ヨークタウン作戦日誌
「[5月]22日、ロシャンボー伯爵とともに作戦を決定した。内容は以下の通りである。フランス陸軍(200人を除いて)は、艦隊がボストンに向けて出港次第、ノース川に進軍し、アメリカ軍と合流してニュー・ヨーク攻撃を開始する(現在、守備兵の数は減っている状態にあるので、もし救援がなければ陥落すると思われる。そうすれば[イギリス軍の]南部での作戦を弱めることができるし、いずれにせよ大きな利点を生むだろう)。もしくは、状況によっては我々の展望を広げ南進も視野に含めるようにする。[中略]。26日、アメリカ合衆国のフランス公使ジョン・ローレンス氏John Laurensから手紙を受け取った。その手紙によると、我が国に、アメリカ軍の衣服や武器などの購入、命令の遂行や長期的な兵士の徴募などにあてるために総計600万リーヴルが贈与された。そして、20隻の戦艦が西インド諸島に向けて出発し、その中の12隻は、7月頭におそらくこちらの海岸に来るだろう。[中略]。[6月]14日、グリーン将軍からサウス・カロライナでの成功を伝える好ましい報告を受け取った。それによると、ローデン卿Rawdenは大慌てでキャムデンCamdenを放棄し、4月25日の戦闘で得た我が軍の捕虜とイギリス軍の負傷兵の中で動かせない58人を残して、軍需物資を破壊し、多くの建物を焼き、瓦礫の山の他には待ちに何も残さなかった。[中略]。29日、ラファイエット侯爵から手紙を受け取った。それによると、コーンウォリス卿はシャーロットヴィルのヴァージニア邦議会を奇襲し、ジェームズ川の分岐点の備蓄を破壊しようと試みて部分的に成功を収めたが、その後、ヴァージニアでの軍事作戦で何ら価値ある目的を遂げることなくリッチモンドに帰った。[中略]。[7月]18日、私はロシャンボー伯爵、ド・ベヴィル将軍de Bevilleとその主計総監、そしてデュポルタイユ将軍Duportailとともに、ヨーク島[マンハッタン島]の北端の敵軍の配置と野営地を偵察するためにノース川を渡った。[中略]。[8月]14日、バラス伯爵Barrasからの急報を受け取った。それによると、グラース伯爵Grasseはフランソワ岬Cape Francoisを25隻から29隻の艦隊で3,200人の陸軍をともなって3日、チェサピーク湾に向けて出発した。[中略]。[9月]9日、私はマウント・ヴァーノンの我が邸宅(エルクElkの本部より120マイル離れている)に到着し、12日まで留まった。[中略]。30日、敵は昨夜のうちに、すべての外郭と町の外側に確保した拠点を放棄して、内郭の防衛線の中に退却した。すぐに我々はそこを占拠し、我々の左側にあたる部分を(少しの変更を加えて)大いに活用できるようにした。我々はピジョン・ヒルPidgeon Hillの右側で、そことモレス製粉所Mores Millの上の渓谷の間に2つの包囲壁の作成を始めた。[中略]。[10月]6日、朝になる前に、兵士達を敵軍の銃火から隠せるまでに塹壕[の掘削]が進んだ。作業は手早く秘密裡に行なわれたので、私が思うに、敵は朝になって塹壕に気付くまで全く我々の作業を知らなかっただろう。この機会における我々の損失は非常に軽微である。[中略]。9日、午後3時頃、フランス軍が我々のかなり左のほうで、4門の16ポンド砲、6門の迫撃砲と野戦砲の砲門を開いた。5時、アメリカも我々のかなり右側から6門の18ポンド砲と24ポンド砲、2門の野戦砲の砲門を開き始めた。両軍の砲撃が功を奏し、絶えず銃火を放っていた銃眼から敵を撤退させた。[中略]。12日、敵陣から約300ヤード(場所によってはそれ以下)に第2の平行壕を築き始めた。朝になる前に兵士達を守れるように夜のうちに作業は非常に進んだ。この作業は第1の塹壕と同じく秘密裡に行なわれ、敵が(我々が第2の塹壕に着手するだろうと)思うよりも素早く行なわれたので、彼らは発砲も何もしなかった。[中略]。14日、平行壕を完成させるためにこの日は費やされた。そして、第2の平行壕は砲兵隊を置けるほど大きくなった。古い大砲は主に鹿砦に向けられ、敵の突出部は、かなり右側と左側にある堡塁に伸び、我々が意図する攻撃に備えている。そのために左側で2つを攻撃するために必要な配置がなされた。夜6時半頃、左側(川岸)に対するアメリカ軍の攻撃、右側に対するフランス軍の攻撃の両方が行われた。[中略]。15日、第2の平行壕に砲兵隊を入れる作業が急遽完了し、昨夜奪取した堡塁に隣接して新しい大砲が据えられた。それぞれ2門の野戦砲を奪取した方形堡に置き、午後5時頃に敵に向けて砲門を開いた。16日、今朝4時頃、敵が第2の平行壕に攻撃を仕掛け、フランス軍の大砲4門とアメリカ軍の大砲2門を強襲したが、塹壕の守備兵がすぐに彼らのほうに向かうと、彼らは大慌てで退却した。[中略]。17日、フランス軍はさらに4門の24ポンド砲、2門の16ポンド砲、そして、10門の迫撃砲と2門の野戦砲からなる砲列が砲門を開いた。アメリカ軍の主要な砲列は、12門の24ポンド砲と18ポンド砲、4門の迫撃砲と2門の野戦砲からなる。10時頃、敵は完膚なきまでに打ちのめされ、コーンウォリス卿は24時間の停戦を申し出た。(第1の平行壕の後ろにある)ムーア邸で軍使が会談し、ヨークタウンとグロースターの降伏条件を決めることになった。[中略]。19日、早朝、私は降伏文書を写して、11時にそれに署名し、守備兵は2時に退出するべき旨をコーンウォリス卿に伝えた。その両方ともそのようになされた」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果