次弟ジョンに宛てた手紙(1776年3月31日付)
「我々の不足分を満たすには足りなかったが、弾薬の供給を少し受けたので、私はボストンの東にあるドチェスター・ポイントDorchester Pointを占拠する決心をしました。地峡(ボストン)にいる敵軍に(絶対的に)優勢を占めることができ、直にボストンを見渡せます。その結果、敵軍は戦いを挑むか、我々の大砲によって縦列射撃にさらされるかしかないだろう。まず、ボストン全体を抑えられる2つの高台(バーゴイン将軍General Burgoyneのスタンレー卿Lord Stanley宛ての手紙の中のバンカー・ヒルの戦いに関する説明で言及されている)を占拠することが必要です。この時、地面は深さ2フィート[約60cm]で凍っていて、岩のように貫くことができず、全く手に負えません。それ故、我々は驚くべきたくさんの燭台や粗朶を使って作業を進めなければなりませんでした。[3月]4日の夜、我々の真意から敵の注意を逸らすために行った3夜にわたる激しい砲撃と爆撃の後、夜の帳の下ですべての物資をその場所に移動して、1人の兵も失わずにそれらの高台を完全に占領しました。翌朝、我々の攻撃準備がすっかり整っているのを敵軍は知りました。午後までは完全に整ったわけではなく、天候も荒れていましたが、多くの血を流さずにすみました。そして、(片側、もしくはもう一方の側に対する)重大な攻撃は阻止されました。これが賢明なる思し召しによる神の顕著なお計らいであることを私は疑っていません。しかし、敵軍を引きずり出して戦いに持ち込むという作戦の主要な計画はあまりうまくいっていません。[中略]。敵軍は(我々が知るところでは)、次の行動に移る前に、我々が大きな被害をもたらすような場所を確保するだろうと考え、我々の新たな作戦から受ける障害の大きさを理解して、撤退することを決定しました。そして、[3月]17日今までにないほどに非常に大慌てで混乱して船に乗り込んで、物を積載する時間をほとんどとらずに、ボストンにある国王の財産を残していきました。その合計は、おそらく3万から4万ポンド相当の軍需物資、多くの大砲、迫撃砲、そして大量の砲弾なども残されていました。[中略]。彼らの目論見の中では、ニュー・ヨークとハドソン川は最も重要な[攻略]対象です。後者によりカナダへの通行を確保できます。同時に北部と南部の植民地軍を分断することができます。[中略]。軍隊というものが最初に現われて以来、私よりも困難な状況下で軍隊を指揮した人物はきっといないと思います。一つひとつの難事を数え上げれば1冊の本を満たすに足りるでしょう。私の困難と苦悩の多くは、とても個人的なものなので敵に隠しておくために、友人にも我が軍にも隠さなければなりません。それによって私の行いが私の地位に不利に解釈されることでしょう」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果