後世の評価


根強い否定的評価
各人物による評価
 1783年にジェファソンはアダムズを評して「アダムズは虚栄心が強く短気で人を支配する動機を悪く解釈するが、これがおそらく彼について言えるすべての悪弊だろう」と述べている。
否定的評価
 アダムズは大陸会議での活躍とヨーロッパにおける外交活動の実績は認められていたが、合衆国憲法制定以降、「時代遅れの貴族主義者」であり、政治的には「無能」と評されることが多かった。「無能」と評価される点は主に対仏関係の処理である。フランスとの和平を望んでいるのにも拘らず、XYZ事件を隠蔽しなかった。その結果、連邦派の反仏感情を煽ることになり、和平の実現が困難になったからである。さらに外国人・治安法Alien and Sedition Actsという自由を制約する悪法を制定したという否定的な評価も下される。こうしたアダムズ評は非常に強い影響力を未だに持っている。
 またアダムズは政敵からしばしば貴族政治や君主政治を目していると非難されている。確かにアダムズは民主政治を標榜しているわけではなく、多数者による少数者の圧迫という民主政治が内包する危険性を示唆している。そうした危険性を排除するために各階層の利害を反映させる仕組みを提唱したのである。
肯定的評価
 アダムズに対する肯定的な評価としては、フランスとの全面戦争に陥ることなく、アメリカの中立政策を阻害する米仏同盟の解消に成功したという見方がある。アダムズ自身、「私の墓石に一番刻んで欲しいのは『1800年、フランスとの和平の責務を一身に担ったジョン・アダムズここに眠る』という銘文だ」と述べている。またアーサー・M・シュレジンガーは、アダムズを「このような危機に臨んで、大統領として彼ほどの確固たる態度をとりうる者はまれであろう」と高く評価している。
 1950年代、アダムズを保守主義の観点から見直す研究が盛んであったが、根本的な評価を改善するには至っていない。ピーター・ヴィレックは、『保守主義―ジョン・アダムズからチャーチルまでl』の中でアダムズの『擁護論』をアメリカ保守主義における7大著作の一つに挙げている。その一方で、クリントン・ロシターも『アメリカの保守主義』の中でアダムズを「アメリカ保守主義の第一級の人物」と評価している。政治学に関する知識において、アダムズに比肩する者はほとんどいなかった。
 アダムズ自身も、「『擁護論』3巻を読んだバークのサークルにいたある紳士が、ワシントン将軍というのが世界で最も偉大な人物の名前であると言ったところ、バークは『私もそう考えていたよ、ジョン・アダムズを知るまではね』と応えたという」と得意気に語っている。
総評
 アダムズはワシントンが持っていたような圧倒的なカリスマは持っていなかった。さらに民主共和派からも連邦派の主流からも非難されつつ政権を運営しなければならなかった。しかし、アダムズは憲法に定められた規定に忠実に従い、大統領が外交や国防といった分野でどのように職権を行使できるのかを示した。またワシントンが離任演説で示唆しているように、党派抗争は外国からの干渉をまねき、内戦を誘発する可能性があった。それを避けるために党派抗争を抑制する独立した行政権力が必要であるとアダムズは考え、その信念にしたがって行動したと評価することもできる。
大統領制創始当初は、ワシントンあってこその大統領職であり、大統領職の機能はワシントンの資質と不可分であった。しかし、アダムズは、ワシントンのようなカリスマや党派によらなくても大統領職が独立して有効に機能する可能性を示した。アダムズは、大統領は超党派的な存在であるべきだと考え、実際にそのように振舞った。アダムズは自ら信じるところに忠実であった。しかし、そうしたアダムズの特質は1800年の大統領選挙でアダムズに敗北をもたらす一因となった。ダニエル・ブーアスティンは、「この頑固さ―祖先のピューリタンたちなら、強情な自尊心と呼ぶだろう―は、実際にかれらをステーツマン(政治家)とする助けとなったが、同時に、かれらを無能なポリティシャン(政治屋)とした」と評している。

ジョン・アダムズ大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究