『フェデラリスト』54篇「下院議員数の各州割当基準」(1788年2月12日)
「われわれは、奴隷は単なる財産とみなされており、どの点からも人間としてみなされていない、と申し立てられている事実は、拒否しなければならない。実情からすれば、奴隷はこれら二つの性質をもっているのであって、われわれの法律によれば、ある点では人間とみなされ、他の点では財産とみなされている。すなわち、本人自身のためではなく、主人のために働くよう強制され、ひとりの主人により別の主人に売られ、他人の気まぐれな意志によってつねに自由を制限され、肉体的懲罰に服せしめられているため、奴隷は人間の地位から引き下げられて、法律上財産と呼ばれる地位におとされ、理性のない動物と同じものとみなされるかもしれない。だが他方では、彼の労働と自由を支配する主人をも含むあらゆる他人の暴力に対しては、彼の生命も肉体も保護されており、他人に加えたあらゆる暴行に対しては、彼自身が罰せられる。すなわち、奴隷は法律により明らかに社会の一員とみれ、理性のない動物の一部とはみなされていないし、また、単なる財物としてではなく、道徳的人格とみなされているのである。したがって、連邦憲法が、奴隷に関しては、人間と財産との混合性質をもつものとみなしたことは、きわめて妥当な決定をしたものといえる。[中略]。奴隷の場合は、実際に特殊な場合として考えることにしよう。つまり、奴隷はその強制労働によって、自由な住民の標準以下の住民としてみなすこと、すなわち、奴隷を人間の五分の二が剥奪されたものとみなす憲法の妥協的便法を互いに採用しようではないか。憲法のこの条頃が立脚している立場のほかに、もっと確固として擁護できるような立場は結局ないのではないか。ところで、われわれはこれまで、代表は人間にだけ関係し、財産にはまったく関係ないのだという考えにもとづいて論をすすめてきたのだが、これはまったく正しい考えなのであろうか。政府というものは、人の身体の保護と同様に財産の保護のためにも組織されたものである。したがって、政府の運営を委ねられた人びとによって、一人の身体と財産の両方が代表されるものとみなされよう(齋藤眞・武則忠見訳)」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果