大統領選挙戦


1816年の大統領選挙
選挙動向 
ヴァージニア王朝の継続に辟易した多くの民主共和派はモンローの対抗馬としてウィリアム・クロフォードを担ぎ出した。クロフォードもヴァージニア生まれであったが、地盤はジョージア州であった。マディソン政権で陸軍長官と財務長官を務めていた。
 3月16日、65対54の票差で民主共和党の議員幹部会はモンローを大統領候補に公認した。副大統領候補はダニエル・トンプキンズである。こうした公認過程についてアーロン・バーやその他の急進派は、ヴァージニアが大統領選挙を支配しようとしていると非難した。
 一方、1812年戦争に対する反対姿勢を示して以来、党勢が衰えていた連邦党はルーフス・キングへの支持を明らかにした。
選挙結果
 大統領選挙は1816年12月4日に行われ、217人の選挙人(19州)が票を投じた。モンローは16州から183票を獲得し圧勝した。副大統領候補のトンプキンズも同じく183票を獲得した。
 連邦党が支持するキングは、コネティカット、デラウェア、マサチューセッツの3州から34票を得るにとどまった。また副大統領候補の票は4人の候補者に分かれた。 
就任式
 就任式は1817年3月4日、連邦議会議事堂の東ポーチの上にもうけられた演壇で行われた。これまで就任式は屋内で行われてきたが、上院と下院が席の配分をめぐって争った結果、議事堂の外側で行われることになった。屋外で行われた最初の就任式である。宣誓は最高裁長官ジョン・マーシャルが執り行った。
髪粉に弁髪という古風な髪型をモンローは守っていた。黒のブロード生地のスーツに膝上までの長さの半ズボンを着用した。
 一連の儀式が終わった後、モンローはオクタゴン・ハウスに向かった。1812年戦争で焼失したホワイト・ハウスの再建はまだ終わっていなかったからである。そのためオクタゴン・ハウスが臨時の大統領官邸として使用されていた。当日夜の祝賀会はデイヴィーズ・ホテルlで行われた。

1820年の大統領選挙
選挙動向
 モンローの1期目は、まさに「好感情の時代」の恩恵を受けて高い支持を受けた。一方で連邦党は実質的に消滅していた。モンローの対抗馬はいなかったと言っても過言ではない。
選挙結果
 大統領選挙は1820年12月6日に行われ、235人の選挙人(24州)が票を投じた。モンローはすべての州から231票を獲得した。また副大統領候補のトンプキンズは218票を獲得し、他4名の候補に14票が流れた。
 モンローは投票人の死去による無効票の3票を除けば、あと1票でワシントンと同じく全会一致で大統領に選出されるという栄誉を手に入れることができた。残りの1票はニュー・ハンプシャーの選挙人の1票である。その選挙人はジョン・クインシー・アダムズに自分の票を投じた。その理由は、全会一致で大統領に選出されるという栄誉をワシントンだけに限りたいと考えたからだとされる。また一説によると、その選挙人がモンローと仲が悪かっただけではなく、ヴァージニア王朝の継続に反対していたためともされる。
就任式
 1821年3月4日が日曜日であったために、モンローは翌日の月曜日まで宣誓を行わなかった。雨天のためにモンローは下院会議室で就任式を行った。宣誓はジョン・マーシャルが執り行った。

ジェームズ・モンロー大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究