伝記作家に語ったワシントンの回想(1786年10月)
「[7月]9日10時頃、先陣が厄介な狭い谷(気候は乾燥していて水位は低かった)を避けるためにモノンガヒーラ川を2度目に渡った後、後衛はまだ川の中にいましたが、並外れた鬨の声とともに姿が見えない敵軍から前衛が攻撃を受けたので、ひどい動揺と混乱で収拾できないような無秩序に陥りました。後衛は前衛を支援するために前進を余儀なくされましたが、敵の姿を発見できず、彼ら自身も絶えず敵の銃火にさらされたので、恐慌が全軍に広がり、士官達が何をやっても収拾することができなくなりました。あらゆる軍事行動の中で、非正規軍(と彼らは呼ばれている)は指令も受けず、攻撃を行なうために規律もなく右手に進みました。しかし、不運なことに、こうした目立った動きが臆病者を誤解させたので、逃亡が防止し、混乱がますます広がり手遅れにならない前に、ジョージ・ワシントンは民兵の先頭に立ってそれぞれのやり方で敵と交戦することを申し出ました。しかし、その妥当性は手遅れになるまで理解されませんでした。この後、右翼の突出から敵軍を撃退しようと多くの試みがなされましたが、すべて無駄に終わり、多大な努力と良い模範を示しながら何とか試みを成功させようとしていた士官達の運命を決することになりました。[中略]。その日の間中、ジョージ・ワシントンは[他の副官達が負傷したので]唯一の副官として[ブラドッグ]将軍に仕え、1頭の馬が死に、2頭の馬が負傷しました。1発の銃弾が帽子を貫通し、数発の銃弾が衣服を貫通しましが、無傷でした。[中略]。夜間撤退で遭遇した衝撃的な情景は筆舌し難いことです。死者、死に行く者、路傍の負傷者が助けを求める呻き声、嘆き声、喚き声は、剛直な心でさえも貫き通すでしょう」

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