『フェデラリスト』19篇「ドイツ、ポーランド、スイスの連邦原理とその傾向」(1787年12月8日)
「何らかの危機が発生し、ドイツ国民が自衛の必要から、たとえより緊密に団結した場合であっても、ドイツ帝国の状態は嘆かわしいものであった。主権を有する諸邦の猜疑心、誇り、見解の相違、相反する主張から、すこぶる煩瑣な討論が生じ、帝国議会が対策を決定できるよりも先に、敵は戦場に現れ、連邦軍が迎撃態勢を整える前に、さっさと冬の宿営地に引きあげるという状況であった。[中略]。この支離滅裂なドイツ帝国組織が、非常に長期間、完全にばらばらに解体もせず維持されてきたのはなぜか、とおそらくたずねられるだろう。その回答は明白である。すなわち、大部分の帝国構成員が弱体であり、しかも、外国列強の勢力下に入るのを好まなかったこと、主要構成員のほとんどが、彼らをとりまく恐るべき列強に比べて弱体であったこと、各地に散在する皇帝の世襲領による大きい勢力と影響力、ならびに、皇帝自身の、家系の誇りと結びついて彼を引き続きヨーロッパ第一の君主たらしめている組織を維持しようとする関心、これらもろもろの原因が、弱体で不安定な帝国を支えていたのであり、他方では、主権の性質に付随するあいまいな資格というものが、時とともにたえず強化されていき、適切な一体的統合にもとづく組織にしようとするいかなる改革も阻止していたのである。もし、もっと直接的な参考例を望まれるのなら、地方主権者のうえに一つの政府をつくっているポーランドに注目するのが適当だろう。いろいろな[連邦]制度に由来する弊害について、これ以上の顕著な証明を他に求めることはできない。ボーランド中央政府は、自治にとっても自衛にとってもともに不適当であったので、長い間、強力な隣国の犠牲となり、最近でも、ポーランド国民と領土との三分の一を失うにいたっている。スイスの諸州を結びつけている関係が、連邦制度の安定性についての実例としてときどき引用されるが、スイスを連邦と呼ぶわけにはいかない。というのは、スイス諸州は、共通の国庫をもたず―戦時ですら共通の軍隊もなく―共通の通貨もなく―共通の裁判所やその他の共通の主権を特徴づけるようなものをいっさいもっていないからである。スイス諸州は、次のような原因によって結合しているのである。すなわち、スイスの地形的位置の特殊性、個々の州が弱体で取るに足りないこと、かつていずれかに服従していた強力な隣国に対する恐怖、スイスのような単純で同一化した生活態度の人びとの間では紛争の原因がほとんどないこと、各州に属する領土については利害が一致していること、騒動や反乱の鎮圧に必要な場合の相互援助、しかも、この援助は明文で契約されており、これまでしばしば援助を要請したり提供したりしてきたこと、また、州間の紛争を調停するための正規の恒久的機関を当然のこととして有してきたことである(齋藤眞・武則忠見訳)」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果