学生時代


家庭での教育

 この当時、ヴァージニアの上流階級では、家庭教師を雇って子弟に一定の教育を施した後、本国イギリスの学校に入学させることがごく普通のことであった。しかし、異母兄たちがイギリスの学校で学んだのにも拘わらず、母メアリはワシントンをイギリスの学校に通わせることを拒んだ。そのためワシントンはイギリスの学校に行く機会を得ることができなかった。
 伝記作家メイスン・ウィームズ
によると、信憑性は低いが、ワシントンが初めに教育を受けたのは、父オーガスティンの借地人のホビーという人物が運営していた小さな学校だったという。スタッフォード郡に居を移した1739年頃、ワシントンは近くにある学校に通い始めた。どこの学校に通っていたかは明らかではない。その学校では随分と腕白だったようである。ある冬の日、雪合戦をしていた際に目の周りに大きな痣をこしらえ、母メアリは数日間、ワシントンを家から出さなかったという。

 ワシントンは読み書きと算数の他に地理や幾何、三角法などをを学んだ。中でも三角法は測量士になるために役立った。しかし、その当時、外交の場で多く用いられていたフランス語や文学を学ぶ機会に恵まれず、さらに大学に進学する機会も得ることができなかった。ワシントンが学校に通っていたのは1415才までである。その頃から生涯にわたって日記と出納簿を几帳面につけている。
 建国初期の大統領で大学に進学していないのはワシントンのみである。そのため後にジョン・アダムズは、ワシントンを「その身分にしては無学過ぎるし、文盲で教養が無い」と批評している。しかし、174955日、ウィリアム・アンド・メアリ大学はワシントンに測量技師の免許を与えている。それは工学の学位に相当するのでワシントンが全くの無学だったとは言えない。

少年の頃の指針
 ワシントンが少年の頃に熱心に学んでいたのは、「交際と会話における礼儀作法」と『若者の手引き』である。前者は、16世紀末にイエズス会がフランス貴族の作法のお手本として書いた格律で、イギリスを経てヴァージニアにもたらされた。その内容は、大きな声で話したり、笑ったりし過ぎてはいけない、感情を抑制することが大事であるといった社会的規範から健康法、外見に至るまで多岐に及ぶ。後者は、イギリスの若者向けの書物で、手紙の書き方や測量の仕方、家の建て方やエチケットなどについて解説している

ジョージ・ワシントン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究