憲法批准会議での弁論(1788年6月24日)
「我が政府について考える際に、我々は大いなる許容を認めるべきでしょう。すべての邦の願望を満足させること、ましてすべての個人を満足させることは不可能だと我々は思わなければなりません。今、検討中の憲法案に好意的な人々は、それが欠陥を持たないと思っているわけでは決してないでしょう。しかし、何らかの現実的な危険をはらむとは思っていません。あり得るすべての欠陥は、経験が示す必要に応じて取り除かれていると彼らは思っています。この問題を熟慮している方々に、2つのうちどちらかを選んでいただきたい。9邦による批准か否か。もし9邦が憲法案を承認すれば、この問題を自由に十分に考慮して肯定的な結論に至った9邦が、たった1邦の要求で、彼らの行為が誤っていて、その欠陥が分からなかったと認め、彼らが進んだ歩みを踏み戻り、連邦制度を承認すべきかどうか、はっきり分からなくなってしまうということが当然視されるのでしょうか。ヴァージニアはこれまで常に他邦に対して敬意ある言葉を語り、また他邦から敬意を払われてきました。大多数の邦にあなた方は間違っていると認めさせるような言葉は敬意ある言葉でしょうか。彼らが諸邦の共通の自由と利害を保障するための修正に同意するとは思わないという言葉は我々が言うべき信頼ある言葉なのでしょうか。これは信頼ある言葉でも敬意ある言葉でもありません。ヴァージニアは、このような言葉が語られるまで敬意が払われてきたように、敬意を抱いて語れば敬意を払われるでしょう。まさに13邦が、共通の幸福と自由を保全するために自由意思で平和裡に、そして全会一致で連帯できるか、またはすべてが混乱と無秩序の中に投げ込まれるかが我々の決断1つにかかっているとは非常に恐ろしいことです。[中略]。ここにいらっしゃる方々は前もって修正を提案することが適切であると考えています。20項目の権利章典とその他20項目ですが、そのうちのいくつかは不適切で認められるものではありません。すべての邦が、自邦も同じくらい多くの修正を提案する権利を与えられていると思わないことがあるでしょうか。[中略]。憲法案に反対している方々は、前もって修正を加えるべきだと主張していますが、それはまるで人民の自由と幸福のためにはすべてが必要だと言わんばかりです。この問題に関して敢えて意見すれば、さらなる修正をまねき得る長々とした変更を導入した後よりも現状のままで明らかに安心だと言えます」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果