家庭環境


成人前に父を亡くす
 父スペンスはモンローが16才の時に亡くなった。この父のことをモンローは「立派で尊敬すべき市民であり、良い土地やその他の資産を有していた」と評しているくらいで詳細はあまりよく分かっていない。母エリザベスについても「とても親しみやすく尊敬できる女性で、良妻賢母としての家庭的な性質を持っていた」とモンローが評しているくらいで父と同じく詳細はよく分かっていない。エリザベスの父、つまりモンローにとって母方の祖父はウェールズ系の移民であり、キング・ジョージ郡に地所を持っていた。母エリザベスは夫に先立つこと1年か2年で亡くなったらしい。
 父の死後、母方の叔父ジョゼフ・ジョーンズが遺言執行人となった。叔父ジョゼフはヴァージニア植民地の政治家で後に大陸会議および連合会議のヴァージニア代表を務めた人物である。甥モンローの良き助言者となっただけではなく、有力者との繋がりをモンローにもたらした。
 限嗣相続制によってモンローは父の遺産をすべて受け継ぎ、弟達の養育の責任を負った。それは当時のごく普通の慣習であった。モンローの父がウェストモーランド郡に所有していた地所は僅かに500エーカーほどで農園主と言ってもワシントン家に比べるとかなり小規模であった。

少年時代
 少年時代のモンローはその当時の若者によくあるように騎乗や狩猟に精を出した。また農作業に強い関心を抱き、それは生涯にわたって変わることはなかった。政界に入った後も、農園主が本分であることを常に忘れなかったという。

兄弟姉妹
エリザベス・モンロー
 姉エリザベス (1754-1802.9) は1754年に生まれ、結婚後はヴァージニア州キャロライン郡に住んだ。兄弟姉妹の中で姉エリザベスとの仲かが最も親密であった。
スペンス・モンロー
 長弟スペンス (1759?-?)は1759年に生まれた。おそらく20才を迎える前に亡くなった。
アンドリュー・モンロー
 次弟アンドリュー(?-1826.12.2)は、短期間、ウィリアム・アンド・メアリ大学に通った後、商人と競売人になったが成功を収めなかった。兄ジェームズの代わりに農園の管理をしばしば行った。借金を抱え、兄ジェームズの支援を度々、受けていた。 
 1789年に結婚しヴァージニア州アルブマール郡に住んだ。アンドリューの次男ジェームズはウェスト・ポイントの陸軍士官学校で学び陸軍で成功を収めた。さらに連邦下院議員を務めている。次男ジェームズの孫ダグラス・ロビンソンはセオドア・ローズヴェルトの妹コリーヌと結婚している。
ジョゼフ・モンロー
 末弟ジョゼフ(1764- 1824.8.6)は、エディンバラで教育を受け、グラスゴーの大学に通った。法律を学び、ヴァージニア州アルブマール郡の検事や同州ノーサンバランド郡の巡回裁判所の事務官などを務めた。また兄ジェームズの個人秘書も務めた。飲酒やギャンブルのために借金が嵩むこともあり、兄ジェームズはその度に救いの手を差し伸べなければならなかった。

ジェームズ・モンロー大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究