『フェデラリスト』37篇「憲法会議の直面した困難」(1788年1月11日)
「憲法会議の直面した困難の中でも、ことに重要であったのは、いかにして自由と共和政体とを十二分に尊重しつつ、しかも政府に必要な安定性と活動性とを確保することができるかという点であった。[中略]。政府が活動力をもつということは、外国からの危険、また国内の危険に対する安全保障にとっても不可欠であり、またおよそよい政府なら当然もつべき法の迅速有効な執行にとっても不可欠である。政府が安定性をもつということは、国民の品性を涵養し、それにともなう利点を育成するためにも不可欠であり、またおよそ市民社会の大きなありがたみともいうべき人心の安定と満足とを確保するのにも不可欠である。朝令暮政は、国民にとってうとましいものであるのみならず、それ自体悪でもある。[中略]。中央政府の権能と各州政府の権能との間に適当な分割線を引くという課題は、これまた少なからず困難な仕事であったにちがいない。[中略]。右にのべてきたような困難に加うるに、大邦と小邦との主張が相互に対立するということがあったにちがいない。一方で大邦がその優越した富や重要性に完全に比例した政府内の発言権を獲得しようとし、他方で小邦が現在享受している平等な発言権に固執してゆずろうとしなかった、と考えて誤りなかろう。一方が他方に完全にゆずるということはなく、したがって大邦と小邦との間の争いは結局妥協によって、おさまる以外になかったと考えてしかるべきであろう。[中略]。それに、各邦をして、いろいろな点で相互に対立せしめるにいたったのは、単に大邦と小邦との関係だけではない。その地方的立場や政策からくる他の結び合わせが、さらに憲法会議に困難を加えたにちがいない。[中略]。こうした強い困難の下にあった以上、憲法会議としては、もし独創的な理論家が書斎に閉じこもって、想像力豊かに、抽象的な見解をもって計画した憲法案ならば当然もっているような、巧妙な構造と精級な均整とからは、少々逸脱せざるをえなかったとしても、それは別に驚くことはないであろう。むしろ、真に驚くべきことは、かくも多くの困難が克服されねばならなかったことであり、しかも、それが、とても予期されえなかったような一致、ほとんど歴史にその比をみないといってよいほどの一致をもって克服されたことである。[中略]。われわれとしては必然的に二つの重要な結論に到達せざるをえない。第一の結論は、憲法会議は、党派的敵対感情のもつ危険な影響力を、ほとんど完全に免れることができた、ということである。ちなみに、この党派的敵対感情たるや、およそ合議体には必ずともない、その議事過程を必ず汚す病弊なのである。第二の結論は、憲法会議を構成した各邦代表は、憲法案可決というその最終決定を満足をもって受け入れたか、あるいは個人的には反対であっても、私的な見解や党派的な利害はこれを公共の善のためには犠牲にする必要があるという深い確信によってか、または、採択を遅らせたり、さらに新しい案を検討するなどということになれば、この私利私益を犠牲にする必要性が顧みられなくなることを恐れて、憲法案採択という最終決定に同意を表するにいたった、ということである(齋藤眞・武則忠見訳)」

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