次弟ジョンに宛てた手紙(1776年9月22日付)
「我々が置かれている状況の下、[マンハッタン]島からの撤退は絶対に必要であり、人員を失うことなく、ほとんど荷物なしで行わなければなりませんでした。2,3門の重砲は、地面が柔らかく、絶えず降り注ぐ激しい雨による泥で動かせないので残しました。敵の死傷者数は不確かですが、甚大で我々の死傷者を著しく超えていると信じるに足る多くの理由があります。それから、先程言ったように、我が軍の撤退は絶対に必要でした。敵軍は、正面から我々を攻撃するために本隊を上陸させてくるでしょうし、彼らの戦艦は人員や軍需物資の源である市街との交通をすべて遮断するでしょう。この撤退を完了して、その後間もなく、我々は敵の動きと脱走兵やその他からの諜報から、彼らは市街にいる我が部隊を攻撃することを断念し、我々がいる所よりも上にある入り江を渡って陸軍で我々の背後をとり、地方との交通やすべての必需品の供給を遮断する計画を練っていたことを知りました。ノース川North Riverを制する戦艦が連携してニュー・ジャージー人などからの支援を阻んでいます。こうした計画は非常にあり得ることですし、実行が十分可能でもあります。もし彼らの計画が実行されれば必然的にもたらされたであろう致命的な結果から身を守る必要がありました。そのため私は市街から我々の軍需物資や部隊の一部を移動させたのです。そして、幕僚会議は[9月]12日木曜日に、ニュー・ヨークを全面的に放棄することを決定しました。というのは我々の部隊は彼らの部隊より弱体であり、16か18マイルの防衛線を守らなければなりませんし、ニュー・ヨークを防衛する他にも地方との交通を開いておかなければなりません。[中略]。砲声を聞くや否や、私はできるだけ迅速に敵の上陸地点に騎乗して向かいました。我が軍の兵士達を守るための胸壁が放棄され、非常に驚いたことに、また悔しいことに、そこに配置していた部隊が、指揮官達が隊伍を整えようと苦労していたのにも拘らず、最も恥ずべき不面目な体たらくで逃げ去るのを見ました。私は彼らを終結させるべく全力を尽くしましたが無益でした。僅かな敵軍(60か70人を超えない)を見ただけで彼らは1発の銃撃も放つことなく逃げ去ったのです。[中略]。撤退は僅かな人員の損失だけで完了しました。敵軍の進軍に対してハーレムの高台が防衛に最適だろうということで我々は宿営し、まだそこにいます。月曜日の朝、彼らはいくつかの大部隊で間近に迫ってきましたが、常とは違う試みをしようとしているようでした。進軍してきた彼らの部隊と私が送り出した部隊からの分遣隊との間で小規模な戦闘が起きました。この戦闘で我が軍はよく戦い、我が軍は善戦して敵軍を開けた場所で退かせ、彼らが2度、3度にわたって確保した拠点から追いました。敵軍から脱走してきた軍曹が言うには、89名の死傷者が出たと伝えられたそうですが、別の報告では負傷者はもっと多いようです我々の死傷者は約60名でした」

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