伝記作家に語ったワシントンの回想(1786年10月)
 「増援軍が来る前に、フランス軍は我々の陣営を偵察し、我々の兵力と態勢の情報を得るために部隊を派遣しました。斥候の報せでそれを知ったジョージ・ワシントンは一団の先頭に立って攻撃し、9名か10名かを殺害し、20名余りを捕獲しました。それからすぐに敵軍はインディアンの友軍を集結させ、全軍をこちらに向けてきました。その数は、他より得られる最善の説明と彼ら自身の説明を勘案すると、約1,500名でした。我が軍は、上述の部隊と200名から300名のヴァージニア兵からなっていました。というのは、それまで少数のインディアンも加わっていたのですが、彼らは行軍してくる敵を偵察してその数に恐れを抱き、撤退を決定し、我々にもそうするように助言しました。しかし、軍需物資や携行品を放棄して撤退することは不可能でした。なぜなら、攻撃の前に、軍需物資をその場まで運んできた馬が補給のために我々を残して引き返したからです。7月3日9時頃、敵軍は斥候と陰気なインディアンの叫び声とともに我々の壕まで進んできました。しかし、激しく、熱烈に間断なく続く銃火を浴びせられて彼らはその道を辿る労力を放棄しました。それから彼らは、あらゆる突起、樹木、岩石、そして茂みから絶えず嵐のような銃弾を浴びせました。午後遅くまで、できる限り応戦しました。その時、想像でき得る限りでは最も凄まじい雨が降り、我々の壕を水で満たしました。そして、火薬筒と火打石銃の弾薬を湿らせただけではなく、ネセシティ砦と呼ばれる、壕の中心にある、防衛のために建てられた小さな仮拵えの防御柵にある弾薬も湿らせてしまい、我々の手元に残った弾薬は少なく、我々に残された防衛手段は銃剣(全員に行き渡っていたわけではない)だけでした。こうした状況の下、事態の改善が見込めない中で、敵は我々に降伏条件を提示しました。より容易く同意できるようにいくつかの変更が主張されました。我々には塩の蓄えはありませんが、肉の補給は無頓着になされていました。そのため、暑さから肉を保つことができませんでした。さらに将兵の3分の1がそれまでに死傷していました。翌朝、我々は名誉降伏で退出しましたが、降伏条件に反して、不法者によって我々の携行品が盗まれました」

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