後世の評価


圧倒的な評価
肯定的評価
 エリク・エリクソンはジェファソンの人物像をとらえる難しさについて、「これまでにも、すぐれた研究者たちによって指摘されているとおり、彼という人物をとらえることは至難の業である(五十嵐武士訳)」と述べている。それはジェファソンが、「次々に登場する新しい世代が彼を理解しようと試みる度毎にそのイメージをふくらませてゆく、そんな謎めいた人物として、時間を超越して歩み続けている(五十嵐武士訳)」からである。そうした困難にも拘らず、ジェファソンにまつわるイメージと評価は圧倒的に肯定的である。
 トクヴィルは、ジェファソンを「かつてアメリカの民主主義が生み出した中で最も偉大な民主主義者」と評した。1902年にアルフレッド・ルイスは「ジェファソンは完全な人間というよりむしろ完全な市民であった。人間として欠点を持っていたが、市民としては星のように瑕疵がなかった」と賞賛している。ヘンリー・コマジャーも「ジェファソンはアメリカの啓蒙主義者の中で最大の人物(明石紀雄訳)」と称揚している。
 1948年から1981年にかけて6巻の『ジェファソンとその時代』を著したデュマス・マローンは、「もし、ジェファソンに単一の規定があたえられねばならないとすれば、かれはリベラルであった。[中略]。かれを啓蒙されたリベラルとよぶことは、かれの偉大なキャリアの第一ステージにおいてかれを要約する最良の方法である。[中略]。個人の自由と人間の尊厳の偉大なる始祖として、かれは、かれ自身の国だけではなく、人類の宝ともなった(山本幹雄訳)」と激賞している。
 またメリル・ピーターソンは『トマス・ジェファソンと新しい国家』の中でジェファソンはその「民主主義、国民性、啓蒙という三つの支配的なモチーフの光の中(山本幹雄訳)」にあるとした。
 さらに、『トマス・ジェファソン文書』の編者であるジュリアン・ボイドは、ジェファソンにとって、アメリカ革命は一国にとどまる問題ではなく、全人類の未来に関わる問題であり、独立宣言に示された精神こそがジェファソンの生涯を貫いた信念であったと指摘する。
後代の大統領による言及
 リンカーンが、度々、共和党のみがジェファソンの伝統を忠実に継承していると主張したように、ジェファソンは正統性を与える存在として言及されてきた。
 フランクリン・ローズヴェルトは、1943年4月13日、トマス・ジェファソン記念館開館式で、「我々は自由の使徒であるトマス・ジェファソンに負いきれないほどの借りを負っている」と述べ、さらに「政治哲学、教育、芸術、人類の苦悩を和らげる試みにおいて[ジェファソンは]指導者であり、未来への計画を唱導する人物であり、アメリカを永遠不朽の共和国にするように導いた」と賞賛している。
 またレーガンはしばしばジェファソンに言及している。例えば、1982年4月13日、レーガンはジェファソンの生誕日に際して、以下のようにジェファソンを州権論者、小さな政府の主唱者として言及している。

「トマス・ジェファソンは、誕生後239年後でもアメリカ史の中で大きな影響力を保っている人物です。政治家、学者、発明家、農民、そして哲学者でしたが、何よりも個人の自由の擁護者でした。生涯を通じてジェファソンは、言論の自由と財産権の神聖性の倦むことなき提唱者でした。なぜなら、完全であるためには、白由は経済的なものであるだけではなく、政治的なものでもなければならないとジェファソンは知っていたからです。トマス・ジェファソンは、大き過ぎる政府は人間の権利を脅かすことも知っていました。ジェファソンは、『この世でかつて存在したあらゆる政府の中で何が人間の自由と権利を破壊してきたのか』と問いました。そして、『すべての監督と権限を1つの組織に集約すること』だと自ら答えました。健全な連邦体制の下、枢要な権限を地方と州、そして国に適切に分譲するような小さな政府がジェファソンの目標でした。ジェファソンはすべての政府に対して歯に衣着せぬ警告をしています。ジェファソンは第1次就任演説で、『賢明で質素な政府・・・お互いに人々が傷つけ合わないように抑止し・・・それ以外は勤勉と進歩の追求を自由に調整させ、勤労者のロから彼の稼いだパンを奪い取らない』と述べました。この2世紀に多くの変化がありましたが、トマス・ジェファソンが信奉した諸原則は、我々の民主的社会の中心に依然として存在しています」

否定的評価
 圧倒的な肯定的評価の一方で否定的評価も当然ながら存在する。最も古典的な評価はヘンリー・アダムズによる評価である。アダムズは、『ジェファソン政権期のアメリカ合衆国の歴史』の中で、ジェファソンを「哲学的大統領」と呼び、特に外交関係において「アメリカ史の中でかつて知られている中で最も徹底的に」大統領権限を振りかざしたと批判している。大統領権限の拡大という点から、アダムズはルイジアナ購入についても否定的な評価を下している。
 また特に奴隷制に関する立場をめぐってジェファソンは多くの否定的評価を下されている。ウィンスロップ・ジョーダンは、『白人と黒人―1550年から1812年における黒人に対するアメリカの姿勢』でジェファソンは奴隷制に反対しつつも、黒人に対する根強い偏見を持っていたと指摘し、それはアメリカ文化の根底に存在する矛盾であると主張した。ジョー段の他にもコナー・オブライエンやポール・フィンケルマンは、ジェファソンが人種主義偏見も持ち、奴隷制の撤廃に真摯に取り組まなかったと指摘している。またロバート・マッコレーは、ジェファソンの奴隷制に対する思想は矛盾を含み、実践面で消極であったと指摘する。
 特にウィリアム・コーエンは、1969年にジェファソンが持つ二面性について以下のように述べている。

「アメリカ民主主義の永続的な英雄のひとり、トマス・ジェファソンが、すべての人びとは平等に造られ、『かれらの創造主によって』、『生命、自由、幸福の追求』という『奪うべからざる権利』を与えられていると宣言しようとしていたまさにその時、一八〇人以上の奴隷のオーナーであったなどとは、パラドキシカルなことに思える。[中略]。大抵のジェファソン研究家たちは、この矛盾・撞着を、それを無視することによって、あるいは、ジェファソンの奴隷制廃止にかんする諸見解を引用することによって、さらには、奴隷主としてのかれの役割というものは元々(家系上)課せられたものであったのだと主張することによって、処理して来た。[中略]。ジェファソンの富とステータス、そして政治的立場は奴隷制を拠りどころとしていたのであり、かれはかつて一度も、奴隷制のすべてを危険に陥し入れるようなプランを積極的に提起したことはなかったのだ。[中略]ジェファソンの世界は、まさにその存在そのものを強制労働に依拠していたのだということを忘れてはならない(山本幹雄訳)」

 もちろんジョン・ミラーのように、ジェファソンの個人的特質から奴隷制に対する姿勢の限界を指摘する論もある。ミラーは『狼の耳を掴む―トマス・ジェファソンと奴隷制』で次のように述べている。

「『特有の制度[奴隷制]』に対する彼の本当で揺るぎない恐怖にも拘らず、彼はあまりに政治的現実主義者であり過ぎたために、高遠でありながら実現可能な目標に拘泥したために、そしてヴァージニアの奴隷所有者という育ちの故に、まさにイギリスの専制に立ち向った時に示したような情熱で、この人類の人類に対する専制に顕著な事例に取り組むことができなかった」

日本での評価
 『トマス・ジェファソンと「自由の帝国」の理念 : アメリカ合衆国建国史序説』を著した明石紀雄はジェファソンに関する評価を以下のように述べている。

「広い分野において彼が残した足跡により、また後の合衆国の発展に残した彼の貢献に鑑み、ジェファソンこそ建国期アメリカの象徴として見なされる大きな理由がある。彼は自由の擁護について深い関わりを持ち、そのために最大の努力を払ったのであった。他の「建国の父祖」と比べて彼のこの領域での功績は見劣りするものではない。むしろ他を大きく凌駕する面も多くある。その点から見て、彼はまさにアメリカの代表的な「自由の使徒」であったとするのは、決して誇張ではないのである」

 一方で清水忠重は次のようにジェファソンについて述べている。

「ジェファソンは『人間精神に対するあらゆる形態の専制に永遠の敵意を燃やすことを神の祭壇に誓いました』という意味のことを繰り返し口にし、また歴史家たちも『自由こそが独立革命におけるかれの動機であっただけでなく、かれの全生涯を理解する上での唯一の最善の手かがりを提供するものである』などと述べて、ジェファソンを『自由の使徒』と祭り上げてきた。しかし、こうした過大な評価は修正されるべきであろう。[中略]。ジェファソンの政治理論がアメリカ民主政治の源流であるとするならば、その弊害の一端もまたかれに帰せられねばならない」

 また一方で清水忠重は、「ジェファソン像を組み立てる際、かれの理性重視の発言だけが従来ピックアップされてきた」と指摘し、「思想史の大きな流れのなかでいえば、理性と道徳感覚を基軸にすえ、両者をともに重視するジェファソンの人間本性論は理性一辺倒の18世紀啓蒙主義と、感性のほとばしりを賛美する19世紀ロマン主義を架橋する位置にあった」とジェファソンの思想を評価している。
 このように日本におけるジェファソンの評価は概ね好意的であるが、否定的評価もなされている。ジェファソンに対する否定的評価を示した代表的な研究は、山本幹雄の『大奴隷主・麻薬紳士ジェファソン―アメリカ史の原風景』である。

文学や映画の題材になったジェファソン
古典的な作品
 小説および戯曲を書いた初めての黒人として知られるウィリアム・ブラウンが書いた『クローテル』(1853)にジェファソンは登場している。話の中で、ジェファソンはカラーという名の混血の愛人との間に2人の娘をもうけている。
 また南部出身の代表的な知識人と知られるロバート・ウォレンが書いた長編詩『山犬の兄弟』(1953)もジェファソンが登場する作品として知られている。この作品は、ジェファソンの甥であるリルバーン・ルイスとアイシャム・ルイスが関与した不可解な殺人事件を描いている。作中でウォレンはジェファソンにアメリカの歴史を語らせている。
現代の作品
 またスティーヴ・エリクソンの『Xの孤曲線』(1993)では、トマスというジェファソンをモデルにした人物が登場し、サリー・ヘミングスとの関係が幻想も交えて寓話的に描かれている。
 さらに1995年、『若き大統領の恋』という映画が封切られている。この映画ではジェファソンがフランスに滞在していた頃が取り上げられている。ジェファソンを中心にマリア・コズウェイ、サリー・ヘミングス、そして娘マーサが織り成す人間模様を描いている。

トマス・ジェファソン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究