家庭環境


少年期の記憶
 ジェファソンは1743年から1745年頃までシャドウェルで暮らした。その後、1745年か1746年にジェファソン一家はリッチモンド西郊にあるタカホーに移転した。ジェファソンの幼少時の記憶は、2才になるかならない頃に馬の背に揺られてタカホーに移った記憶に始まるという。一家がタカホーに移った理由は、母ジェーンの従兄が亡くなった時に、遺言で3人の遺児と農園の経営を父ピーターに託したからである。
 5才の頃、ジェファソンは学校を抜け出し、家の後ろで熱心に食事時に行う主の祈りを繰り返したという。ご飯の時間を早めようと空腹に我慢できなくなった少年は考えたからである。
 1751年か1752年頃、ジェファソン一家はシャドウェルに戻った。シャドウェルは首府ウィリアムズバーグと辺縁を結ぶ公道に隣接していた。そのため、首府に向かうネイティヴ・アメリカンに宿を提供することが多く、ネイティヴ・アメリカンと接触する機会が多くあった。後年の回想によれば、ジェファソンは、「チェロキー族の戦士であり雄弁家でもあった偉大なアウタセット」がイギリスに向けて出発する前夜に行った「卓越した告別演説」を聞き、「彼の朗々と響く声、明瞭な発音、活き活きとした動作といくつかの火に寄り集まっている[ネイティヴ・アメリカンの]人々の厳粛な沈黙」に「畏敬と尊敬」の念を抱いたという。
 父ピーターはジェファソンが14才の時に亡くなった。完全な古典教育を受けるようにという遺言を残した。父の死によってジェファソンは、「私に助言を与え導いてくれるのに適任な親族も友人も全くなく」放り出されたと感じたという。とはいえ、ジェファソンはピーターが築いた社会的信用のみならず、1764年には2750エーカーに及ぶ土地と数十人の奴隷も受け継いでいる。以後、ジェファソンは、約1万エーカーの土地と100人から200人に及ぶ奴隷、数百頭の家畜を保有した。農園ではタバコを中心にとうもろこしや小麦、果物などが栽培された。

名家出身の母
 母ジェーンの家系であるアイシャム・ランドルフ家は、「イングランドとスコットランドまではるかにさかのぼることができる」ヴァージニアの名家であり、父ピーターの出自よりも高かった。こうした血筋はジェファソンにとって大きな政治的資産となっている。ランドルフ家とジェファソン家の間で多くの婚姻関係が結ばれている。
 イギリス生まれのジェーンは独立運動に対して反感を抱いていた。それは何らかの影響をジェファソンに与えていたかもしれない。1776年に母が亡くなった時、叔父ウィリアムにそれをごく簡潔に報せた。母に対するジェファソンの言及は少ないが、エリク・エリクソンは、ジェファソンが母に対して強いノスタルジアを持っていたのではないかと示唆している。

兄弟姉妹
ジェーン・ジェファソン 
 長女ジェーン(1740.6.27-1765.10.1)はシャドウェルで生まれた。ジェファソンが最も愛していた姉であったが、25才で未婚のまま亡くなった。
メアリ・ジェファソン
 次女メアリ(1741.10.1-1817) はシャドウェルで生まれた。1760年6月24日に結婚し、1817年に亡くなった。
エリザベス・ジェファソン
 長妹エリザベス(1744.11.4-1773.1.1)は、シャドウェルで生まれ、未婚のまま、1773年に亡くなった。
マーサ・ジェファソン
 次妹マーサ(1746.5.29-1811.9.3)はタカホーで生まれた。1765年7月20日に結婚し、1811年に亡くなった。夫ダブニー・カーは、独立前夜、ヴァージニアの通信連絡委員会の設立に携わっている。
ピーター・ジェファソン
 長弟ピーター(1748.10.16-1748.11.29)はタカホーで生まれ夭折した。
―・ジェファソン
 次弟(1750.3.9-1750.3.9)はタカホーで生まれ夭折している。
ルーシー・ジェファソン
 3妹ルーシー (1752.10.10-1811)はタカホーで生まれた。1769年9月12日に結婚し、1811年に亡くなった。
アンナ・ジェファソン
 末妹(1755.10.1-1828) はシャドウェルで生まれた。1788年10月に結婚し、1828年に亡くなった。
ランドルフ・ジェファソン
 末弟(1755.10.1-1815.8.7) はシャドウェルで生まれた。

トマス・ジェファソン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究