トルーマンの時代U―トルーマン・ドクトリン


トルーマン・ドクトリン直前
 トルーマン・ドクトリンの発表は、政権の内幕を知らない者にとって唐突なものであったかもしれない。トルーマン・ドクトリンの発表の六日前、トルーマンはテキサス州のベイラー大学で外交に関する講演を行っている。その演説の締め括りは以下のようであった。

資料T
「平和と自由はたやすく達成されるものではない。力によって達成されるものではない。政治経済において、相互理解と協調、そしてすべての事柄に関してすべての友邦を公平に扱うことが平和と自由を生む。今、そして未来にかけて、そうすることを決心しよう。もし他国が[我々と]同じようにするなら、我々は永久平和と世界平和という目標を達成することができる」

 この論調からは、六日後のトルーマン・ドクトリンで示されたような民主主義と共産主義の対立構図は浮かび上がってこない。ただ「我々は経済界における巨人である。我々が好むか好まざるかを問わず、経済関係の将来は、我々にかかっているのである。世界は、我々がなすことに注目している。我々は選択しなければならない。我々は、諸国を経済平和に導くことも、諸国を経済戦争に突入させることもできる」という言葉は、トルーマンの心情の一端を垣間見せてくれているようにも思える。

トルーマン・ドクトリンの基本構造
 アンダーヒルもトルーマン・ドクトリンの基本構造について言及している。その基本構造とは、以下のような三段論法であるという。

1、ソ連の行動は何であれ世界征服計画の一環である。
2、ギリシアとトルコへの危機はソ連の行動によるものである。
3、それ故、ギリシアとトルコへの危機は、世界征服計画の一環である。

トルーマン・ドクトリンの当初の目的
 トルーマン・ドクトリンは本来、ギリシアへの援助の必要性を訴えることが目的であった。もちろん、アメリカはギリシアに対してトルーマン・ドクトリン発表以前から援助を行っていなかったわけではない。経済的にも政治的にも混迷を深めていたギリシアに、1946年1月、合衆国輸出入銀行が2500万ドルの借款を与え、さらに1946年7月、国連救済復興機関が総計3億5800万ドルの援助を約束している。1946年8月の段階では、もはやギリシアに対するさらなる援助は不要で、議会に追加予算を求める必要はないとアチソン(Dean Acheson)国務次官は提言している。さらにアチソンは、ギリシアが自力で経済的、政治的混迷を収拾しようと努力するまではさらなる援助を約束するべきではないと述べている。しかし、1947年2月21日、イギリスがギリシアへの軍事的、経済的援助を六週間以内に打ち切る旨をアメリカに通達した。このイギリスによる通達がトルーマン・ドクトリン発表の直接の契機である。
 その三日後の2月24日、国務省と軍の主要メンバーが出席した会議で、ギリシアとトルコがソ連の影響下に入れば、欧州や中東までも脅かされるようになるという認識が確認され、何らかの対処策が必要であるとの結論が出された。この時点では、そうした事態が合衆国の安全保障に重大な影響を及ぼすと指摘されたが、ではいったいどのような影響があるのか説明は十分ではなかった。そのうえ、もしギリシアとトルコに援助を与えなければ民主主義と自由を危機にさらすことになるといった論理や全体主義、もしくは共産主義といった言葉はまだ導入されていなかった。

アチソン国務次官の活躍
 同月27日、議会指導者を招いた会議で、先ず初めにマーシャル国務長官が援助の必要性について説明を行った。しかし、マーシャルの説明は簡潔で無味乾燥なものであったので、議会指導者にたいした感銘を与えることができなかった。議会指導者達からは、「これはイギリスが放棄した火中の栗を拾うことになるのではないか」、「何に賛成せよと言うのだ」、「どれくらいの犠牲を払わなければならないのか」といった質問が相次いだ。そこで会議に同席していたアチソン国務次官は、マーシャルを通じて大統領に発言の機会を求めた。発言の機会を与えられたアチソンは、ギリシアとトルコの事態の吉左右が、いかにアメリカの安全保障に影響を及ぼすのか説明した。
 もしソ連がトルコを掌握することに成功すれば、ギリシアやイランにも勢力を拡大させるであろう。それだけでなく、ギリシア自体でも共産勢力が、もし外部から支援を得ることができれば、全土の支配権を握ることになる。もしギリシアが共産勢力の手中に落ちたら、トルコは遅かれ早かれ屈服させられることになる。ソ連の目的は、東地中海と中東の支配であり、その野望は南アジア、アフリカと際限なく広がっていく。もはやイギリスは世界の大国ではなく、アメリカとソ連だけが世界の大国なのである。両国は全く相容れないイデオロギーを持っている。アメリカは、ソ連の侵略や共産主義者の破壊活動に脅かされている諸国を支援しなければならない。それは単にイギリスの放棄した火中の栗を拾うことではなく、アメリカの安全を守り、自由そのものを守ることなのである。もしソ連が世界の四分の三の人口と三分の二の領土を手に入れてしまえば、アメリカと世界の自由の命運は風前の灯となる。ギリシアとトルコになぜ援助するべきなのか。それは、イギリスが果たしてきた役割を肩代わりすることでもなく、同盟国への人道的な措置でもない。共産主義に対抗するために自由諸国を強化することで、結果的にアメリカの安全と自由を守ることになるからである。
 議会指導者達はこのアチソンの訴えに大きく揺り動かされた。そして彼らは、大統領自身が議会と国民に状況を完全に説明するのであれば、どんな手段を採るにしろ、支持を惜しまないと約束した。大統領はそれに応えて議会と国民に関して演説を行なうと確約した。
出席者の一人であるヴァンデンバーグ上院議員(Arthur H. Vandenberg)は、この時の感想を次のようにまとめている。

資料U
「正直に言うと、私はすべての事実を知らないので最近のギリシア情勢に対してどのように答えればよいのかわからない。私は何か言う前に事実[が知らされるの]を待っている。だがギリシア問題が個別的なものではないということは十分認識している。それどころかギリシア問題は、東側の共産主義と西側の民主主義のイデオロギー的衝突を象徴している。そしてギリシア問題に対して、我々は遠大で当に運命的な決定を下す必要がある」

トルーマン・ドクトリンの草稿作成過程
 3月3日、国務省のスピーチライターのジョーンズ(Joseph M. Jones)が演説草稿の作成を開始した。この時点では、ホワイトハウスのスピーチライター陣は草稿作成に関わっておらず、国務省内部だけで草稿作成が行われている。ジョーンズは随時アチソンの指摘を取り入れながら草稿を修正していった。その草稿は、3月7日になって初めてホワイトハウスに送付される。
ジョーンズが作成した3月4日付けの草稿では、「二つの選択可能な生き方」を述べた部分、ギリシアとトルコの現状を分析した部分、そして最後の議会への要請の部分が早くも出揃っている。この草稿で特に注目に値するのは、次のフレーズが削除されている点である。

資料V
「自由な人々の世界を維持しようという我々の政策とは、すなわち、ファシストであれ、ナチスであれ、共産主義者であれ、他国に独裁体制を押し付けようとする者のいかなる種類の侵略行為にも我々は抵抗することである」

 このフレーズは何故削除されたのか。草稿作成過程にケナンが関与していた。ケナンは、様々な状況に柔軟に対応できなくなる恐れがあるので、苦境に陥っている自由諸国をアメリカが援助するという普遍的な政策を公表することに反対していた。フレーザーは、このケナンの反対は結局受け入れられなかったと述べているが、上記のフレーズの削除には、このケナンの反対が反映されているように思える。
 3月7日の閣僚会議以降、ジョーンズの草稿にクリフォードとエルシー(George Mckee Elsey)の手が加えられた。エルシーは、クリフォードと並んで、トルーマン政権下で活躍したスピーチライターである。アンダーヒルは、「ジョージ・エルシーがトルーマンのスピーチで果たした役割は、『補佐官』という肩書きが示す以上のものであった」とエルシーの業績を高く評価している。トルーマン自身は丁度この頃、メキシコへ外遊していたので草稿作成についてほとんど関与していなかった。草稿作成段階の随所で承認を与えていたとはいえ、トルーマンは3月10日までその詳細を把握していなかった。
 演説草稿を見たエルシーは、同日、クリフォードにその内容についてコメントを書き送っている。エルシーは、「極端な」演説を行なうことは時期尚早であると述べている。その理由として、第一に準備に要した時間が不十分であること、第二に最近のソ連の行動の中で適当な口実に使えそうな表立った行動が特に見当たらないこと、第三に国民はまだ演説を受け入れる準備ができていないので事前の誘導が必要であること、第四にモスクワ外相会談を頓挫させる可能性があることの四つをエルシーは挙げている。最後にエルシーは、「以上の理由から、私は来週のメッセージは、範囲を絞るべきだと思う。私は『アメリカが欧州復興の責を担う』という主題を[選択することを]推奨する」と付け加え手紙を締め括っている。
 エルシーの意見は結局演説草稿に反映されることはなかったが、トルーマン・ドクトリン公表に関して政権内部の一部で慎重論があったことがうかがえる。また外相会談のためモスクワに向かっていたマーシャルは、パリで草稿を受け取り、「演説の中の反共主義が激烈過ぎる」と評したが、結局、若干の訂正を除いて承認を与えている。
 ただ、「極端な」演説に最も積極的なアチソンでさえも、トルーマン・ドクトリンの公表により、マッカーシーに代表されるようなヒステリックな反共主義を誘発することを憂慮していた。極言すれば、議会にギリシアとトルコへの援助を認めさせるのに十分な「共産主義の脅威」さえ表現できればよかったのである。
 3月7日付の草稿と最終稿を比較すると、クリフォードとエルシーがどのような手を加えたか浮かび上がってくる。まず大きな違いは、論の展開である。3月7日付の草稿では、導入部分、「二つの選択可能な生き方」、世界に及ぼすその影響、ギリシアとトルコの情勢、議会への要請という順序で論が展開されている。一方、最終稿では、導入部分、ギリシアとトルコの情勢、「二つの選択可能な生き方」、世界に及ぼすその影響、議会への要請という順序で論が展開されている。こうした論の展開に関する変更は、演説の主題をギリシアとトルコに限定するか、それともアメリカの世界政策の中にギリシアとトルコの情勢を位置付けるかという選択に即して行われている。3月7日付の草稿では、まだ主題がギリシアとトルコの情勢に限定されているように感じられ、アチソンはその点を修正するように指示している。アチソンが修正を指示したのは、演説の主題をギリシアとトルコに限定した場合、議会を納得させるのには不十分であると考えたからである。
 導入部についてもクリフォードとエルシーは多くの変更を加えている。3月7日付の草稿では導入部分は以下の通りである。

資料W―A
「今日、私は、我が国の外交と安全保障に影響する重大な問題に関する考察と決断を求めるために議会に臨席している。イギリス政府は、合衆国政府に、ギリシアへの経済援助を続けられなくなるということを伝えてきた」

 代わって最終稿では導入部分は以下のように変更されている。

資料W―B
「今日の世界が直面している重大な状況により、私は両院合同会議に出席を余儀なくされた。我が国の外交と安全が関わっている。私は今回あなた方に現在の難局の一面に関する考察と決断を求めているのだが、それはギリシアとトルコのことである」

 前者と比較して、緊迫度がさらに増していることが読み取れる。こうした変更は、聴衆をいかに演説に引き込み、危機を認識させるかという問題意識を基にして行われている。導入部分の変更に加えて議会への要請の部分についても変更が多く加えられている。3月7日付の草稿では、議会への要請の部分は以下のように始まっている。

資料X―A
 「それ故に、トルコに援助を与えるべきであるというのが私の意見である。我々は[トルコに]そうした援助を与えうる唯一の国である。そしてそうすることが我々の大きな利益となる」

 最終稿では、以下のように変更されている。

資料X―B
「この宿命的な瞬間に、我々がギリシアとトルコに援助を与えなければ、その影響は東洋だけでなく西洋にも遠く及ぶだろう。我々は迅速かつ決然とした行動を起こさなければならない」

 この最終稿の表現を見るとわかるように、「私の意見」という言葉が削除され、全体的に強く断定する調子に改められている。断固たるトルーマンの決意が読み取れる部分であり、それに続く議会への要請の部分を際立たせている。
次は最終稿、すなわち実際に発表されたトルーマン・ドクトリンの文言をさらに詳しく分析していく。

トルーマン・ドクトリン最終稿の内容
資料Y
「最近、世界の多くの国々の人民が、彼らの意思に反して全体主義政権に支配されることになった。合衆国政府は、ヤルタ協定違反やポーランド、ルーマニア、ブルガリアにおける圧制と恫喝に度々抗議してきた」

 トルーマンは、譲歩としてソ連を名指しで批判することを避けている。しかし、「全体主義政権」とは共産主義政権のことであり、「ヤルタ協定違反」をしているのはソ連であることは聴衆にとって容易に理解できることであったに違いない。この「ヤルタ協定違反」は、草稿作成段階の後のほうで付け加えられたものである。

資料Z
「世界史上の現時点では、あらゆる国々は、二つの選択可能な生き方から一つを選ばなければならない。選択されるのはしばしば自由な生き方ではない。一つの生き方は、多数者の意志に基づき、自由な国家制度、代議政府、自由選挙、個人の自由の保障、言論と信教の自由そして政治的抑圧からの自由などで特徴付けられる。もう一つの生き方は、少数者による多数者の抑制に基づく。それは、恐怖と抑圧、出版、ラジオの統制、固定選挙そして個人の自由の抑圧に基づいている。自由な人民が外国の圧力や武装した少数者によって仕組まれた服従に抵抗するのを援助するのが、合衆国の政策でなければならないと私は信じる」

 もちろんここで言及されている「二つの選択可能な生き方」とは民主主義と共産主義であることは疑いようもない。自由というアメリカ人にとってお馴染みの伝統的理念を持ち出し、それがあるかないかで、善悪の判断を行うという非常に明白で分かり易い構図を打ち出している。さらに七ヵ月後の演説の中では、「今、世界には二つのイデオロギーがある。我々は、合衆国憲法の下にあり権利章典を有している。個人の権利は、我々の政体を構成するにあたって最も大事なものである。一方のイデオロギーは、個人は国家の奴隷であり、国が命じるところに送られ、命じるが儘に行い、命じるが儘に動くと信じている」と述べ、自由対奴隷というさらに深化させた構図を示している。自由とネガティヴな何かを対置させる手法は、パトリック・ヘンリー(Patrick Henry)の「自由か死かの演説」以来、踏襲されてきた手法である。

資料[
「全体主義政権の種は貧困と欠乏の中で育てられる。この種は貧困と紛争の悪しき土壌の中で成長し拡散していく。この種は、よりよい生活への人民の希望が絶たれた時に最も成長する。我々は我々の希望を生かし続けなければならない。世界の自由な人民は、彼らの自由を維持するために我々の援助を期待している。我々がリーダーシップをとることに躊躇するならば、世界の平和を危険にさらすことになり、我が国の繁栄をも危険にさらすことになる」

 この部分は草稿作成の最終段階で付け加えられた部分で、全体主義を「貧困」の側に、民主主義を「繁栄」の側に位置付けることにより、全体主義から民主主主義を守る手段としての援助を正当化している。さらに援助は自由のために行われるものだとして、援助の道義的な側面を強調している。そして、世界の平和が損なわれればアメリカの繁栄も損なわれるという一種のドミノ理論を展開している。
 トルーマン・ドクトリンの本来の目的は、財政援助のための予算を議会に認めさせることであり、共産主義の脅威を訴えることは主目的ではなかった。そもそも「トルーマン・ドクトリン」という名前自体、演説後にモンロー・ドクトリンになぞらえて新聞各紙でそう呼ばれるようになったにすぎない。実は「ドクトリン」という言葉さえも演説本文中にはない。チャーチルの「鉄のカーテン」演説のように、演説全体のタイトルとなるような文句が演説中になかったために「トルーマン・ドクトリン」という無骨な名称が冠せられるにいたったのである。



質疑応答・感想


諸君の質問&コメントを読んで私が考えたことは、人間が作ったものはいずれ同じく人間によって毀たれるということです。社会も人間が寄り集まって作ったものだから、同じく人間によって是正することは可能だと思います。また「一利を興すは一害を除くに如かず(制度を改革する場合、良い点を一つ加えるよりは悪い点を一つでも減らすほうがよい)」という言葉もあります。それを実現するのが政治の役割だと思います。
 格差に関する最たる問題点は、社会の多くの成員が意気阻喪することにあると私は思います。目の前にたちはだかる壁が誰にも越えられないものであればやる気を失う人もたくさん出てくるでしょう。
 アメリカにも十九世紀後半から二十世紀前半にそういう時代があり、セオドア・ルーズベルトは社会での公正なる競争を保障するべきだという施策を打ち出しています。アメリカは、百年前と同じくまた再びそういう施策を打ち出すべきかもしれません。一つのアメリカになるために。

Q、先生は民主党のエドワーズ上院議員の演説などどのようにして知ったり、情報を手に入れたりするのですか?
A、今は便利な時代ですから海外メディアの報道で様々なことを知ることができます。最近の大統領の演説は、電子上でもPublic Papers of the Presidents of the United Statesで公開されています。

Q、今でもスピーチライターが大統領演説を作っているのですか?
A、現在ではスピーチライターが公然と認められるようになり、高度に専門化しています。

Q、ソ連と米国の対立の仕方をアメリカの目線からずっと見てきているが、ソ連はどう考えどう政策をおこしたか?
A、私の関心領域は、真実を知るのではなく、ただアメリカがソ連の姿をどうとらえ、どのように対処しようとしたのか調べることにあります。例えばソ連の核兵器について考えてみましょう。ソ連が核兵器を実際100保有していたとします。しかし、アメリカはソ連の核兵器保有数を150と見積もったとします。するとどうでしょう。アメリカは自国も核兵器を150保有しようとするかもしれません。つまり、アメリカが政策を構築する際に、真実に基づくのではなく自らの観点を加えた事実をもとに構築するわけです。私はそうした過程を研究しているわけです。Fere libenter hominess id quod volunt creduntとカエサルは言いましたが、まさにその通りで、真実ではなく人が見ようとする事実こそが重要なのです。

Q、上流の人の所得は上がるのになぜ下流の人の所得は下がりもせず上がりもせず変わらないかが分からない。
A、先ず下がらないのは、これ以上下がる余地がほとんどないからです。上がらないのは所得再配分が機能不全をおこしているからでしょう。

Q、具体的に何をしたら格差は縮まるのですか?
A、それが全て分かればノーベル経済学賞が取れますよ。

Q、スラムの問題も格差社会と関連しているように思えるのですが実際はどうなのですか?
A、アメリカ全土の所得分布図を作ると見事に傾向が現れたそうです。つまり、都市中心域は低所得者がスラムを形成し、郊外周辺域に高所得者が居住するという傾向です。居住域と格差社会は関連しているでしょう。

Q、1945年の終戦からアメリカとソ連は国交があったのか?
A、それ以前にアメリカはソ連を正式な政権として承認しています。

Q、トルーマン・ドクトリンはスピーチライターが三人も集まって慎重に言葉を用いて修正されているのになぜドクトリン発表後国民に反共のメッセージが伝わってしまったのか?
A、ドクトリンはもともと議会で行われた演説で、聴衆である議員に援助の有用性を納得させる必要があり、共産主義の脅威を過度に強調する必要があったという背景があります。それを国民がラジオやテレビを介して聴いて反共に沸き立ってしまったのです。トルーマン政権は、ドクトリン発表後、反共の行き過ぎを反省し、ドクトリンは反共を目的にしたものではないと繰り返し弁明しています。

Q、日本の首相演説もこういうことがなされているのだろうか?
A、日本の首相演説も速記録が残されていますし、様々な資料があるので調べれば分かるかもしれません。

Q、日本ほど格差がない国はないとおっしゃる方もいらっしゃるので実情はどうなのでしょう?
A、私が今まで行った国の中で見ると、日本は格差が少ない方だったと思います。

Q、中流や下流の人々がどうにかして富や権力を得ることはできないのですか?
A、それでは革命になってしまいます。革命は社会の矛盾を一気に解消する一つの手段ですが多くの無辜の民の血が流れることになります。「一利を興すは一害を除くに如かず」です。

Q、アメリカの高所得者が全国民の半分の所得を得ているのは本当ですか?富裕層と高所得者の違いはありますか?
A、高所得者をどの程度のレベルにするのかによります。ただ上位数百位の富裕層が信じられないくらいの富を独占しているのは事実だと思います。富裕層とは、例えば先祖伝来の不動産がある場合もあるので必ずしも高所得とは限りません。しかし、ほぼ富裕層=高所得者でしょう。

Q、アメリカが民主主義の象徴であるというイデオロギーが議員によって共有されていたということか?このような時にレトリックのパワーが発揮されると考えるべきか?
A、アメリカが民主主義の手本であるという考え方は講義でも説明したように一般に流布した考えでした。レトリックは大統領が国民に影響を及ぼすのに用いる最強の武器だと私は考えています。

C、大切なのはそこから「何故格差は生まれるのか?」、「何故格差は日本社会に悪影響を与えるのか?」と考察することにあると思う。そういった面ではこの授業は生徒に対して考えさせることをしばしばせまるので有意義だと思います。
A、大学教育は、学生が自ら考える機会を与えることだと私はいつも思っています。講義では私が話を進めていくのをただ漫然と聞くのではなく、次はこうなるだろうと考えながら聞いて下さい。思考力の鍛錬です。

C、ここまで格差社会という言葉が世間で騒がれているのは中流階級の消滅があげられるのではないかと思う。上流階級と下流階級といった二つの階級だけの二極分化が進んだ結果なのではないかと自分は考えます。

C、格差が存在することで人々の間に努力する意識が生まれ社会の活力を維持できると思う。

C、現在の日本は小さな政府を目指すあまり格差を是正する効果のある社会福祉制度を削り過ぎている。今の日本には社会的弱者を補助する制度の強化が必要だ。

C、層の固定化というのはいかがなものだろうか。努力は実らないという誰も頑張らないのでは?

C、政治や経済などの社会の仕組みこそが人の良心よりもみなが安心できることの実現に可能性があるのかもしれない。
A、まさにそれが政治の本質です。

C、格差の問題は一つ一つの国の問題であるし、南北問題のように全世界の問題でもあります。

C、「努力した人がお金をもうける」という公平なシステムを維持しつつ格差を広めない、水準を上げる方法を探す必要がある。

C、国家として必要なのは社会の安定であり、社会の安定のためには多数の中流階級が必要となる。
A、絶妙好辞。

C、以前に社会主義が完全に行き詰ったのと同様に資本主義も行き詰ってしまう前兆なのではないかと思う。

C、生まれながらにして環境や受けれられるサービスが制限されるというのは将来を担う子供たちにとっても全くよいものではないと思います。

C、むしろ「格差社会」を問題視している政治家が差を作り出していると思う。

C、格差社会(日本)での問題で一番考えるべきことは医療費の改正にともなって六十五歳以上の人も負担が増えたこと。こうなると持たざる者はどんどん社会から無視されていくと思う。

C、レトリックをひもとくことがアメリカの当時の最も核心的な部分に迫るということだと思うので少しドキドキする。
A、私もそう思いながら研究をしています。

C、親の収入が子の収入に反映されることはには納得しました。教育にも格差はあります。勉強したくても、行きたい学校にお金が払うことができず別の学校を選んだり院に行けなくても行けなかったり海外に行きたくても行けなかったりと子供教育にもお金の問題がからんできます。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究