『フェデラリスト』62篇「上院の組織」(1788年2月27日)
「上院における代表権の[各州]平等は、明らかに大邦と小邦の対立的主張の妥協の結果であって、さほどの議論を必要としない。一つの国家に完全に統合された国民の間において各地域は[その人口に]比例して政府に参与すべきであり、一つの単純な連盟を結成している独立した主権国家の間では、加盟各国の大きさがいかに不同であっても、連合の会議には平等に参与すべきであるということがまったく正ししいとするならば、国家的性格と連邦的性格との両方を兼ね備えている複合共和国においては、政府は比例代表の原則と平等代表の原則の混合のうえにつくられるべきだということには、相当の理由があるものと思われる。[中略]。まず第一に、政府を運営する人びとが、その選挙民に対する義務を忘れ、重要な信託に対し不忠実となることは、他の形態の政府の場合より程度は低いとはいえ、共和政府にともなう不幸のひとつである。この見方に立っと、上院は立法議会の第二院として、第一院[下院]と区別され、権力を分かつものであるから、あらゆる場合に政府に対する有益な抑制となるにちがいない。権力奪取や人民を裏切る計画に、二つの別々の議院の同意を要することにより、一院の野心ないし腐敗だけでは足りないから、上院は人民の安全な二倍にしているわけである。[中略]。第二に、上院の必要佳を少なからず示すものは、一院制で、しかも多数議員で構成される議会はすべて、突発的で激越な感情による衝動に支配され、党派的指導者に迷わされて、途方もない有害な決議をしてしまう傾向があるということである。[中略]。第三。上院が補うべきもうひとつの欠陥は、立法目的と立法原則についての適切な知識の不足という点である。主として私的な性質の利益追求のために集まっている人びとの議院、すなわち下院は、その任期も短く、公職の余暇を法律研究に当てようとする永続的動機に導かれることはないから、国家の政務や全体的利益は、もし全面的に下院議員だけにまかせるとすれば、下院に信託された立法権の行使における重大な過誤を免れることはできない。[中略]。よい政府は、次の二つの点を含んでいるものである。すなわち、第一に、人民の幸福という政府の目的に忠実であること、第二に、この目的を最もよく達成しうる手段に関する知識をもっていることである。[中略]。第四番目に、新議員がいかに有能であっても、急速に次つぎと新議員と入れ替わることから、議会が安定性を欠くことになっているのは、政府内に何らかの安定した制度が必要なことを、最も強力な方法で指摘しているわけである。各邦では選挙のたびに、議員の半数が入れ替わっている。この議員の交替から[議会の]意見の変化が生ずるにちがいなく、意見の変化から政策の変化が生ずることになる。しかし、たとえ立派な政策であっても、たえず変化することは、慎重という原則と成功のあらゆる見通しに反するものである。この点は、個人生活においても証明されることであるが、国政においてはいっそう該当しかつ重要なことなのである。不安定な政府がもたらす有害な結果を検討すれば、ゆうに一冊の部厚い書物を著すことになるだろう。私は、その多数の有害な結果の原因と認められるものの数点のみを示唆するにとどめたい。まず第一に、他国の尊敬と信用を失い、かつ、国家の名声にともなうあらゆる利点を失うということである。[中略]。不安定な政策のもたらしている国内的結果は、さらにいっそう不幸なもので、自由そのものの恵みすら毒している。人民自身の選んだ人びとによって法律が制定されても、もし、その法律があまりにも大部にすぎて人民が読むこともできないとか、理解もできないほど不統一であれば、また、法律が公布される前に廃棄されたり、修正されるようでは、あるいはまた、その法律が今日は法律であることがわかっていても、明日も法律であるとはだれも推測できないほど間断なく変化するようでは、人民にとって何にもならないのである。法律は行動の規準であると定義されているが、ほとんど知られてもいず、しかも一定不変でもない法律が、ほとんど知られてもいず、しかも一定不変でもない法律が、どうして行動の規準となりうるだろうか。政策の不安定性のもう一つの結果は、動勉で世情にうとい多くの大衆以上に、利口で企業的で金持ちの少数者に不当な利益を与えるということである。通商とか国家歳入に関する規制とか、各種の財産価値に何らかの形で影響する新しい規制はすべて、その変更に注目し、その結果を推測できる人びとに、新しい収穫を提供するが、その収穫は、彼ら自身によって育成されたものではなく、多数同胞が汗水たらして世話をすることによって生みだされたものなのである。法律は多数者のためではなく少数者のためにつくられると、ある程度の真実さをもって語られるような状態が、いまのアメリカの状態なのである。もう一つの見方をすれば、政府が不定安であることから大損害が生ずるということである。議会を信頼できないならば、その成功と利益とが、現在の方針な継続することにかかっている有益な事業のすべては停頓する。すなわち、分別のある商人は、その計画を実施する前に違法とされるかもしれない場合、どうして新しい通商部門に手を広げて資産を危険にさらすようなことをするだろうか。農民や製造業者は、その準備の労力と投下資本が、不安定な政府によって無益になってしまうことはないという保証がないのに、どうして特定の作物または事業に着手することができるだろうか。一言でいえば、国家政策の堅実な体系という支えを必要とする大開発事業とか、称賛すべき企業とかは、ひとつも前進しないということである。だが、とりわけ最大の悲しむべき結果は、すこぶる多くの不安定さを示し、人民が何とか望みを託そうとしている数々の夢を失わせるような政治組織に対しては、人民の心中にはぐくまれている愛着も敬意も消滅してしまうということである。政府というものは、個人の場合に倍して、真に尊敬に値するものでなければ、長くは尊敬されないだろうし、一定の秩序と安定性がなければ真に尊敬するに値しないだろう(齋藤眞・武則忠見訳)」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果