような多彩な才能を持つジェファソンを「プロテウス的な大統領」と呼んでいる。プロテウスはギリシア神話に登場する海神である。様々な姿に身を変えて予言を行うという。プロテウス的人物は、その神のように多様な性格を持ち、様々な能力を有し、変化する情勢にうまく適応できる人物、または本質を捉え難い人物を指している。
 1962年4月29日、ケネディ大統領が49人のノーベル賞受賞者と124人の知識人をホワイト・ハウスに招いて行った晩餐会の席上で「おそらくトマス・ジェファソンが1人で食事した時を除けば、これは、これまでホワイト・ハウスに集った人知と才能の中でも最も非凡な集まりだと私は思います」と述べたという有名な逸話も残っている。

科学者ジェファソン
生物学
 ジェファソンは常に巻尺を携行し、目に付くものを片っ端から測定し、綿密な記録を残していたという。また鳥や昆虫が初めて鳴いた日や植物の開花日なども記録している。特に『ヴァージニア覚書』は、当時のヨーロッパに科学者としてのジェファソンの名を知らしめた著作となっている。アルバート・ノックは『ヴァージニア覚書』を「それは統計の本であり、他に意図はない。そして、おそらくこれまで作成された中で最も興味深い統計」と評している。
 こうしたジェファソンの科学に対する情熱は、経験主義に裏打ちされた科学であった。『ヴァージニア覚書』の中でビュフォンの説に対して反論していることが最もよく知られている。ビュフォンは、旧世界と新世界の動物を比較し、後者のほうが退化し矮小化していると述べた。その原因をビュフォンはアメリカの湿性と寒冷に帰している。ジェファソンはそれに対し、アメリカがヨーロッパよりも湿性であり、寒冷であるとは必ずしも言えないと反証を示している。さらにアメリカとヨーロッパそれぞれの固有種の重量を比較検証し、前者のほうが重量に勝ると結論付け、ビュフォンの論を否定した。
 他にも1797年3月10日に、古生物に関する論文をアメリカ哲学協会に提出している。それはヴァージニア州で発見されたメガロニクスの化石に基づいた研究である。またジェファソンはマンモスの骨をフランスに送っている。
考古学
 ジェファソンはアメリカで最初に科学的な考古学調査を行った人物として知られている。長年、ネイティヴ・アメリカンの「古墳」に興味を抱いていたジェファソンは、1782年頃、近隣にある墳墓の発掘に取り掛かった。その墳墓はモナカン族がかつて居住していた場所にあった。
 墳墓を発掘する際に採用された手法は、層序に基づいて出土した物を克明に記録するという現代の考古学に通じる手法であった。発掘の結果、ジェファソンは墳墓が「町の集合地下墓所」であり、次々に遺骨を埋葬していく過程で墳丘が形成されたと結論付けた。
種痘法
 種痘法はこの頃ようやくアメリカに広まり始めたばかりであった。ジェファソンは家族や奴隷に種痘を施すだけではなく、ルイスとクラークの探検隊に種痘法をネイティヴ・アメリカンに教えるように勧めている。
気象の記録
 ジェファソンは自宅から離れている時でさえも気温や風向など気象記録を綿密に記録していた。また当時、発明された気球を気象現象の解明に使用するように提言している。

建築家
モンティチェロ
 ジェファソンの自宅として有名なモンティチェロ(イタリア語で「小さな山」の意)は、アメリカ建築史上、擬似古典様式を代表する建築物である。またアメリカ国内で世界遺産に登録された唯一の個人邸宅である。ジェファソン自身の設計によるモンティチェロは、ヴァージニア州中部アルブマール郡の西部に連なるブルーリッジ山脈の麓に位置する、ジェファソンは、様々な建築に関する本を読み、中でもルネサンス時代のイタリアの建築家アンドレ・パラディオの『建築四書』(1570)を愛読したという。
 1768年5月15日、ジェファソンはモンティチェロの建設予定地の整備を依頼している。そして、1769年に建築が始まったモンティチェロは1790年頃にいったん工事を終える。さらにその後、大規模な改築が行われ、1809年になってようやく完工した。モンティチェロは3層35室からなり、中央のドームの下に八角形の部屋を有している。モンティチェロには、自動開閉扉、回転式給仕扉、ワイン運搬用エレベーターなどの設備があった。
 「私は他のどの場所にいるよりも、どのような仲間と交わっているよりも、モンティチェロにいる時の方が幸せに感じます。私のすべての願いは、私の生涯がそこで終わって欲しいと願うモンティチェロにおいて終わるでありましょう(明石紀雄訳)」という言葉からは、ジェファソンのモンティチェロに対する深い愛着が読み取れる。
ポプラー・フォレスト
 またポプラー・フォレストと名付けた別荘もジェファソンの設計による。それはベッドフォード郡の農園に建てられた八角形の建物である。1806年頃から工事が始まり、1809年頃に完成した。ポプラー・フォレストは、モンティチェロから南西約90マイル離れた所にある。ジェファソンはポプラー・フォレストを「隠者の独居」と名付け、年に3,4度、2週間から長い場合は2ヶ月間滞在したという。
 それ以前にもジェファソンはポプラー・フォレストを訪れている。1781年に訪れた時は馬から落ちて負傷している。その傷が癒えるのを待つ間にジェファソンは『ヴァージニア覚え書き』の初稿を書いた。
ヴァージニア州議会議事堂
 1786年6月、当時、ヨーロッパに赴任していたジェファソンは、ローマ神殿をモデルにした設計案を送っている。それは、公共建築に優美なデザインを採用すべきだとジェファソンが考えていたからである。ジェファソンは、人々の審美眼を養い、世界での評判を高めることを主眼において公共建築のデザインを決定すべきだと論じている。ローマ建築を模したヴァージニア州議会議事堂はアメリカで古典様式が流行する発端となった。
デザイン・コンペに落選
 他にもジェファソンはワシントンの都市計画を担当したピーエル・ランファンに、アムステルダム、パリ、ボルドー、モンペリエ、マルセイユなどヨーロッパ各地の都市の図面を貸し与えている。
 さらに大統領官邸のデザイン・コンペにもジェファソンは参加している。最終的には、多くのデザイン案の中からジェームズ・ホーバンの案が選ばれ、500ドル相当の金メダルと町の1区画が与えられた。それは3階建てで正面は160フィートに及ぶ設計案であった。
 残念ながら日の目を見なかった案の中には、「A.Z.」という署名された案があった。審査員の注目を集めることもなく、コメントも全く残っていない。実は、後に分かったことだが、それはトマス・ジェファソンが匿名で出した案であった。
 
世界一高いジェファソン・ボトル
10万5000ポンドのワイン
 1985年12月5日、パリで18世紀半ばに建てられた住宅を解体中に発見されたというワインがクリスティーズのオークションに出品された。そのボトルには「Th. J.」という文字が刻まれていた。アメリカ人によって10万5000ポンドで競り落とされた。1本のワインとしては世界最高価格である。
 これはジェファソンが購入したボトルだとされたが、トマス・ジェファソン記念財団の研究者はその存在を裏付ける明確な文書は見当たらないと否定的な見解を示している。真贋に関して多くの疑問点があるとはいえ、ジェファソンの名が高値を呼んだことは疑問の余地がない。それだけジェファソンはアメリカ人にとって伝説的な存在であることがうかがえる。
アメリカ最初のワイン通
 1991年3月15日のワイン・スペクテーター誌で「アメリカ最初のワイン通」として紹介されているようにジェファソンがワインについて造詣が深かったことはよく知られている。
 1769年にモンティチェロの建設を始めた際も、最初に取り掛かったのはワイン・セラーであった。それだけではなく、アメリカでワインを生産しようと考え、モンティチェロの裏庭に約200エーカーの広さのブドウ畑を作らせた。また4分の1エーカーの畑にフランス、イタリア、アメリカの23品種の植え付けを行っている。こうした試みはあまりうまくいかなかったが、ジェファソンがワインを愛していたことがよく分かる。またジェファソンはワインと同様に好んでフランス料理を食べていた。 ジェファソンは「甘口」、「酸味がある」、「辛口」、「口当たりがよい」、「渋みがある」の5つでワインの風味を評価していたという。ただし強いワインは飲めず、弱いワインしか飲めないとジェファソンは述べている。蒸留酒は嗜まず、麦芽酒や林檎酒を飲むことが常であり、朝食では紅茶やコーヒーを飲んでいた。
 ヨーロッパに滞在していた際も、1787年3月から6月にかけて南仏と北伊各地を巡り、その途上で各シャトーの生産量やブドウ畑の土壌、ブドウの栽培方法に至るまで詳細な記録を残している。
 大統領に就任したワシントンのために大量のワインを注文したこともあった。またモンローの大統領選出を祝う手紙では、選挙についてごく僅かに触れただけで、ホワイト・ハウスに備えるべきワインについてより多くの紙幅を割いている。

文芸ノート
 ジェファソンは、哲学や文学の本から抜書きを「文芸ノート」としてまとめていた。文芸ノートはもともと無題の手稿であるが、便宜上、そのように呼ばれている。こうした抜書きは、1814年2月10日付の手紙によれば「どのような結果が導かれようとも真実と理性に従うことを恐れず、立ち塞がるあらゆる権威に挑戦して、旺盛に知識を追求した」時に書かれたものである。
 ジェファソンは、少なくとも抜書きを15才頃から始め、30才くらいまで続けている。総計407もの抜書きから構成されている。こうした抜書きを作ること自体は、当時の学習方法としてはごく当たり前の方法でジェファソンの独創的な方法ではない。
 文芸ノートは、ジェファソンが若い頃に受けた教育の内容やどのような文学作品に関心を抱いていたのかを示す最も重要な資料である。抜書きの中でも一番多くの分量を占めている著作家はボーリングブルックである。ジェファソンはボーリングブルックの神学に対する懐疑主義に影響を受けたようである。例えばジェファソンは次のような抜書きを行っている。

「真実は、キリスト教の最も初期の時代では、すべての人が自分自分の霊性によって判断するものであり、彼が宿す魂の賜物であったので、すべての教会は霊性ある執筆者と書籍が持つ神聖な権威によって判断された。[しかし、]前者が後者を導くようになり、すべての特定の教会がその教義とまことに一致するように、執筆者を霊性があると見なし、また書籍を教典とするようになった。こうした無節制がどれほど行われたのかを考えると驚かされる」

 またホメロスの『イリアス』、『オデュッセイア』、エウリピデスの『』、ヘロドトスの『ペルシア戦史』などギリシア古典に加え、ヴェルギリウス 『アエネアス』をはじめ、キケロのやホラティウスなどローマ古典からの引用が多い。古典からの引用は原文で行われている。なおホメロスの『イリアス』についてはアレグザンダー・ポープの英訳からも採っている。
 他にもデイヴィッド・ヒュームの『テューダー朝のイギリス史』、エドワード・ヤングの『夜想Night-』、ジョン・ミルトンの『失楽園』、 『苦悩するサムソン』などが挙げられている。さらにシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』からは「臆病者は死の前に何度も死ぬ。勇敢なる者は死を一度しか味わうことはない」という言葉を採っている。小説はローレンス・スターンの作品のみである。
 後年、ジェファソンは「英語の韻律に関する考察」で、ラテン語、ギリシア語、英語の韻文を数多く引用し、近代言語は古代言語と同様の韻律法を駆使していると詳細にわたって論じている。ちなみに他に読むことができた言語は、アングロ・サクソン語、フランス語、イタリア語、スペイン語である。

政治法学ノート
 「文芸ノート」に加えてジェファソンは、「政治法学ノート」をつけている。文芸ノートと同じく、政治法学ノートはもともと無題の手稿であるが、便宜上、そのように呼ばれている。政治法学ノートは、弁護士業に便利なように重要な判例が記録されている。さらにアルファベット順で並べられた法律用語が掲載されている。
 政治法学ノートの具体的な内容は、当時の法律家に必須の基礎文献からの抜書きやイギリスをはじめオランダやスイスなどの政治制度や歴史に関する書物の抜書きなどで占められている。その他にもプルタークの『ペリクレス』、モンテスキューの『法の精神』、刑罰の平等性と死刑廃止を唱えたイタリアの刑法学者ベッカーリアの『犯罪と刑罰』などが散見される。全体的な特徴としては、限嗣相続や封建主義へ反対する傾向が読み取れる。「政治法学ノート」は、後々、ジェファソンの様々な執筆活動で活かされている。ただし、こうした著述家の主張を全面的に受け入れていたわけではない。例えばモンテスキューの『法の精神』についてジェファソンは、「矛盾をはらんだ本」であり、「君主制、特にイギリスの君主制に対する偏愛」を感じさせる点は支持できないと述べている。
 ジェファソンは多くの著述家の影響を受けているが、その中でも尊敬していた人物は、ベーコン、ロック、ニュートンの3人である。「かつて生きていた中で最も偉大な3人の人物」と評している。さらにジェファソンは、ベーコンを最上位に、その下にロックとニュートンを配した肖像画を描くように画家に依頼している。この肖像画については有名なエピソードがある。国務長官時代、ジェファソンが閣僚達を晩餐に招いた際の話である。ハミルトンは肖像画の前で足を止め、ジェファソンの説明に耳を傾けながら、「かつて生きていた中で最も偉大な人物はジュリアス・シーザーだ」と言ったという。

トマス・ジェファソン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究