大陸会議へのブランディワイン・クリークの戦いに関する報告(1777年9月11日付)
「当日の戦闘で我々は敵に戦場をほしいままにさせざるを得なかったことを残念なことにお伝えしなければなりません。不幸にも、敵がブランディワインをさかのぼり、我々より約6マイル上流の浅瀬を渡ったという諜報を受け、不確かで矛盾していましたが、それでも全力を尽くすように努めました。このために我々の右側を攻撃してきた敵軍に適切に対処できるように我が軍を配置することができませんした。その結果、最初に交戦を行った部隊は増援を送る前に撤退させなければなりませんでした。右側に対する攻撃の中で、チャドズ・フォードChad’s Fordの向こう岸に留まっていた敵の一団が渡ってきました。そして、そこにいたウェイン将軍指揮下の部隊とマックスウェル将軍指揮下の軽騎兵部隊を攻撃しました。激しい戦闘の後、両部隊も徹底しました。チャドズ・フォードより約2マイル下流の渡しに配置されていたアームストロング少将指揮下の民兵は、交戦する機会がありませんでした。多くの不利な状況の下で我々は戦い、いろいろな原因もあったために我々は上記のように撤退せざるを得ませんでした。しかし、私の知るところでは、人員の損失はそれほどでもなく、敵の損失よりも少ないと思います」

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