シェアンドア渓谷遠征時の日記
「1747/8年[複年数表記]3月11日、金曜日。ジョージ・フェアファックス氏に随行する私の旅が始まった。今日、我々は40マイル旅し、プリンス・ウィリアム郡Prince William Countyのジョージ・ニーヴェル氏George Neavelのところまで至った。[中略]。15日。夜まで一生懸命に働いてから戻った。夕食の後、我々は部屋でくつろいだ。私は他の人ほど慣れた木こりでもないので、きちんと服を脱いで彼らがベッドと呼んでいる代物に潜り込んだ。驚いたことにそれは藁を掻き集めただけに他ならず、シラミやノミといった害虫で重さが2倍になった擦り切れた毛布の他はシーツさえもなかった。私は起き上がって服を着て、他の人達がやっているようにそのままで横たわった。[中略]。23日、水曜日。2時頃まで雨が降り、それから晴れた。たった一枚の頭皮を持った戦争帰りの30人余りのインディアン達と会ったのは我々にとって嬉しい驚きであった。我々は蒸留酒をいくらか持っていたので、それをインディアン達に与えた。蒸留酒を飲んで上機嫌になったインディアン達は我々が戦争の踊りという面白い踊りを踊ってくれた。彼らの踊り方は以下のようだった。広がって大きな輪を作り、真ん中に大きな火を焚く。それからその周りに座る。話し手が現れ、彼らに踊り方を教える。話し手が話し終わった後、最も優れた踊り手が、最も滑稽な感じで、まるで眠りから覚めた者が跳び上がるように、輪の周りで走って跳び上がる。彼の後に残りの者が続き、奏者が楽器を叩き始める。楽器は水を半分入れた容器で鹿皮ができるだけぴんと張ってある。いくらかへこみがある叩き棒は、カタカタ音が鳴るようになっていて、見栄えがよくなるように馬の尻尾の一部がつけられている。カタカタ音を鳴らす者もいれば、他の者が踊っている最中ずっと叩いている者もいる。[中略]。30日、水曜日。今朝、区画設定という目的の仕事に取り掛かった。スタンプス氏Stumpsの土地から北10マイルに境界線を引き始め、2つの区画を設け、スタンプス氏の土地に戻った。[中略]。1748年4月13日、水曜日。[途中で別れた]フェアファックス氏が無事に帰宅し、私自身も兄弟達のもとに無事に帰った。それを以って私の日誌の締め括りとする」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果