大陸会議へのプリンストンの戦いに関する報告(1777年1月5日付)
「敵軍が我々に向かって来ているようでした。ちょっとした小競り合いの後、彼らの縦隊の先頭が4時頃、トレントンに到着しました。その一方で、彼らのはるか後ろのほうはメイデンヘッドMaidenheadでした。彼らは違った場所で(トレントンを通って流れている)サンピンク川sanpinck creekを渡ろうとしていました。しかし、浅瀬が防備されているのを見て、停止し、発砲してきました。我々は川の反対側で隊列を整えました。こうした状況で、我々は暗くなるまで敵を砲撃しました。彼らから銃火を浴びせられましたが、被害はほとんどありませんでした。この時までに、敵が数においてはるかに優っていることと彼らの意図は我々を取り囲むことであると分かりました。暗くなったらすぐにバーリングトンBurlingtonに静かに我々のすべての荷物を移すように私は命じました。そして、12時(焚火を新しいものに換えて、トレントンにある橋と同じ流れの上流にかかるその他の道の守備隊を撤退させた後)、プリンストン界隈の道を進みました。彼らはプリンストンに多くの兵力を残していないが軍需物資はあることを私は知っていました。(結果的に)退却のように見えることを避けられたことは1つの確かなことでした。また全軍が分断される危険を冒すことが避けられなかった一方で我々は幸運な一撃によってハウ将軍をトレントンから撤退させることができるかもしれず、そうすれば我が軍の評判も上がると思われました。幸いにも我々は成功しました。夜明け頃、プリンストンには歩兵部隊が3連隊と軽騎兵部隊が3中隊しかいないことを我々は知りました。軽騎兵部隊のうち2中隊はトレントンに向かうところでした。3連隊(特に第21連隊)は勇敢な抵抗を示しました。死傷者や捕虜として500人近くが失われ、その中で100人以上が死んで戦場に残されました」

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