エピソード


自己紹介
 伝記の資料を求められたアダムズは次のように1809年3月11日の手紙で答えている。

 「私は他の人間と同じく1つの頭、4つの手足と五感を持ち、特異な部分は何もない。結婚生活は44年間。1764年10月25日、アビゲイル・スミスと隣町のウェイマスにある彼女の父親の家で結婚した。結婚を執り行ったのは牧師であった彼女の父親だった。私の肖像画はないが、かつて画家に随分に馬鹿にされたので誰かにまた[肖像画を]描かせようとは思わない」

 また同じ手紙の中でアダムズは、1800年の大統領選挙で自分が敗北し、引退を余儀なくされた理由を適切に説明している者が誰もいないと嘆いている。

アダムとイヴの謎
 アダムズがヨーロッパに滞在していた頃の話である。ある晩餐会でアダムズは1人の貴婦人に、「アダムズ様、あなたのお名前からすると、あなたはきっと最初の男[アダム]と女[イヴ]の子孫だろうと私は思いました。そうだとするとあなたのご家系は、私が説明できない難問を解くような伝承を受け継いではいないでしょうか。どのようにして最初の夫婦が閨房の術を発見したのか、私は分からないのです」と質問された。
 通訳を介して質問の内容を知ったアダムズは、公の場でそのようなことを女性から聞かれたことがなかったので非常に驚いた。赤面しながらもアダムズは、「我々の中には電力もしくは磁力と似たような身体的特質がある。そういった特質により、直近の距離に対のものが近付くと、針が穴を通るように、もしくは電気実験における2つの物質のようにくっつくのです」と答えたという。

町の名前
 1800年、ニュー・ハンプシャー州のある町がアダムズに因んでアダムズと命名された。しかし、1828年の大統領選挙で息子のジョン・クインシー・アダムズがジャクソンに敗れた後、アダムズはジャクソンに改名された。改名反対に投じられた票は僅かに1票だったという。

独立運動に関する見解
 独立革命当時、王党派と独立支持派がそれぞれどの程度の割合を占めたのかという点は歴史学者によってしばしば取り上げられる問題である。その問題について、「 [エドモンド・]バーク氏がイギリス人の中で計算したように、もし私がアメリカ人の中で派閥の数を計算すれば、3分の1は革命に反対していると言えます」というアダムズの有名な言葉が引用されることが多い。しかし、これは誤った引用である。これは1815年1月の手紙の中にある言葉で、「革命」とはアメリカ独立革命ではなく、フランス革命を指している。
 実際にアダムズはどの程度に王党派と独立支持派の数を見積もっていたのか。その答えは、1813年11月12日付のジェファソン宛の手紙の中にある。アダムズは第1回大陸会議について「3分の1がトーリー党[親国王派]、また3分の1がホイッグ党[反国王派]で、残りは雑多である」と言及している。

ジョン・アダムズ大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究