ガーフィールド大統領の暗殺

 1881
72日、ワシントンの駅でチャールズ・ギトー(Charles J.Guiteau)は大統領を銃で撃った。ギトーは大統領から公職に任命されることを期待する一方で、ガーフィールドによるコンクリング一派への攻撃に怒っていた。ギトーは暗殺の朝、「大統領の悲劇的な死が悲しいが必要であり、それが共和党を1つにし共和国を救うことになる。私は大統領に対して悪意を持っていない。彼の死は政治的に必要だ」と記している[i]。ギトーは逮捕された時、「私は堅固派であり、アーサーが大統領だ」と述べた[ii]。弁護士はギトーが狂っていることを理由に無罪を訴えたが、ギトーは有罪宣告を受け、1882630日、絞首刑に処せられた。 

今日の医療技術であればガーフィールドは命を落とすことはなかっただろうと医療史の研究者は考えている。1881年当時の医療技術では大統領を救うことができず、むしろその死を早めた。医師は消毒されていない器具で打ち込まれた銃弾を発見しようとガーフィールドの体内を探った。その頃、発明された金属探知機も使用された。ガーフィールドは敗血症に罹り、919日に亡くなり、副大統領のアーサーが大統領に昇格した。

 検死の結果、医師は誤った場所を探っていたことが分かった。銃弾はガーフィールドの背骨の右側に入ったが、左側に移っていた。嚢腫が銃弾の周りに形成され、実質的に無害になっていた。自然回復に委ねれば、ガーフィールドはおそらく数週間で復帰できたと考えられる。



[i] Robert J. Donovan, The Assassins (Harper and Bros, 1952), 42.

[ii] Kenneth D. Ackerman, Dark Horse: The Surprising Election and Politicqal Murder of President James A. Garfield (Carroll and Graf, 2003), 348-380.


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