家庭環境


ジョージ・ワシントン 無二の味方の父と憧れの兄

リスト 父の死

 父オーガスティンは大農園を管理する傍ら、フレデリックスバーグ付近にあった鋳鉄場の共同所有者でもあった。自らの地所で鉄鉱石を見つけたために鋳鉄場の経営を始めたという。オーガスティンはその当時の上流階層の習慣に従ってイギリスのアップルビー・スクールで教育を受けている。1715420日に初婚、前妻と死別後、173136日にメアリ・ボールと再婚した。

オーガスティンの鋳鉄場は大規模な事業であり、自前の船でイギリス市場に製品を輸出していた。他にも土地投機を行ったり、治安判事を務めたりしていた。こうした仕事で家を空けることが多かったオーガスティンだったが、ワシントンを随分と可愛がったらしい。

 ワシントン一家は1735年、ウェストモーランド郡からエプスワッソン(後のマウント・ヴァーノン)に移転している。エプスワッソンは、スタッフォード郡(1742年以後フェアファックス郡)のリトル・ハンティング・クリーク付近に位置する。さらに家屋が焼失したために、1739年、ラパハノック川沿いにあるフェリー・ファームに移転している。同地は鋳鉄場も近く便利な場所であった。1739年から1747年の少年時代の大半をワシントンはフェリー・ファームで過ごした。
 1743413日、父オーガスティンが亡くなった。その遺産は、約1万エーカーの土地と約50人の奴隷であった。大半をローレンスが相続し、ワシントンには、21歳になった時に260エーカーのフェリー・ファーム4区画の土地、そして10人の奴隷が分与されることになった。
 父の死後、ワシントンは母とともにフェリー・ファームに住んだ。農園の管理を手伝い、それに必要な様々な事柄を学んだ。また猟や魚釣り、ボート遊びなどを楽しんだ。中でもダンスはワシントンの最も得意とする娯楽であった。
リスト 憧れの兄
 オーガスティンの死後、ワシントンは14才年上の異母兄ローレンスを父親代わりにして成長した。ワシントンはしばしば兄が住むマウント・ヴァーノンを訪れている。

ローレンスは、1740年に英軍のカルタヘナ攻撃に従軍した経験を持ち、ヴァージニア植民地全軍の軍務将校になった経歴を持つ。そうした兄はワシントンの憧れの的であった。またローレンスは、有力者のフェアファックス家の姻戚となりヴァージニア植民地議会議員も務めた。フェアファックス家は500万エーカー(2万平方キロ)にわたる広大な土地を支配する一族であった。ローレンスの後ろ盾のお蔭でワシントンはフェアファックス家と親交を深めることができた。

ワシントンの将来を案じたローレンスは、イギリス海軍の士官候補生になるように勧めた。ワシントン自身もその考えが気に入ったが、母メアリが強固に反対したために諦めざるを得なかった。

ジョージ・ワシントン 兄弟姉妹

リスト 異母兄弟
 父オーガスティンの再婚により、ワシントンに異母兄弟と同母兄弟がいた。異母兄弟は以下の4人である。

リスト バトラー・ワシントン
 長兄バトラー(1716-1729?)は、ヴァージニア植民地ブリッジス・クリークで生まれたが早世した。ワシントンの異母兄にあたる。

リスト ローレンス・ワシントン

次兄ローレンス(1718-1752.7.26)は、ヴァージニア植民地ブリッジス・クリークで生まれた。ワシントンの異母兄にあたる。1740年から1742年に西インド諸島方面でイギリス軍に従軍した。1743719日、有力な一族であるフェアファックス家の娘アンと結婚した。父から相続した農園をマウント・ヴァーノンと改名している。ヴァージニア植民地全軍の総務将校を務め、ヴァージニア植民地議会議員も務めた。1752年、結核のためマウント・ヴァーノンで亡くなった。子供はいずれも夭折した。

オーガスティン・ワシントン
 3兄オーガスティン(1720-1762.5)は、ヴァージニア植民地ブリッジス・クリークで生まれた。ワシントンの異母兄にあたる。ヴァージニア民兵(名誉)大佐であり、ヴァージニア植民地議会議員を務めた。1762年に亡くなった。

ジェーン・ワシントン
 姉ジェーン(1722-1734/5.1.17)は、ヴァージニア植民地ブリッジス・クリークで生まれた。ジェーンは早世した。ワシントンの異母姉にあたる。

同母兄弟
 ワシントンの同母兄弟は以下の5人である。

エリザベス・ワシントン

長妹エリザベス(1733.6.20-1797.3.31)は、ヴァージニア植民地ウェストモーランド郡ウェイクフィールドで生まれた。ワシントンの同母妹にあたる。17505月7日に結婚し、1797年に亡くなった。

サミュエル・ワシントン
 長弟サミュエル(1734.11.16-1781.12)は、ヴァージニア植民地ウェストモーランド郡ウェイクフィールドで生まれた。ワシントンの同母弟にあたる。ヴァージニア民兵(名誉)大佐であり、治安判事、保安官などを務めた。

ジョン・ワシントン
 次弟ジョン(1735/6.1.13-1787.1.8?)は、ヴァージニア植民地スタッフォード郡で生まれた。ワシントンの同母弟にあたる。ヴァージニア民兵大佐であり、1775年から翌年にかけてヴァージニア革命協議会議員を務めた。1787年、ヴァージニア植民地ウェストモーランド郡ブッシュフィールドで亡くなった。長男ブッシュロッド は、1798年から1829年まで連邦最高裁判事を務めている。

チャールズ・ワシントン
 
末弟チャールズ(1738.5.2-1799.9.16?は、ヴァージニア植民地スタッフォード郡で生まれた。ワシントンの同母弟にあたる。ヴァージニア民兵(名誉)大佐であり、現ウェスト・ヴァージニア州チャールズ・タウンの建設者である。1799年、ヴァージニア州ジェファソン郡ハッピー・リトリート(現ウェスト・ヴァージニア州) で亡くなった。チャールズはワシントンに残された最後の兄弟であった。
ミルドレッド・ワシントン
 末妹ミルドレッド(1739.6.21-1740.10.23)は、 ヴァージニア植民地ウェストモーランド郡ウェイクフィールドで生まれた。ワシントンの同母妹にあたる。ミルドレッドは早世した。

母親との確執

 ワシントンは、父オーガスティンに母メアリの面倒を生涯みると誓ったが、母との確執に長年悩まされた。「ノーザンネックの華」と呼ばれ美人の誉れ高かったメアリは早くに両親を亡くしていたとはいえ十分な遺産を受け継いでいるために生活に困窮することはなかったはずだが、しばしばワシントンに金品を要求した。1755年、ワシントンが軍務に服している時に、バターと新しい召使を要求する手紙を送り付けたこともある。
 さらにメアリは、ジョージが独立戦争を指揮するようになると著しく憤慨したという。つまり、農園の管理を怠るだけではなく母親も放置してまで戦争に出かけるのは間違いだとメアリは思ったのである。ワシントンはできるだけ要求に応じるようにしていたが、それでもメアリは部外者に子供達に無視され困窮しているとしばしば訴えたという。それだけにとどまらず、メアリはヴァージニア邦議会に経済的援助をしてくれるように請願した。ジョージはメアリに「怠け者と見なされ、世間から不孝息子だと思われる」のでそれを止めるように懇願したが、親子の仲は拗れるばかりであった。結局、メアリが亡くなるまで不和の溝は埋まることはなかった。ワシントンが大統領になるまでメアリは存命していたが、就任式には出席していない。
 しかし、不和と言ってもワシントンはメアリに対して極めて鄭重に接していたことは指摘しておくべきだろう。ワシントンは手紙を送る際に、必ず「名誉あるご婦人」という尊称を母につけ、末尾には必ず「あなたの忠実な息子」と記している。

ジョージ・ワシントン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究