『フェデラリスト』10篇「派閥の弊害とその匡正策」(1787年11月22日)
「私は、派閥という言葉を、全体中の多数であれ少数であれ、ある一定数の市民が、他の市民の権利あるいは共同社会の永続的・全能的利益に敵対するような感情または利益といった、ある共通の動磯により結合し行動する場合をさすもの、と理解している。[中略]。派閥の原因そのものは除去しえないものであり、したがって[派閥の暴威に対する]対策はただその劾果を抑制する方法の中に求められるべきだということである。もしある派閥が全成員の過半数以下で構成されている場合には、派閥の暴威に対する匡正は共和主義原理によってなしうる。つまり、多数のものが通常の多数決で派閥の邪悪な見解な敗北せしめうる。[中略]。これに反し民主政治の下で多数者が一つの派閥を構成するときには、派閥が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になるのである。それゆえに民主政治の精神と形態とを保持しつつ、このような派閥の危害から公共の善と私的な権利との安全をはかることが、われわれの探究すべき重要な課題となる。[中略]。私は共和政という言葉で、代表という制度をもつ統治構造をさしているのであるが、このような共和政こそまったく異なったひとつの展望を開き、かつわれわれが探し求めていた匡正策を約束するものなのである。[中略]。[共和政においては]一方では世論が、選ばれた一団の市民たちの手を経ることによって洗練され、かつその視野が広げられるのである。その一団の市民たちは、その賢明さのゆえに、自国の真の利益を最もよく認識しうるのであり、また、その愛国心と正義心とのゆえに、一時的なあるいは偏狭な考え方によって自国の真の利益を犠牲にするようなことが、最も少ないとみられるのである。このような制度の下では、人民の代表によって表明された公衆の声のほうが、民意表明を目的として集合した人民自身によって表明される場合よりも、よりいっそう¬公共の善に合致することが期待されるのである。[中略]。いずれかひとつの党派がその党派に属していない人びとを数で圧倒したり、抑圧したりする結果になるのを防ぐためには、党派の数を多くすることによって、より大きな安全性が確保されるという利点はないであろうか。連邦に包含される党派の多様性が増大すれば、それだけこの安全性は増大することになるであろう。要するに、不正な利益をめざす多数派が一致協同してそのひそかな願いを達成するのを防ぐためには、より大きな障害をおくことが役立つであろう。[中略]。かくして、広汎な地域と適切な構造とを備えた連邦こそ、共和政府にともないがちな病患を処置する共和主義的な匡正策にほかならないのである(齋藤眞・武則忠見訳)」

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