大陸会議へのトレントンの戦いに関する報告(1776年12月27日付)
「[12月]25日夜、私はマッコンキーMcKonkey’s Ferryの渡し場まで後進する部隊に、必要な大砲とともに12時までにすべてを完了し、約9マイルの距離のトレントンに朝の5時までに到着できるように、暗くなり次第、渡河するように命じました。しかし、その夜に張った氷の量がボートの通過をかなり妨げましたので、大砲をすべて渡す前に3時になってしまいました。そして、部隊が進軍を開始する前に4時頃になりました。[トレントンの]町を急襲することは絶望的に思えましたが、夜が完全に明けてしまう前に我々は到着できると思いましたし、発見されずに撤退することは確実ではありませんし、再渡河を妨害されると思って私は事を進めることに決めました。私は部隊を2つに分けて、一方の部隊は下の川沿いの道を進ませ、もう一方の部隊は上のペニングトン道Pennington Roadを進ませました。分遣隊はほぼ同じ距離を進むので、町に直接、押し入るために、それぞれが迅速に外の守備隊を封殺するように命じたので、彼らは敵が隊伍を整える時間を持つ前に攻撃できるはずでした。上の部隊が敵の前哨拠点に着いたのはちょうど8時でした。そして、3分以内に、もう一方の部隊の到着を下の道に上がった火で知りました。外の守備隊は数のわりには僅かな抵抗しか示しませんでしたが、良い動きで、家の背後から発砲しながら絶えず後退を続けました。本隊が隊伍を整えようとしていましたが、彼らの動きからすると、どう行動するべきかを決めかねているようでした。我が部隊は既に彼らの大砲を鹵獲しました。強襲にさらされて彼らは隊列を分けてプリンストンに至る右側の道を進もうとしました。彼らの意図を知った私は、一隊を差し向けて彼らの行く手を阻んで追い詰めました。我が軍の配置によって取り囲まれていることと、もしさらなる抵抗を示せばちりじりばらばらになってしまうことを理解した彼らは武器を置くことに同意しました。こうして降伏した敵の数は士官が23名と兵士が886名です」

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