ファーストレディ


生い立ち
 妻マーサ・ウェイルズ(1748.10.19-1782.9.6)は、ヴァージニア植民地チャールズ・シティ郡で生まれた。肖像画は現存していない。父ジョン・ウェイルズは富裕な農園主であり弁護士であった。1766年11月20日に従兄のバーサスト・スケルトンと結婚し、一子をもうけたが、1768年に夫と死別した。

出会いと結婚
 マーサは1770年頃、ヴァージニア植民地の首府ウィリアムズバーグでジェファソンと知り合ったらしい。マーサは、ハープシコード(鍵盤付き撥弦楽器)を弾き、時にはジェファソンのヴァイオリンにあわせて歌った。ジェファソンは、「あなたにとって人生の多くの時間を甘美にしてくれる友となるだろう」という言葉とともにマーサにマホガニー製のピアノを贈っている。伝え聞くところによれば、ある他の求婚者達は、ジェファソンとマーサがウェイルズ家で楽しそうに合奏するのを聴いて、マーサへの求婚を諦めたという。ジェファソンは音楽を「我が魂の最愛の情熱」と呼ぶほどの音楽愛好家であり、楽器の奏者を雇いたいので適当な人物を紹介するようにイタリア人に依頼する手紙を書いたほどである。
 2人は、1772年1月1日、チャールズ・シティ郡のマーサの実家で結婚式を挙げた。そして、1月下旬、100マイル離れたモンティチェロに向かった。雪が激しく降り始め、モンティチェロの近くまで来た時には積雪が約18インチ(約46cm)にもなっていた。しかも馬車が壊れてしまったので、直接、騎乗しなければならなくなった。それでも2人はモンティチェロを目指して進んだ。
 一方、モンティチェロで主人の帰りを待っていた奴隷達は、この雪の中、2人が帰ってくることはないだろうと考えて、早々に引き取っていた。奴隷達を煩わせないようにジェファソンは厩舎に自分で馬を入れ、当時、唯一完成していた建物に入って火を熾し、そこで新婦と一夜を過ごした。以後、その建物は「ハネムーン・ロッジ」と呼ばれている。

病死
 ジェファソンはしばしば妻の健康を理由に公職を断っている。また公職に就いてマーサのもとを離れている時も、マーサの健康状態をたずねる手紙を度々、親族に書き送っている。第2回大陸会議が開催された際に、マーサはフィラデルフィアに同行しなかった。そのためジェファソンは、独立宣言に署名した翌月に早くも大陸会議から退いて帰宅している。外交交渉のためにフランスへ赴くように要請された際も、妻を連れて危険な航海をすることも、妻を後に残すこともできないという理由で断った。ヴァージニア邦知事を退任後、ジェファソンは公職に就くために妻を後に残すようなことはしないと誓った。
 ジェファソンにとってマーサは、「あらゆる幸福のための計画において、彼女は中心的存在としてその最前面にある。彼女なしでは私の目には何も映らない(明石紀雄訳)」と言うほど大切な存在であった。
 6人目の子供は難産で分娩時の子供の体重は16ポンド(約7200g)もあったという。産後の肥立ちが悪く、マーサは分娩後4ヶ月後に亡くなった。その間、ジェファソンは妻に付きっきりで看病している。

死後
 妻が亡くなる間際、ジェファソンは気を失った。そして葬儀の後、丸3週間も部屋に閉じこもった。部屋を出てからも、10才の娘とともにモンティチェロの周辺を当所もなく馬に乗ってさまよっていたという。
 死後まもなくして、亡妻の異母妹に送った手紙の中で「この惨めな生活は本当に重荷です[中略]。私に残された責任を放棄することが背信にならないのであれば、この生活を続けようとは一瞬たりとも思えない。いったい何が望めるというのでしょうか」と述べている。また11月26日付の手紙の中で、友人に向かっては「たった1つの出来事が、私の[人生の]計画を覆し、私の心の中に埋めることができない空白を残した」と心境を語っている。
 ジェファソンはマーサの手紙を、1通を除いてすべて焼却している。その1通は、マーサからジェファソンに宛てた手紙ではなく、マディソン夫人に宛てた手紙であった。しかし、ジェファソンが亡くなった時、親族が秘密の引き出しの中を開けると、遺髪をはじめマーサに関わる品々が子供達の品々とともに置かれてあったという。包み紙には、ローレンス・スターン)の『トリストラム・シャンディ』の一節(第9巻第8章)が書かれていた。「何しろ、時は容赦なく空費されて行きます。私がたどる一字一字が、いかに急速に私の生命も私のペンのあとを追っているかを告げてくれるのです。私に残されたそこばくの日数、そこばくの時間数は、[いとしいジェニーよ!そなたの首にかかったルビーの珠よりもなお貴重なものなので、しかもそれが]風の日の軽い雲のように、われわれの頭の上をどんどん飛んで行って二度とかえって来ないのです―すべてがたいへんな勢いでどんどん過ぎて行く[―そうやってそなたが髪をひねっている間にも。―ほれ御覧!そなたの髪にも白いものがまじっているではないか](朱牟田夏雄訳)」というマーサの字による前半部に加えて、ジェファソンの字によって「私がそなたの手に与える別れのキスの一回ごとが、それから[その後に]つづく不在期間の一回ごとが、いずれは近々われわれの上に訪れるはずの永遠の別離の序曲なのだ。[―ああ、天よ、われわれ二人に慈悲をたれたまえ!] (朱牟田夏雄訳) 」という後半部が続けられていた。ジェファソンは、この部分を哲学や文学の本からなる抜書き「文芸ノート」に書き留めている。
 ジェファソンはマーサの墓にホメロスの『イリアス』の中から選んだ一文を刻んだ。それはアキレウスが、ヘクトルを討ち果たした時に親友パトロクロスを想って語った言葉である。

「よしまた他人は冥府に赴けば、死人のことは忘れ切ろうとも、私だけはなお彼の世でもまだ、愛しい友のことを憶おう(呉茂一訳)」

夫婦の約束
 ジェファソンは妻の死後ずっと寡夫で通した。ジェファソンの奴隷監督人を務めた人物による回想『トマス・ジェファソンの個人的生活』によれば、妻の求めに応じて2度と結婚しないことを誓ったからと言われている。義母によって育てられた経験を持つマーサは、娘達が自分と同様の境遇に置かれることを許せなかったという。
 後年、ジェファソンは、「もしわたしの愛する人々が生きていたのであったなら、・・・わたしの人生は望みうる限り最高に幸福なものとなっていたでしょう。しかし、運命の恩寵はすぺて、家庭内での不幸で損われてしまいました。六人の子供のうち四人を失い、そのうえ最後には、彼らの母親まで失ってしまったのです(五十嵐武士訳)」と述べている。

トマス・ジェファソン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究