バスティーユ襲撃に関するジェファソンの聞き書き
「ド・コーニー[Louis Ethis de Corny]とその他の6人がバスティーユの司令官ド・ローネー[Bernard-Rene Jordan de Launay]に武器の引渡しを求めるために送り込まれた。彼らは、その場所[バスティーユ]の前に、既に多くの群集がいるのを見た。すぐに彼らが休戦旗を立てると、それに応じて[バスティーユの]欄干に同様の旗が掲げられた。[ド・コーニー達]代表団は群集に少し下がるように説得し、進み出て司令官に要望を伝えた。その瞬間、代表団のすぐ傍の4人がバスティーユから放たれた銃弾によって殺害された。代表団は引き下がった。ド・コーニーが自宅に帰って来た時、私はたまたまそこに居合わせた。そして彼からこうした一部始終を聞いた。代表団が引き下がった後、人々は前に押し寄せた。まさしくその瞬間、牢獄は100人の強健な兵士に守られていた。もし別の機会であれば、普通の包囲戦になって、要塞は占拠されなかっただろう。どのようにして人々が押し入ったのかは説明できない。人々は皆、武器を取り、囚人達を解放した。最初の激情の瞬間に兵士は殺害されなかったが、司令官と副司令官はグレーヴ広場(公開処刑場)に連行され、首を刎ねられた。そして、人々は街を練り歩いて彼らの首をパレ・ロワイヤルに送り届けた」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果