リンカンのエピソード


子供妻に悩まされる
 「子供妻」と呼ばれたリンカーン夫人には浪費癖があり、僅か4ヶ月の間に300着もの手袋を買ったり、贅沢な紫檀製のベッドを買ったり、リンカーンの知らぬ間に新しく豪華な馬車を買ったりすることもあった。
 また友人によるとリンカーンも随分と感じやすい人間だったようで「女のように優しく、そして穏やか」だったという。妻メアリと言い争いになった時も何も言い返さず逃げてばかりいた。休息するように別の友人から勧められた時も「休息することが身体のためにはいいだろうとは思います。しかし私の疲れた部分は内部に、手の届かない所にあるのです」と言っている。南北戦争という未曾有の国難を抱え、また「子供妻」メアリに悩まされる日々ではこういう発言が出ても何も不思議ではない。

数奇な運命をたどった息子
 父リンカーンの暗殺を体験した息子ロバートはその後、数奇な運命をたどっている。父リンカーンの暗殺を体験しただけならまだしも、他にも2人の大統領の暗殺を間近で体験している。1881年7月2日朝、その当時、ガーフィールド政権の閣僚の一員であったロバートは大統領の旅行に同行しようと駅まで出向いた。ジェームズ・ガーフィールドはロバートのすぐ傍で銃撃され、その時の傷がもとで亡くなった。
 さらに20年後の1901年9月6日、ロバートはウィリアム・マッキンリー大統領からパン・アメリカン博覧会に招待された。ロバートが会場で大統領の姿を見かけた直後に大統領は銃撃された。3人の大統領の暗殺を間近で経験したのは後にも先にもロバート・リンカーンだけである。

捏造された演説
 1860年の大統領選挙の頃、シカゴ・タイムズ紙に、「ジェファソンは自分の子供がハンマーで打たれることを止めようとせず、自分自身の放埓を元に金儲けを企んだ。死に際しても奴隷である自分の子を解放しなかったのみならず、堕落と鞭打ちの苦しみに追いやった。民主主義の主唱者として名高いジェファソンの娘はニュー・オーリンズで競売に出されたが・・・・・・彼の名が汚されないことを願っていた人々によって買われ解放された」という内容がリンカーンの演説として掲載された。これは明らかに捏造であることが分かった。

くだけた人柄
 リンカーンの文章は洗練された名文であったが、普段の挨拶は非常にくだけていて誰にでも「ようHowdyの一言で済ます。「あすこout yonder」、「ゆっくりしてけやstay a spell」というくだけた表現を使った。
 また1860年に「おめえのろくでもない忌まわしいろくでもない魂に呪いあれ畜生め、おめえのろくでもない忌まわしい家族のろくでもない忌まわしい魂なんか地獄へ堕ちろってんだ、そいからおめえのろくでもねえダチ公もついでに地獄の火に焼かれちまえ(木下哲夫訳)」という手紙をフロンティアから受け取り、その言い回しをリンカーンは同僚に見せては喜んでいたという。

ゲティスバーグの演説。
 主役はもともとリンカーンではなくエドワード・エヴェレットだった。エヴェレットは延々と2時間も話し続けた。聴衆は1万5000人だったという。リンカーンは演説原稿を見ながら僅か2分程度で話し終えてしまった。そのためカメラの準備をしているうちに演説は終わってしまった。
 リンカーン自身はこの演説は失敗だと思っていた。また当時のシカゴ・タイムズ紙は演説を酷評している。リンカーンは簡潔さと繰り返しを重視した。当時は持って回った凝った表現が良いとされていたのでリンカーンの文章は革新的であった。

恨まれ続けたリンカーン
 第33代大統領ハリー・S・トルーマンの母マーシャも息子が大統領になった時にまだ存命していた。マーシャは大のリンカーン嫌いだった。マーシャは何故、リンカーンが大嫌いだったのか。マーシャは1852年の生まれで南北戦争を体験している。マーシャの体験談によると、南北戦争時に北軍のキャンプに家族ともども監禁されたという。マーシャは常々それを息子ハリーに語って聞かせていた。
 マーシャがホワイト・ハウスを訪れた時、リンカーンの寝ていたベッドに寝るくらいなら床で寝たほうがましだと息子に伝えた。またマーシャが臀部骨折を患った時、ベッド際に駆けつけたハリーに対してマーシャは次のようにまくしたてた。

 「おまえから言い訳も聞きたくないわ。先週、おまえがリンカーン記念塔で献花している写真を新聞で見ましたよ」

ギャング団をやっつけたリンカーン?
 リンカーンが十九歳の頃、ニュー・オーリンズへ食料品を船で運ぶ仕事を手伝っていた。ニュー・オーリンズまで何日もかかるのでリンカーンともう一人の青年アレンは、船を岸に着けて眠っていた。二人が眠りについた頃、船に乗り込んでくるような足音がした。二人はすぐに黒人のギャング団が襲撃にきたに違いないと思った。アレンはとっさに気を利かせて「リンカーン、銃を持ってきて奴らを撃て」と叫んだ。実はリンカーンは銃を持っていなかった。その代わりにリンカーンは棍棒で彼らを叩き落し岸まで彼らを追い払った。

凸凹コンビ
 リンカーンにはスティーヴン・ダグラスという好敵手がいた。二人は恋敵でもあり、上院議員の椅子を巡って争ったこともあった。しかし、二人は個人的には大の仲良しでお互いに共に行動するのを好んだ。二人が並んで歩いてくるのを見ると非常に滑稽な感じだった。なぜならリンカーンは議員の中でも最も背が高く細長いのに対して、ダグラスは議員の中でも最も背が低くしかも横に長いという極端なコンビだったからである。リンカーンは「単に長さと幅の違いだよ」と冗談めかしてよく言っていたという。

准将よりも馬を惜しむ
 南北戦争の時のお話。南部連合軍がハリファックスを襲撃し、准将とたくさんの馬が捕らえられた。それを聞いたリンカーンはポツリと呟いた。

 「馬は惜しいことをしたなあ」

 それを聞いた閣僚は、「馬は惜しいことをしたとは!」と驚いて叫んだ。リンカーンはそれに答えてこう言ったという。

「そうだよ。准将なら私が新しい人を任命すれば5分で作れるが、110頭の馬を作るのは無理だからね」

反逆者と呼ぶべからず
 南北戦争の時のお話。リンカーンは傷病兵の病棟を視察していた。リンカーンに付き添っていた医師が、ある病棟の前でリンカーンを遮って言った。

「大統領、ここは南部のやつらの病棟です。ここは反逆者の病棟ですからあなたが入るような所ではありません」。

 リンカーンはその医師を静かにたしなめた。

「君の言っているのは南部連合軍の兵士のことだね。私はそうとしか呼ばないよ」

リンカーンのうっかり
 リンカーンが二回目の大統領指名を受けた時のお話。リンカーンは共和党の党大会が開かれているのをすっかり忘れていた。戦況が頭から離れず陸軍省のあたりをうろうろしていたからである。暫くして電報が、副大統領にジョンソンが指名されたと伝えた。リンカーンは係員に言った。

 「どうして彼らは大統領を指名する前に副大統領を指名したりしたんだろうね?」

 係員はその言葉に驚いて答えた。

 「ご自身が指名されたことをご存じないのですか?確か二時間前程にその報せが届いているはずですが」

子供に手を焼くリンカーン
 ある日のこと、リンカーンが通りの真ん中で二人の泣いている子供と一緒に居た。それを見た男性がリンカーンに声をかけた。

「リンカーンさん。いったいどうしたんですか」。

 リンカーンは男性に答えて言った。

「困ったことに、三つの胡桃を持っていたんですが、二人ともそれぞれ胡桃を二つずつ欲しがってね」。

迷惑な客のあしらいかた
 リンカーンのもとに陳情に来る者が絶えなかった。ある日、リンカーンは軽い病気でベッドに伏していた。軽い痘瘡だった。そのニュースが広まると陳情者はほとんど来なくなった。しかし、それを知らない男が一人たずねてきた。

男:「大統領、ご病気なのでしょうか?」
リンカーン:「たいしたことはない」
男:「どのような容態かお聞きしてもいいですか?」
リンカーン:「天然痘だよ。でも怖がる必要はありません。ごく初期の段階ですから」

 リンカーンがこう言い終らぬか否かのうちにその男は椅子からとびあがって逃げていった。リンカーンは「急ぐことはありません。ゆっくりお話しましょう」と言ったが、その男は後も振り向かず一目散に走っていった。リンカーンは後に「彼らが望むものを与えられない時は、彼らは不満に思うだろう。そして私に厳しくあたるに違いない。だから逆に私が例のものを与えてあげると言えば彼らは逃げていくだろうよ」とすまして言ったものだ。

お茶目な優等生リンカーン
 リンカーンが自分の丸太小屋の近くの学校に通っていた頃のお話。リンカーンは学校の中でも一番優秀で綴り方も非常に得意だった。ある日、先生が「defied」の綴り方を出題した。たくさんの生徒がいたけれどもどうやら正解を出せる者はいそうにもなかった。先生は、それを答えられる者が出るまで居残りを命じると宣言した。リンカーンの近くに座っている女の子が答えをdefまで言い始めた時、次の文字が何か咄嗟に出てこなかった。するとリンカーンがゆっくりと指を動かし自分の目(eye)のところで止めた。女の子はリンカーンのお蔭で正しい答えを言うことができ、他の者も居残りを命じられなくて済んだ。

リンカーンの誠実さ
 リンカーンがあるお店で働いていた時のお話。ある女性が買い物をした時に、リンカーンは代金として2ドル20セント請求した。お金を受取ったリンカーンは後で、6と4分の1セントだけ余分に代金を取りすぎたと気が付いた。リンカーンは店を閉めた後に二マイルか三マイル離れたそのお客のところまで行って取りすぎた代金を返しにいった。
 またある時、閉店間際の暗い時に、リンカーンは半ポンドのお茶を売った。翌朝、リンカーンが開店準備をしているとはかりに4オンスだけお茶が残っているのを発見した。リンカーンはすぐさまそのお茶を、朝ごはんを食べる前に昨夜のお客のもとに届けに行ったという。

リンカーン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究