ジェームズ・マディソン大統領関連資料書庫


ボストン茶会事件以後の情勢について(1774年1月24日付)
ヴァージニア権利章典修正第1稿(1776年5月27日)
宗教のための課税に対する抗議と請願(1785年6月20日)
ワシントンに示した憲法制定会議の議事案(1787年4月16日付)
ヴァージニア案(1787年5月29日)
マディソンの議事録 (1787年6月6日)
憲法案について暗号でジェファソンに伝えた手紙(1787年9月6日付)
マディソンの議事録 (1787年9月17日)
『フェデラリスト』10篇「派閥の弊害とその匡正策」(1787年11月22日)
『フェデラリスト』14篇「広領域連邦に対する反対論の検討」(1787年11月30日)
『フェデラリスト』18篇「古代ギリシア諸同盟の考察」(1787年12月7日)
『フェデラリスト』19篇「ドイツ、ポーランド、スイスの連邦原理とその傾向」(1787年12月8日)
『フェデラリスト』20篇「ネーデルランド連合の原理と傾向」(1787年12月11日)
『フェデラリスト』37篇「憲法会議の直面した困難」(1788年1月11日)
『フェデラリスト』38篇「憲法案に対する批判の一般的検討」(1788年1月12日)
『フェデラリスト』39篇「憲法案の共和主義的性格」(1788年1月16日)
『フェデラリスト』40篇「憲法会議の権限弁護論」(1788年1月18日)
『フェデラリスト』41篇「連邦政府の権限―軍事権、課税権、通商規制権など」(1788年1月19日)
『フェデラリスト』42篇「外交権、州際問題統制権など」 (1788年1月22日)
『フェデラリスト』43篇「その他の権限―非批准州との関係」(1788年1月23日)
『フェデラリスト』44篇「必要かつ適当条項など」(1788年1月25日)
『フェデラリスト』45篇「連邦権限が州権に危険でない理由」 (1788年1月26日)
『フェデラリスト』46篇「連邦政府より州政府が有力な理由」(1788年1月29日)
『フェデラリスト』47篇「権力分立制の意昧」 (1788年1月30日)
『フェデラリスト』48篇「立法部による権力纂奪の危険性」(1788年2月1日)
『フェデラリスト』49篇「権力纂奪防止策」(1788年2月2日)
『フェデラリスト』50篇「違憲に対する監察」(1788年2月5日)
『フェデラリスト』51篇「抑制均衡の理論」(1788年2月6日)
『フェデラリスト』52篇「下院議員選挙規定」(1788年2月8日)
『フェデラリスト』53篇「下院議員の任期」(1788年2月9日)
『フェデラリスト』54篇「下院議員数の各州割当基準」(1788年2月12日)
『フェデラリスト』55篇「下院議員総数の適否」 (1788年2月13日)
『フェデラリスト』56篇「各種利害把握に適当な下院議員数」(1788年2月16日)
『フェデラリスト』57篇「少数者支配説に対する反論」 (1788年2月19日)
『フェデラリスト』58篇「人口増に応ずる下院議員増」(1788年2月20日)
『フェデラリスト』62篇「上院の組織」(1788年2月27日)
『フェデラリスト』63篇「上院議員の任期の長さ」 (1788年3月1日)
権利章典についてジェファソンに論じた手紙(1788年10月17日付)
憲法批准会議での弁論(1788年6月24日)
憲法修正に関する見解(1789年1月2日付)
マディソンの修正原案(1789年6月8日)
ナショナル・ガゼット紙に投稿した小論(1792年4月2日付)
ヘルヴィディウスの筆名による小論(1793年8月24日) 
ジェイ条約に関してモンローに宛てた手紙(1795年12月20日付)
ヴァージニア決議原案(1798年12月21日)
戦争教書(1812年6月1日)
ブレーデンズバーグの戦いに関する覚え書き(1814年8月24日)
講和条約に関する教書(1815年2月18日)
ジェファソンの死を惜しむ手紙(1826年7月6日付)
ドリーからマディソンに宛てた手紙(1805年11月1日付)
ホワイト・ハウスから妹に送った手紙(1814年8月23日付)
マディソンからドリーに宛てた手紙(1814年8月27日付)

歴代アメリカ合衆国大統領研究