子供


1男2女
エリザ・コートライト・モンロー
 長女エリザ・コートライト・モンロー(1786.12-1835)はヴァージニア邦で生まれた。モンローは娘の誕生を「モンロー夫人は我が家族に娘を加えた。騒々しいけれども、家族に大きな喜びをもたらしてくれる」と記している。
 両親に同行してフランスに赴きカンパン夫人(元アントワネット王妃の女官)の学校で教育を受けた。その際、ジョセフィーヌ・ボナパルトの娘ホルテンス・ボーアルネ(オランダ女王・ナポレオン3世の母)と友人になった。友情は長く続き、エリザは娘の1人をホルテンシアと名付けている。 帰国後もフィラデルフィアの学校で学んでいる。
 1808年10月17日、バー裁判で検事として活躍したジョージ・ヘイと結婚した。ヘイはジョン・クインシー・アダムズ政権期、ヴァージニア西部管区の連邦判事に任命されている。
 マディソン政権期、度々、体調を崩した母に代わってホワイト・ハウスの女主人役をこなしたが、度々、問題を引き起こした。その一方で、ワシントンで熱病が流行すると、日夜、患者の看病にあたっている。
父と夫の死後、エリザはホルテンスを訪ねるためにフランスに旅立った。その後、ローマに行って法王グレゴリウス16世の洗礼でカトリックに改宗し女子修道院に住んだ。1835年にパリで亡くなり、同地に葬られた。
J. S. モンロー
 モンロー家の墓所には「J. S. M.」という頭文字が刻まれた墓石がある。それが「一連の小児病」に罹ったとモンローがジェファソンに書き送った長男(1799.5-1800.9.28) だと比定される。
マリア・へスター・モンロー
 次女マリア・へスター・モンロー(1803-1850)は、モンローがパリ滞在時に生まれた。1807年に生まれて初めてアメリカの土を踏んだ。マリアが着用していたパンタレットはアメリカで流行の衣装となった。その当時、ヨーロッパではパンタレットが高級婦人服として用いられていた。
 1820年3月9日、マリアは従兄弟のサミュエル・グヴァヌアとホワイト・ハウスで結婚した。これがホワイト・ハウスで最初に行われた大統領の娘の結婚式である。しかし、式に家族と友人以外を招かなかったので社交界から顰蹙をかった。夫グヴァヌアは一時期、モンローの秘書を務めた。マディソン政権後、マリアは夫とともにニュー・ヨークに移った。サミュエルはジョン・クインシー・アダムズからニュー・ヨークの郵便局長に任命された。
 マリアは晩年に貧窮した父を迎え入れ、ともに暮らした。1850年、ヴァージニア州オーク・ヒルで亡くなった。

その他の子孫
サミュエル・ローレンス・グヴァヌア
 孫(次女マリアの次男)サミュエル・ローレンス・ジュニア(1820-1880)は、米墨戦争に従軍し、コントレーラスの戦いとシェルブスコの戦いでの活躍が認められて名誉進級中尉になった。ブキャナン政権下で中国福州の初代アメリカ領事となった。

ジェームズ・モンロー大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究