『フェデラリスト』50篇「違憲に対する監察」(1788年2月5日)
「憲法違反を予防し匡正する適当な手段として、ことあるごとに人民の審判に訴えることに対しては反対論が生じやすいだろうが、その代わりに、定期的に人民の審判に訴えることこそ、憲法違反の予防と匡正のための適当にして十分な手段である、と主張することもできよう。[中略]。一定期間をおいて人民に訴えることは、特殊状態が生じたと思われる場合に人民に訴えるのと同様、さほど意昧のあるもののようには思えない。[というのは]もし、その期問が短期間に区切られるならば、検討し是正されるねき施策というものはごく最近のものであり、その時どきに是正された結栗を再び修正したりゆがめたりするようなあらゆる状況と結びつくことになろう。また、もし[違憲審査]の期間が毎回長期にへだたっていると、最近のあらゆる施策については、先のものと同じ注意事項が適用できるし、かなり年月の経過した施策に対しては、冷静に検討できる利点はあるが、この利点は、年月が経過していれぱ経過しているほど、利点を相殺する不便さをともなうのである。[というのは]第一に、審査における遠い将来の見通しというものは、現在の動機という力に動かされている権力の行きすぎに対しては、きわめて弱い抑制にしかならないだろう。すなわち、ある種の目的を熱心に追求し目的追求のため憲法の制限枠を破っている一〇〇名ないし二〇〇名で構成されている立法部が、一〇年、一五年ないし二〇年後に彼らの行為を是正するために行われる違憲審査に対する配慮から、在職中に差し控えるというようなことが想像できるだろうか。次に、権力の濫用は、しばしば、その是正措置がとられる以前にその悪影響な完全に及ぼしているということである。そして最後に、たとえ悪影響が完全にゆきわたっていなくても、その影響は長くつづき、深く根なおろし、容易には除去できないだろうということである(齋藤眞・武則忠見訳)」

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