後世の評価


神格化された建国の祖
様々な作品に登場
 イギリスの劇作家オスカー・ワイルドは「桜の木」伝説を皮肉って『嘘の衰退』を執筆したという。ワシントンは他にもジェームズ・クーパーの『密偵Spy』やサイラス・ミッチェルの『ヒュー・ウィニー―自由なクェーカー』、ポール・フォードの『ジャニス・メレディス』、パーシー・マッケイの戯曲『ワシントン―我々を作った人物』、ウィリアム・サッカレーの『ヴァージニア人』などの文学作品で描かれている。
その他の有名な伝説
 またポトマック川を横断して1ドル銀貨を投げることができたという話やオーガスティンが秘かに「GEORGE WASHINGTON」という形になるようにキャベツの種を植えたという話もウィームズの創作である。こうした話は、1806年に発行された第5版から登場している。
 また進退窮まったヴァレー・フォージで、ワシントンが謙虚に神の恩寵を願うことで窮地を脱したという伝説も有名である。この祈りをポッツなる人物が見ていたとウィームズは記している。しかし、ポール・ボラーによると、ポッツなる人物はその当時、ヴァレー・フォージにいなかったという。
 こうした神格化についてマーカス・カンリッフは、「ワシントン以後、早くても1775年以後、またはワシントンが大統領であった時に洗礼を受けた赤子であった国民は、ワシントンを偶像と見なす。ワシントンの崇拝者にとってワシントンは『神のようなワシントン』であった。そして、ワシントンを中傷する者は口々にワシントンは、批判することが背信とされる『半神』のように見なされていると不平を言った」と指摘している。
 さらに政治学者トマス・クロウニンは「模範的な大統領像」という概念を提唱している。つまり、大統領を神格化し英雄に仕立てることで、あたかも大統領が全能の存在であるかのように思わせる傾向を指す。その結果、多くの人々が大統領の能力に過度に期待するようになり、大統領個人の資質を見極めようとする視点が欠落してしまうと研究者は指摘している。
 ワシントンの多くの事績がアメリカの建国神話と固く結び付いているので、ワシントン個人の実像を見極めることは極めて困難である。なぜならワシントンに対する否定的評価は、アメリカの建国の理念そのものを揺るがしかねないからである。

後世の評価
各人物による評価
 ワシントンの下で国務長官を務めたジェファソンは、後年、「彼の精神は、第一級ではありませんでしたが、偉大で力強いものでした。彼の洞察力は、ニュートンやベーコン、ロックほど正確ではないにしろ鋭いものでした。彼が確かめる限り、分別のない判断はかつてありませんでした」と振り返っている。またマディソンも「彼の性格の長所は、清廉潔白であったこと、正義を愛したこと、不屈であったこと、健全な判断力を持っていたこと、愛国的義務の高邁な精神と一体となった優れた深慮を持っていたこと、そして告別の辞で言明されたように賢明で公正な世評に信頼をおいたことにある」と評している。
 イギリス首相ジョン・ラッセルは、「アメリカの成功は、その敵対者の失策のお蔭でもあるが、まずはワシントン将軍の指揮と品性のお蔭であった」と評価している。同じくイギリス首相を勤めたウィリアム・グラッドストーンは、「彼は歴史上、最も純粋な人物だ」と評している。またフランソワ・シャトーブリアンも「ワシントンの名前は時代から時代へ自由とともに広がるだろう」と述べている。
 歴史家ヘンリー・アダムズは、「彼は信念を持った偉大な軍事的指導者であり、私が思うに、模範的な姿勢を強く示したので、神は人々が置かれた緊急事態に対応できるような資質を与え、創造主の御業が及ぶ限り、1人の個人にアメリカ独立の大義と偉大で崇高な道義をお集めになった。その人物が他ならぬワシントンである」と記している。また政治学者シーモア・リップセットは、ワシントンを、マックス・ウェーバーの言葉を借りて「超自然的、超人的、もしくは少なくとも人並み優れた能力や才能がある」カリスマ的リーダーの典型である評価している。そして、ワシントンの事績については、レオナード・ホワイトが、ワシントンは政権を運営することで「アメリカ人の心に、連帯、活力、そして有能であるという理由で政府は敬意を得ることができるというモデルを植え込んだ」と述べている。
総評 
 大統領としてワシントンは大統領制の確立に貢献したが、一方で党派対立を抑えることができなかった。ワシントンは超党派的に振る舞うことで、連邦党と民主共和党の均衡の上に身を置こうとした。しかし、実際にはワシントンの考え方は連邦党寄りであったので、政権末期までに均衡の上に身を置くという考え方は放棄せざるを得なかった。
 また独立戦争時にワシントンが発揮した軍事能力を疑問視する評価もある。確かにワシントンの部下の中には、分野によってはワシントンを凌駕する才能を示す人材がいた。また何度も敗退を繰り返している。しかし、ワシントンが最も評価されるべき点は、単に軍隊を指揮する能力ではなく、大陸会議や諸邦と折衝を数多く重ね、勝利を手にするまで大陸軍を維持し続けた点にあると言える。そして、自ら大陸軍総司令官の地位を手放すことによって、軍事独裁の可能性を否定し文民統制の原則を打ち立てた点を忘れてはならない。

日本での評価
横井小楠による言及
 横井小楠は『国是三論』(1860)の中で「墨利堅に於ては華盛頓以来三大規模を立て、一は天地間の惨毒、殺戮に超へたるはなき故、天意に則つて宇内の戦争を息むるをもつて務めとし、一は智識を世界万国に取りて、治教を裨益するをもつて務めとし、一は全国の大統領の権柄、賢に譲りて子に伝へず」とワシントンの名前を挙げている。さらに『沼山対話』(1864)の中で、ワシントンを次のように称賛している。

「事実公平の心にて天理を法り此割拠見を抜け候は、近世にてはアメリカワシントン一人なるべし。ワシントンのことは諸書に見え候通、国を賢に譲り宇内の戦争を息るなどの三個条の国是を立て、言行相違なく是を事実に践行ひ、一つも指摘すべきことは無之候。然るにアメリカも今日に至りては已に南北の戦争に相成り候て、ワシントンの遺意は早失ひ申し候」

 また『沼山閑話』(1865)の中でも横井は、西洋の考え方は実用ばかりを重視して道徳が無く、戦争ばかりしていると批判しながらも「華盛頓一人は此処に見識ありと見えたり」と評価している。他に「甥左平太・大平宛書簡」の中でも「ワシントンのほかは徳義ある人物は一切これなく、これ以来もワシントン段の人物も決して生ずる道理これなく」と言及している。
福沢諭吉による言及
 福沢諭吉も『西洋事情』(1867)の中で、「華盛頓職に任じてより国用を節し賦税を平にし国内の経済を修めて富国の基を立て外国の交際を厚くして信義を失はず此時に当て欧羅巴の諸国に戦争ありしかども合衆国は固く中立を守り嘗て之に関係せしことなし在職八年の間内外無事にしてエルモント、ケンチュツキ、テンネッシーの三州、合衆國の版図に帰したり」とワシントンの事績を紹介している。
『西国立志編』
 『西洋事情』とともにベスト・セラーとなった中村正直翻訳の『西国立志編』(1871)にもワシントンは登場している。
 「[ウェリントン公アーサー・ウェルズリーの] 純粋誠実ニシテ高尚ナルコトハ話聖東[ワシントン]ニ似タリ」とワシントンが引き合いに出されている。そして、「昔々話聖東ニ給事スル一書記嘗テ期限ニ後レテ来リソノ罪ヲ時辰表ニ帰シケレバ話聖東徐ニ曰ク然ラバ汝必ズ他ノ時辰表ヲ求ムベシサナクバ我必ズ他ノ書記官ヲ求ムベシト言ヘリ」という逸話が紹介され、「話聖東マタ?林登[ウェリントン公アーサー・ウェルズリー]ニ似テ事務ヲ弁理シ細小ヲな忽ニセザル人ナリユヱニ家事ヲ治ムルニソノ費用毫モ常度ニ踰エタル時ハ厳シクコレヲ検査セリコレ己レノ産業ノ中ニテ生計ヲ営ナミ正直節廉ノ行ヲ欠ザラント思フガ故ナリ亜米利加合邦ノ大頭領ノ高官職ニ居ラレシ時ト雖モ亦カクノ如クナリシト言ヘリ」と指摘されている。
勝海舟による言及
 勝海舟もワシントンを称賛している。『慶応四戊辰日記』の慶応三年(1867)12月23日付けの日記には、「ワシントンの国を建つるがごとく、天下に大功あつて、その職を私せず、静撫宜しきを失はざるは、誠に羨望敬服するに堪へたり」と記されている。また勝海舟はアメリカ渡航後に閣老へ建言書を呈したが、その中でも機能主義的で業績主義的な「眞の政府」とワシントンによるアメリカ建国を「誠に羨望に堪えたり」と激賞している。
中岡慎太郎による言及
 坂本龍馬とともによく知られている中岡慎太郎も「竊かに知己に示す論」(1866)の中で「後世迄も米利堅ワシントンの如き名誉を宇内にあぐべきに、何ぞ一人是をなさゞるや」とワシントンを第一級の人物として挙げている。また「愚論竊かに知己の人に示す」(1866)の中でも「英吉利王利を貪る日々に多く、米民益益苦む、因て華盛頓なる者、民の疾苦を訴へ、是に於て華盛頓米地十三邦の民を師ひ、英人を拒絶し、鎖国攘夷を行ふ」と述べている。
 さらに「時勢論」(1865)の中では、「米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定りたる者に非らざれば、役に立たざるもの也」と久坂玄瑞が常に論じていたと指摘している。『西郷南洲逸話』によると、西郷隆盛も、楠正成と諸葛亮に加えてワシントンを尊敬していたという。
また西南戦争で西郷隆盛に従って戦死を遂げた桐野利秋も『時勢論』(1875)で「米国のワシントンを見よ。英国の逆政を施すに当って、あえて奔走せず、また周旋せず、口を開かず、足を挙げず、ひそかに時の至るを待つ。しこうしてその起るに当ってや、向うところ皆破り、戦うところ必ず勝つ」と激賞している。
総評
 アメリカ独立戦争の歴史的評価に関しては、イギリス本国人と植民地人が政治的主導権をめぐって争った戦いに過ぎないという観点と、アメリカ市民のイギリス王権に対する市民革命であったという観点の2つがある。幕末から明治の日本人はワシントンを後者の観点で高く評価していたことがうかがえる。

修身の教科書に登場
 ワシントンの「桜の木」伝説は日本で最も馴染み深い逸話である。それは修身の教科書でその話が度々取り上げられたからである。例えば、『小学新修身』(1901)では、「或る時、父新しき斧を買ひ来りて、ワシントンに与へけるに、ワシントンは、うれしさに堪へず、庭に出でて、これを弄び、誤りて、父の愛する桜の木を切り倒せり。あくる朝、父これを見て、大に驚き、『何者のいたづらぞ』といひけるに、ワシントンは、父の怒をおそれて、しばしば、言を発せざりしが、かねて、父より、『いつはりは、悪しきことなり』と、聞けるゆゑ、父の進み寄りて、『我あやまりて切り倒しぬ。許したまへ』と言ひたり』。父は、これを聞きて、大に喜び、『数千株の桜よりも、汝がなる一言を聞くを喜ぶ』と、言ひたり」と紹介されている。桜の木を梨の木と誤記している本もある。
 この「桜の木」伝説を日本に初めて伝えたのはおそらく中浜万次郎(1827.1.27-1898.11.12)であろう。1851年に日本に帰国した際、中浜がワシントンの伝記を持ち帰っていることは確かである。さらに長崎で取り調べを受けた時に、ワシントンは国民的英雄であり、桜の木を切り倒したことが発覚しても嘘を付かなかったという旨の供述を行っている。また中浜は大統領選挙について正しい理解を伝えている。
 『小学新修身』ではこの他に、ワシントンが学校に通っている頃に、自ら「言語作法の百十則」を作って品行正しくあるように気をつけたと紹介している。「言語作法の百十則」とは、ワシントンが書き写した「交際と会話における礼儀作法」のことであろう。
 さらにヴァージニア邦がワシントンに「鄭重なる謝辞」を述べた時に、「深く恥ぢ入りて、顔色を赤らめ、口どもり、手足ふるひて、一言の答辞も、述ぶることを得ざりき」とある。これは、1754年9月中旬、ヴァージニア邦下院が、ワシントンと将兵たちの「邦を守るための気高く勇敢な行い」に対して公式に謝意を捧げたことに拠るのであろう。
  『小学新修身』の中で、ワシントンは「功成り名遂げて、天年を完くしたり。誠に、国士の鑑といふべし」と称賛されている。また『小学諳誦十詞』(1873)では「世界三傑」の一人として豊臣秀吉とナポレオンとともに挙げられ、以下のように称賛されている。
 「阿米利加の華盛頓十三州の総代を身に引受し大元帥七十二戦の攻守の略烏合寡弱の兵をもて精鋭無二の英軍を遂に全く逐ひはらひ新に開く国体は天稟不羈の獨立国風俗正しく人情も比類稀なる文明国その功業は名を負へる都とともに栄えたり」

ジョージ・ワシントン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究