『フェデラリスト』51篇「抑制均衡の理論」(1788年2月6日)
「憲法案に規定されているように、政府各部門の間に権力を配分することは不可欠であるが、それな実際に維持してゆくためには、いったいいかなる手段方法に訴えればよいのであろうか。これに対して与えうる唯一の回答としては、外部からの抑制方策はすべて不適当であることが判明した以上、政府な構成する各部分が、その相互関係によって互いにそのしかるべき領域を守らざるをえないように、政府の内部構造を構成することによって、欠陥を補う以外に手段はないといわざるをえない。[中略]。数種の権力が同一の政府部門に次つぎに集中していくことを防ぐ最大の保障は、各部門を運営するものに、他部門よりの侵害に対して抵抗するのに必要な憲法上の手段と、個人的な動機とを与えるということにあろう。防御のための方途は、他の場合におけると同様、この場合も、攻撃の危険と均衡していなければならない。野望には、野望をもって対抗せしめなければならない。人間の利害心を、その人の官職上の地位のもつ憲法上の権利と結合せしめなければならない。政府の権力濫用を制御するために、かかるやり方が必要だというのは、人間性に対する[性悪説的な]省察によるものかもしれない。しかし、そもそも政府とほいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としないであろう。またもし、天使が人間を統治するというならば、政府に対する外部からのものであれ、内部からのものであれ、制御など必要としないであろう。しかし、人問が人間の上に立って政治を行うという政府を組織するにあたっては、最大の難点は次の点にあるのである。すなわち、まず政府をして被治者を支配しうるものとしなければならないし、次に政府自体が政府自身を制御せざるをえないようにしなければならないのである。[中略]。さらに、アメリカのような連邦制度について考える場合、ことにあてはまる二つの点がある。この考察によれば、連邦制はたいへん興昧深いものであることがわかる。第一点。単一の共和国にあっては、人民が委譲した権力はすべて、単一の政府の運営に委ねられる。そして、権力纂奪に対しては、政府を、明確に区別された政府各部門に分割することによって対抗する。これに対して、アメリカのように複合的な共和国にあっては、人民によって委譲された権力は、まず二つの異なった政府[中央政府と地方政府]に分割される。そのうえで、各政府に分割された権力が、さらに明確に区別された政府各部門に分割される。したがって、人民の権利に対しては、二重の保障が設けられているわけである。異なった政府がそれぞれ相手方を制御しつつ、同時にその各政府が内部的に自分自身によって制御されるようになっているわけである。第二点。共和国においては、単に社会をその支配者の圧制から守るだけではなく、社会のある部分を他の部分の不正から守ることも、大切なのである。市民の間に異なる階層が存在すれば、必然的に異なる利害関係もまた存在する。もし、多数が共通の利害関係で統一されるとなると、少数者の権利は危険になる(齋藤眞・武則忠見訳)」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果