『フェデラリスト』46篇「連邦政府より州政府が有力な理由」(1788年1月29日)
「人民の大部分は、州政府の職員と個人的親交や友情によって結ばれ、家庭的かつ集団的な愛着の結びつきをもっだろう。したがって、人民の愛着が、最も強く州政府のほうに傾くことは十分に予測されるのである。[中略]。しかも、まったく別の非常に重要な見地に立ってみても、有利さは州の側にある。[すなわち]連邦議員たち自身が連邦政府にもち込む先入観は、一般的には、州に好意的なものしかであるだろう。それに反して、州政府の議員たちが、連邦政府に対する好意を州議会にもち込むようなことはめったに起こらないだろう。特定州の立法部に全国的精神が現れるよりは、まちがいなく、連邦議会議員のほうに地方的精神がいっそう支配するだろう。州立法部の犯す誤謬の大部分は、州の議員たちが、州全般の永続的利益を、自分の出身郡とか出身地区の特殊な個別的な見解のために犠牲にする傾向から生じていることは、すべての人が知っている。また、もし州議員たちが、彼らの政策を州全体の福祉を包含するほどに拡大することがないとすれば、連邦全体の繁栄ならびに連邦政府の威厳と尊敬とを、彼らの愛着と考慮の対象とするだろうなどと、どうして想像できようか、州議会議員が全国的目的にあまり頓着しないのと同じ理由で、連邦議会議員もまた、地方目的に執着しすぎる傾向があるだろう。[中略]。しかし、連邦政府が、州政府と同じく、限度をこえて不当にその権限な増大させようとすることがあったとしても、州政府はそのような侵害を打破する手段において、やはり有利な立場にある。すなわち、特定州の立法が、中央政府にとり友好的でないものであっても、その州においては一般に好評で、州職員の宣誓をはなはだしく大きく犯すものでなければ、その州だけの権限にもとづく州の手段でただちに実行される。連邦政府の反対もしくは連邦職負の干渉は、州側のあらゆる党派の激情を昂めるのみで、もしそれを押し切ろうとすれば、つねに必ず抵抗と困難とをともなう手段をとらずにその弊害を阻止することも匡正することもできない。他方、次のような場合はめったにないだろうが、万一にも連邦政府の手段が法的に保証されないものであり、そして、特定の諸州で人気がなければ、あるいは、次のような場合はままあるかもしれないのだが、たとえ法的に保証された手段であっても、特定州で不人気であれば、これに対抗する手段は強力であり、しかも、その州の掌中に握られているのである。すなわち、人民の動揺、連邦職員に対する反感、おそらく協力拒否や州行政官の渋面、このような場合にしばしば加わる立法的策略でつくりだされる妨害など、どの州においても軽視できない諸困難を引き起こすし、大州においてはすこぶる重大な障害を生ずる。しかも、隣接諸州の気持ちがこれに一致するようなことが起これば、連邦政府がもはやこれに対抗しようという気持ちにもなれないほどの障害をもたらすだろう。[中略]。今回と前回の論説でのべた考察を要約すれば、連邦政府に与えられるよう提案されている諸権限は、連邦の目的達成に必要かつ不可欠のものであるから、個々の州に保留される権限にとって少しも恐るべきものではなく、意図的な、あるいは結果的な、州政府の抹殺などという喧しい警告のすべては、最大限好意的に解釈してみても、それらの警告を発している人びとの途方もない恐怖にもとづくものにちがいないということに帰する(齋藤眞・武則忠見訳)」

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