学生時代


徹底的な教育を受ける
 1769年から1774年にかけてアーチボルド・キャンベル師lが運営していたキャンベルタウン・アカデミーに通った。朝早く家から森の中を縫って通学していた。その途中、携帯したライフル銃で獲物を撃つことがよくあったという。
 キャンベルタウン・アカデミーは植民地の中で非常に評判の高い学校で、生徒数は24人に限られていた。アカデミーでモンローは大学に進学する準備としてラテン語、ギリシア語、数学、古典などの徹底的な教育を受けた。この当時の友人として後の連邦最高裁長官ジョン・マーシャルがいる。マーシャルは生涯にわたる友人となった。

血気盛んな大学時代
 父が亡くなった後、叔父ジョゼフ・ジョーンズの薦めでモンローは、1774年6月20日、ウィリアム・アンド・メアリ大学に入学した。その当時、ウィリアム・アンド・メアリ大学があったウィリアムズバーグは政治的騒乱の坩堝であった。大学の教授陣は学生達を勉学に専念させようとしばしば試みたが無駄に終わっている。そうした教授陣の試みを尻目に学生達は町の人々が行う集会や軍事教練などに競って参加した。モンロー自身もライフル銃を購入してそうした学生達の輪に加わっていた。
 イギリスとの決裂が決定的になると、1775年6月24日、24人の集団が総督公舎を急襲した。総督は既に退去した後だったので、彼らは何の抵抗も受けずに総督公舎に蓄えてあった200丁のマスケット銃と300本の剣を手に入れてウィリアムズバーグの民兵隊に引き渡した。彼らの中で最年少の一員がモンローであった。翌1776年春、モンローは軍隊に入隊するために大学を飛び出した。

ジェームズ・モンロー大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究