宗教


理神論的信仰
監督派教会
 ワシントンは存命中からアメリカの「モーセ」と称賛され、死後も多くの伝記作家や聖職者によって「キリスト教徒の英雄にして政治家」、または「キリストの敬虔なる兵士にして僕」であるという惜しみない賛辞が捧げられた。
ワシントンは、1732年4月5日(ユリウス暦)、生後2ヶ月で英国国教会(後に監督派教会)の洗礼を受けている。監督派教会で行われる礼拝に参加することはあったが、重要な儀式である聖餐式に加わることはなかった。ミサの祈祷の最中も、跪くことはなく、いつも立ったままだっとという。しかし、両親と異母兄ローレンス、さらに妻マーサも監督派信者であったから、ワシントンが監督派に関与したことはごく自然な流れである。
 現在では多くの研究者が、ワシントンは宗教にあまり熱意を示さなかったと考えている。例えば、ワシントン夫人に仕えた1人の奴隷は、1846年にワシントンについて以下のように証言している。
 「ワシントン(大統領)の敬神とお禧について語られているさまざまな物語りなどは、わたしがかれの奴隷だったあいだに見聞したかぎりでは、まるで何ひとつ根拠のないものでした。カードいじり(博打)と酒盛りは、かれと仲間たちの集まりには欠かせないビジネスだったし、日曜日には、普通の日にもまして、そんな博打と酒飲みの仲間をもっと沢山呼び集めていました(山本幹雄訳)」
 独立戦争勃発以前、ワシントンは月に1度、教会に足を運ぶ程度であった。教会に行く代わりに、キツネ狩りに行ったり、静かに家で過ごしたりことも多かった。しかし、教区民代表や教区委員などの役割は果たしている。当時、そうした役割は単に信仰に関わる役割ではなく、教区の運営に関わる社会的な役割であった。
理神論
 ワシントンは、頻繁に聖書の文句を引用しながらも、人間を支配する「摂理」や抗い難い「運命」についても度々、言及している。または、独立戦争が終わった後に「すべての栄光はかの至高の存在のおかげである」と言ったように「至高の存在」について言及することもあった。
 ワシントンは、そうした超越的な存在がすべての事象を支配していると考えた。人間は超越的な存在がその意図を実現させる道具なのである。たとえその意図を完全に理解することができなくても信じなければならないとワシントンは考えていた。ワシントンの信仰は、どちらかと言えば理神論であり、自然崇拝とキリスト教、合理主義が混淆しているという。臨終の際もワシントンは牧師を呼ばなかった。葬礼も監督派とフリーメイスンリーが混淆した方式で執り行われた。
フリーメイスンリー
 フリーメイスンとしてのジョージ・ワシントンに関する事実』によると、ワシントンは1752年11月4日、フレデリックスバーグ・ロッジ・No.4でフリーメイスンリーに加入している。翌1753年3月3日にフェロー・クラフト階位に進み、同年8月4日にマスター・メイスン階位に進んでいる。その後、1788年4月28日、アレクサンドリア・ロッジ・No.22のチャーター・マスターになった。さらに1793年9月18日、連邦議会議事堂の定礎式をワシントンがフリーメイスンの正装で執り行ったことが知られている。ただフリーメイスンリーの起源が実務的な石工の同業者組合とされることから、定礎式をフリーメイスンが執り行っても奇異にはあたらない。
 またワシントンが独立戦争を戦い抜く際に、フリーメイスンリーによって士官や兵士の団結を図ったという研究もなされている。しかし、ワシントン自身はキリスト教を軽視したわけではない。例えば大陸軍最高司令官を務めた時も兵士の祈りのために従軍牧師を手配しているし、大統領就任後はほぼ毎週のように日曜日は教会に出席している。しかし、監督派だけではなく、会衆派やルター派、オランダ新教派、ドイツ新教派、カトリックなどの礼拝に参加することもあった。

ジョージ・ワシントン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究