家庭環境


ジョン・アダムズ のどかな町での暮らし
実直な父
 父ジョンは農夫であった。農閑期には革製品を作っていた。それだけではなく、会衆派教会の執事をはじめとして民兵隊将校、保安官、徴税人、行政委員などブレインツリーの町で様々な役割を務めた人物である。息子アダムズは父ジョンの死に際して「合わせて20年間にわたって、ほぼすべての町の雑事を父はこなしていた。父は私が知る中で最も実直な人物であった」と評している。
激しい気性の母
 町の雑事に関わることが多かったために父ジョンは貧困家庭を助けることもよくあったらしい。母スザンナはそれを良く思ってはいなかった。父ジョンが貧しい2人の少女を家に連れ帰った時も怒りを露にしている。母スザンナの実家のボイルストン家は、マサチューセッツの医学の歴史の中で有名な家柄であった。
 アダムズは膨大な量の自筆文書を残しているが、母に関する言及は数少ない。またスザンナ自身も何も書き残していないうえに、家族からスザンナに宛てた手紙も残っていない。しばしば手紙を他の人に声に出して読んでもらっていたことからすると、スザンナは読み書きができなかったと推測される。当時の社会では読み書きができないことは特に珍しいことではなかった。
 そのように数少ない資料からすると、スザンナは時に激しい気性を見せる女性であったらしい。一方で、アダムズの妻アビゲイルは義母を家族に献身的で「模範的な慈愛」の心を持った女性だと述べている。もちろんアダムズ自身にとってもスザンナは「愛すべき母親」であったことは疑いも無い。
生家と家族
 アダムズの生家は暖炉を中心に5部屋からなる2階建てのごく普通の住居であった。煉瓦とオーク材、そして松の羽目板などでできていた。裏には納屋があり、農場や果樹園に続いていた。家族は父と母、アダムズ、そして2人の弟ピーターとエリヒューの5 人であった。
少年時代の遊び
 少年時代のアダムズは玩具のボートを作って浮かべたり、凧を飛ばしたり、時には輪回し遊びで友達と競い合った。春は輪投げやおはじき、夏は水泳やボート、そして冬はスケートや罠猟を楽しんだ。アダムズ自身は「お楽しみの中で絶えず放蕩三昧だった」と述べている。中でもレスリングはアダムズの得意の遊びであった。小柄ながらも敏捷で力が強かったという。成人後の身長は5フィート6インチ(約168cm)である。こうした遊びは当事ではごく普通の遊びであった。最も熱中したことはハンティングである。暇を見つけてはウッドチャックやリス、ウサギ、猛禽類を銃で狩っていた。授業が終わったらすぐに狩りに行けるように学校にまで鳥撃ち銃を持って行くほどの熱中ぶりであった。アダムズは、こうした少年時代を「お伽話のように過ぎ去った」と後に回想している。

ジョン・アダムズ 農夫を志す
 父ジョンは少年時代のアダムズに何とかして本に興味を持たせるようにしようとしたがなかなかうまくいかなかった。ある日、父は10歳の息子に「何になるつもりなのか、我が子よ」と問いかけた。「農夫になるよ」と息子は躊躇うことなく答えた。父は「農夫だって?ではおまえさん、農夫になることがどういうことかを教えてやろう。明朝、ペニーの渡し場に一緒に行き、萱刈りを手伝ってもらおう」と言った。翌日、アダムズ親子は一日中、湿地帯で萱を刈っては束ね、束ねては刈って過ごした。アダムズは父に遅れまいと懸命に働いた。その日の夕食の後、父は息子に「どうだジョン、農夫になることに満足できるかな」と聞いた。息子は泥まみれになりながらも「農作業はとてもいいね、お父さん」と全く動じることなく答えた。息子の答えに面食らいながらも父は、「いや私はそれほどいいとは思えないよ。おまえは学校に戻ることになるよ」と言った。アダムズは「私は[学校に]行ったけれども、川での萱刈りの最中と比べてもたいして楽しいとは思えなかった」と記している。

ジョン・アダムズ 兄弟
ピーター・アダムズ
 長弟ピーター(1738.10.16-1823.6.2)は、マサチューセッツ植民地ブレインツリーで生まれた。農夫であり、ブレインツリー民兵大尉であった。
エリヒュー・アダムズ
 末弟エリヒュー(1741.5.29-1776.3.18)は、マサチューセッツ植民地ブレインツリーで生まれた。独立戦争時、民兵中隊の指揮官を務めたが、1776年、ボストンで病没した。

ジョン・アダムズ大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究