ヘルヴィディウスの筆名による小論(1793年8月24日) 
「パシフィカスの名で最近発表された数篇は、共和政治とフランス革命を憎む外国人や我々の中の堕落した市民が読んで喜んだり賞賛したりするに過ぎない。一方でそれは、共和政治とフランス革命の忠実なる友によって、ほとんど注意を払われないか、大いに軽蔑されるかである。執筆者が編み出した諸説は、包み隠さず人民に公表されたわけだが、当然の結果として、それにふさわしい扱いを受けている。その本質はすべての人々の耳目をそばだたせるが、すべての人々の心情はそれを拒絶するだろう。[中略]。暫時、宣戦布告と条約の締結という2つの権限の本質と機能を考えてみると、それらが適切な行政権の範疇に属さないと理解せざるを得ない。大統領の本来の範疇は、法を執行することであり、立法府の本来の範疇は、法を作ることである。それ故、大統領の行為はまさに執行でなければならず、執行すべき法が存在することを前提としなければならない。条約は法の執行ではなく、法の存在を前提としない。むしろ条約は、それ自体、法としての強制力を持ち、その他すべての法と同じく、大統領によって執行されるべきものである。明らかに法である条約を締結する権限が法を執行すべき行政府に本来、存すると言うことは、すなわち行政府が立法権を併せ持つと言うことに等しい。それは理論上、荒唐無稽であり、事実上、専制である。宣戦布告の権限も同様に論じられる。戦争状態が存すると宣言することは、法の執行ではない。執行すべき既存の法がない。どのような観点からしても、宣戦布告は単なる執行ではない。むしろ宣戦布告は、行い得る行為の中では最も熟慮を要する行為である。宣戦布告を行えば、平時に機能している法が、戦時に適合しない限り、すべて無効になる。執行のための規定が制定され、社会とその外敵との間に適用される新しい規定が制定される。同様に、平時に戻れば、戦時の特別法は無効となり、平時の一般法が復活する。このような意見は、条約、特に講和条約が、時に社会の外部と関わる法だけではなく、立法府が管轄すべき純粋に国の内部に関わる法も変える効力を持つという考え方によってさらに強化される。こうした観点から、行政府が外国政府と予備的な交渉を行うのに便利な機関であり、申し分のない根拠を持つ最終決定を実行に移す適切な機関であるが、行政府に委託されている権限の特質と条約と戦争に関する特質を比較すれば、行政府には、そうした決定に正当性を与える実質的な機関になる権利はないことは明白であるに違いない。[中略]。本論において、条約を締結する権限が立法的な性質を持つことが正しいのは、いかなる疑いも挟めない。そうした権限は明らかに行政府の権限ではないと断じることを強く確信できる」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果