アメリカ政治外交の本質T―アメリカとヨーロッパ


政治外交とは何か
 一概に政治外交とはとらえることは難しい。政治とは日本語では古くは周旋と言った。政治とは、ある共同体の中で、その構成員全体の総意を醸成し、共同体を規定し維持していく仕組みを作り上げていく不断の行動である。政治と外交という二つの言葉は一枚のコインの両側である。アメリカ政治外交と言った場合、アメリカ政治とは主にアメリカ国内における国内政治を言い、アメリカ外交と言った場合、外交とは主にアメリカ国外における国外政治のことを言う。つまりアメリカ政治外交という一つの言葉で、アメリカがその国家としての方針をいかに内的要因、外的要因に影響されて定めてきたのか、もしくはある一定の方針が内的、外的にそれぞれどのように影響を与えたのか、また内的要因と外的要因の関連はいかなるものかという考え方に基づいている。
 例えばウィルソン大統領は、アメリカの外交の本質について次のように述べている。
「貿易に国境はなく、製造業者が世界を一つの市場とすることを強く求めている以上、製造業者の祖国の国旗が彼の後ろではためていなければならないし、彼の参入を阻んでいる国の門戸を力ずくで開放することも必要だ。その過程で、門戸開放に応じない国々の主権を踏みにじることになるとしても、国務大臣たる者は、投資家が手にした特権を保護しなければならない」と述べた。
 さらにもっと分かりやすい例ではアイゼンハワー大統領は、「外交政策の重大かつ明白な目的は、諸外国で良好な投資環境を醸成することである」と言っている。
 これはアメリカがその国家政策として米国企業が対外投資を行うにおいてその相手先の国で有利な状況を得られるように国家が後押しするということである。つまり、外交は単に国外的要因のみで決定されるだけではなく、このような米国企業の利益という国内的要因でも決定されうるのである。この場合は、国内的要因が国外的要因に波及しているが、むろん反対の例もある。つまり、国外的要因が国内的要因に波及する例である。冷戦期には、黒人の権利を保障した公民権法が成立したが、これは国内的要因だけが原因ではない。アメリカ政府は当時、東側共産諸国の基本的人権侵害をしばしば非難していた。しかし、アイゼンハワー期のリトルロック事件ではアメリカ国内での基本的人権の保障がはたして十分であるのかが世界的に注目された。リトルロック事件というのは、黒人児童が公立学校に白人とともに通学することを阻止しようと白人優越主義者が妨害しようとした事件で、大統領は軍隊を動員して黒人児童を過激主義者たちから保護した。この事件は、東側陣営にとってはまたとないカウンター・プロパガンダのネタとなった。つまり、アメリカは東側陣営を基本的人権侵害でもって非難しているが、自国内ではどうだと。対外的に正義を唱えるためにもアメリカは自国内をも正す必要に迫られたのである。

心理戦争とは何か
 ジョセフ・ナイが提唱したソフト・パワー、ハード・パワーというのはよく知られている言葉である。ソフト・パワーとはアメリカ外交に絞っていえば、親米感情を抱かせるものが代表としてあげられる。ハリウッド映画やアメリカのライフスタイル、文学など世界の多くの人々にアメリカを好ましい国、文化として魅せるという作戦である。アメリカが好ましいと思う人が居れば居るほど外交上有利である。それに対してハード・パワーは軍事力や経済力である。心理戦争というのは、このソフト・パワーに着目した諸戦略である。アメリカが冷戦に勝利できたのは、ハード・パワーのみによってではない。ハード・パワーのみに頼ればどのような結果が待ちかまえていたか。それは国民経済の破綻である。特に軍拡競争は冷戦の恒常化に伴い絶え間ない国家支出の増大を招く。ハード・パワーは主に物質的手段であるからそれを増大させるには国家財政の支出によるしかなく、国家財政を最大限に増加させようと思えば税率を上げ、国家が国民に果たすべきサービスや商業振興を削減するしかない。結果的にそれは国民経済の破綻をまねく。それに比べソフト・パワーは必ずしも物質的手段によるものだけではなく精神的手段によるものであるから国民経済に与える損害は軽微ですませることができる。アメリカが、国民経済を破綻させずしかも冷戦に勝利できたのはこのソフト・パワーの活用にある。
 これは何もジョセフ・ナイが最初に考え出したものではない。中国古代においても「王道と覇道」を交えるという言葉がある。王道と覇道はともに国家を治める術である。王道とは国民を徳政すなわち為政者が徳を示すことにより百姓(ひゃくせい)を導く政治である。一方、覇道は力政(りょくせい)すなわち為政者が権力でもって百姓(ひゃくせい)を統御する政治である。本来は帝道、王道、覇道がある。帝道は為政者が徳を示さなくても百姓(ひゃくせい)自ら徳目を持ち自然に治まる状態を言う。これはまさにソフト・パワーとハード・パワーだと言える。ここで古代中国を引き合いに出すのは、現在のアメリカを見る一つの歴史的教訓となるからである。覇道で全中国を統一した秦は統一後一世も経ずして滅びた。王道で全中国を統一した周は衰えたりと雖も八百年の長きにわたり命脈を維持した。王道と覇道を交えた漢は前後四百年にわたり栄えた。覇道すなわちハード・パワーだけに頼る国家は命脈を永えることは難しいということである。それは何故か、政治というのはどんなに機構化しても本来は人間の営みに帰するものであるからである。このようなハード・パワー、ソフト・パワーという視点で見ると今のアメリカはどうであろうか。
 話を心理戦争に戻します。心理戦争といった場合、行為の主体は誰か、行為の対象は誰か、行為の目的は何かという三点が問題になる。まず行為の主体は国家である。行為の対象は、主に国民と潜在的敵対者である。行為の目的は自国の行為の絶対的正当化である。つまり、心理戦争とは、大義では、継続的なプロパガンダにより国民を馴化し、国家の目的に国民からの支持を集めることである。何故そのようなことが必要だったのか。それは冷戦というものはアメリカが歴史上体験したことの無い全く未経験のできごとであったからである。冷戦は、直前の戦争である第二次世界大戦とは全く異質のものであった。第二次世界大戦でも実はプロパガンダによって国民を喚起させ総力戦を戦ったという経験がある。それは我が国でも米英鬼畜といって敵国を憎むように教えられたのと同じである。アメリカは自由主義対全体主義という対立基軸を自ら打ち出していた以上、強制労働や徴用により戦時経済をまかなうことができなかった。それ故、国民の戦意を高揚し、自発的に戦時経済に移行させるように仕向ける必要があったのである。冷戦が第二次戦争と異質な点は、恒常化という点にある。第二次世界大戦は、全体主義の撲滅において実際に戦争が起きており、その目的に対応する手段は明確であった。戦力でもって敵国を降伏させればその目的は達成される。国民にとって目的とそれを達成する手段が非常に分かりやすく納得しやすい。ところが冷戦は、東側陣営と西側陣営の軍事力が相互完全破壊を可能とするまで、つまり共倒れになるところまで高まっており、戦力、戦争という手段により問題を解決できず、冷戦はアメリカにとって共産主義の全世界支配阻止、もしくは打倒という明確な目的を持ちながらもそれに対応する明確な手段を示すことができなかった。そのため冷戦は恒常化、つまり日常的なものになったのである。第二次世界大戦では終わりがはっきりしていたので国民は緊張して国家目的のために精励することができた。しかし、冷戦では終わりがはっきりしないことが徐々に明確になった。たとえればいかに強健なマラソン走者であれ、決まった距離を走るからこそその中で全力を出し切れるのであって、終わりが分からないマラソンだと全力は出し切れないはずである。冷戦体制を維持するために国民を不断に喚起し続けることが必要であったのである。マラソンのたとえをさらに援用すると、そのマラソン走者の背後に恐ろしい津波が迫っているとしたらどうでしょう。実際その津波が虚報であっても、マラソン走者はどこまで走ればよいのか分からなくても必死に走るでしょう。アメリカは冷戦体制を維持するためにまさにそのようなことを行っていたのです。またこの心理戦争は国民に対してだけでなくVoice of Americaといった海外向けラジオ放送で、積極的に言葉でもって東側陣営と刃を交えていたのである。
 では私はどのようにこの心理戦争をとらえようとしているのか。その材料は大統領の演説である。大統領の言葉は言語という名の武器である。大統領の声は最も強力な広告塔である。世界でも最も注目される声の一つがアメリカ大統領の声だからである。国外に向かっては冷戦におけるアメリカの大義を喧伝し、国内に向かっては冷戦を維持するべく国民を喚起させる。大統領の演説は、細心の注意を払って誰にどのような効果を与えるのか慎重に吟味されて作文されている。つまり、その作文する裏側を知ることでアメリカ政府はどのような心理的効果を国民に及ぼそうとしていたのか知ることができる。
 そうしたことを研究するためにはアメリカ政治外交自体の動向も知る必要がある。アメリカ政治外交の動向をとらえるためには、アメリカ政治外交を貫く本質を知るべきである。日本では一口に「欧米」と一くくりにすることが多いが、アメリカとヨーロッパではその政治外交の本質は大きく異なる。先ずその比較を通じてアメリカ政治外交の本質を見極めたい。

ヨーロッパ政治外交
 根本は勢力均衡。地政学的観点からアメリカとヨーロッパは大きく異なる。ヨーロッパはヨーロッパ大陸に多数の民族・国家が犇めき合っている。それに比べアメリカは、北米大陸でほぼ単一的な地位を保つことができる。まずそのような地政学的観点の違いを考慮する必要がある。ヨーロッパはアメリカ建国よりもはるか前より権謀術数を繰り返してきていますから政治外交の原点があると言えます。何よりも勢力均衡、バランス・オブ・パワーの概念が発達しました。バランス・オブ・パワーとは、複数のグループがそれぞれの軍事力で均衡を保ち、一つのグループが他を圧倒できないようにする体制である。集団安全保障体制の違いはどこにあるのか。集団安全保障体制(collective security arrangement)とは、単一のグループ(例えば国連)を形成し、その枠内で違反者を他のものが一致協力して処罰するという体制。NATO(North Atlantic Treaty Organization)はバランス・オブ・パワーでもあり、集団安全保障体制でもあった。つまり、WTO(Warsaw Treaty Organization)との関係で見ればバランス・オブ・パワーだが、NATO加盟国内で見れば集団安全保障体制である。ヨーロッパの政治外交の本質は、バランス・オブ・パワーをいかに保つかが主題であった。特に十五世紀の英仏百年戦争終結後、イギリスは自国の安全保障のためにヨーロッパ大陸が単一の勢力で統一されないようにバランス・オブ・パワーを保つバランサーの役割を果たした。その観点からヨーロッパの外交を見ると整理しやすい。一方でアメリカは、バランス・オブ・パワーを取る必要はなかった。

アメリカ政治外交の特質
ヘンリー・キッシンジャー『外交』
 「アメリカの特異性はその歴史を通じて生まれたものであり、それは外交政策に二つの相反する姿勢をもたらすこととなった。第一は、自国内の民主主義を完璧なものにすることによって、世界全体への“理念”の燈台となることが、アメリカの信じる価値観に最も合致するという考え方である。第二に、アメリカの価値観は、世界の人々のために自らが十字軍戦士として働くことを義務付けているという考え方である。汚れのない過去へのノスタルジアと、全く理想的な未来に対する強いあこがれの間に身をさかれたアメリカの思想は、孤立主義とコミットメントの間を揺れ動いてきた。しかし、第二次世界大戦の終結以来、国際関係の相互依存の現実が優位を占めている」
 孤立主義(isolationism)と国際主義(internationalism)。前者は、アメリカ以外の世界からアメリカ自体を閉ざし、アメリカを守ろうとする考え方。後者は、アメリカの価値観を積極的に世界に広めようとする考え方。孤立主義が生まれたのは、アメリカ独立戦争がもともとヨーロッパ列強の勢力争いの狭間をぬって達成されたものだから。アメリカは建国当初、今では考えられないことだが、非常に弱体な国家であった。そのアメリカにとって至上命題は、自国を外国の干渉から防衛することであった。アメリカ建国当時の18世紀後半、人口は僅かに400万(当時の日本、フランスは3000万、イギリスは650万)であった。国力というものは現代よりも人口の多寡によるものが大きいので、この400万という数字(現在は3億と言われている)を見ればいかに弱体な国家であったか分かると思います。
モンロー・ドクトリン(1823年)。世界を西半球と東半球に分け、アメリカは自らが属する西半球からヨーロッパの勢力を排除しようとした。次回で述べる二十世紀に入る前、アメリカは西半球を自国の勢力圏と策定し、それを明白な政策として打ち出していた。代表的な例は、米西戦争(1898年)とパナマ運河開削(1903年)である。米西戦争では、スペインの影響力を西半球から排除した。キューバを保護国化し、フィリピンを植民地化した。パナマ運河開削により、太平洋と大西洋が連結されアメリカの軍事的・経済的影響力が強まった。こうしたアメリカの方策はどちらかというと孤立主義に根差したものである。ヨーロッパの紛争からアメリカを隔離するために西半球に自国の勢力圏を作り上げ、あらゆる影響を排除しようとしたのである。国際主義は、次回に説明します。

[参考]

ナンシー・スノー 『プロパガンダ株式会社 アメリカ文化の広告代理店』明石書店。
ヘンリー・キッシンジャー 『外交』日本経済新聞社。
キッシンジャーは、経済学者のガルブレイス、ついこの間亡くなった歴史家のアーサー・シュレジンガーと並んで著名な知識人。ドイツからアメリカへ渡りハーバード大学を最優等で卒業。大統領補佐官、国務長官を歴任。ノーベル平和賞受賞者。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究