アダムズの自伝4
「独立宣言を起草する委員は、トマス・ジェファソン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、ロジャー・シャーマン、そしてロバート・リヴィングストンであった。ジェファソン氏はこれまで約1年間、大陸会議の代表を務めてきたが、議場にはほんの僅かの時間しか出席せず、出席した時も公衆の面前では決して話さなかった。議会の間中、私は彼とともに座っていたが、、彼が一時に3つの文章を話すのを聞いたことがなかった。そのような重要な委員に彼がどのようにして任命されたのかを聞くのは当然のことだろう。理由は1つだけではない。ジェファソン氏には名文家の名声があった。彼は植民地議会のために書いた素晴らしい公文書の結果、それが彼に素晴らしい書き手という性質を与えたのだが、ヴァージニアの代表に選ばれていた。もう1つの理由は、リチャード・ヘンリー・リー氏が、ヴァージニア代表の同僚の大分部から好まれておらず、ジェファソン氏が彼に取って代わる対抗手として立てられたからである。これは主にペンでのみなされた。というのは、ジェファソン氏は、雄弁や公の場での討論では彼やそれ以外の者にもかなわないからである。[中略]。ワシントン、フランクリン、そしてジェファソンの例は、公衆の面前における沈黙と控え目な態度は、議論や弁舌よりも効果的であることを十分に示している。[中略]。[独立宣言起草]委員会は、何度か会合を行い、独立宣言を構成する条項とその下書きが提案された。それから委員会は、ジェファソンと私を草稿の形式を整え、ふさわしく装うように任命した。小委員会が召集され、下書きが考案され、所見が加えられ、それからジェファソン氏が私にそれらを下宿に持ち帰って草稿を作るように求めた。それを私は拒んで、拒否の理由をいくつか挙げた。1つ目[の理由]、彼はヴァージニア人であり、私はマサチューセッツ人である。2つ目[の理由は]、彼は南部人で、私は北部人である。3つ目[の理由]は、物事を進める際に、昔から絶え間のない激情があるせいで私は感じが良くないので、私の草稿は会議で、私の手になるものとしてより厳しい邪推と非難にさらされる。4つ目、そして最後[の理由]は、もし他に十分な理由があるとすれば、彼の素晴らしい文才を私は非常に高く評価しているし、私自身の文才など全くかなわないからである。それ故、彼の手で草稿を作成するにあたって何も躊躇う必要がないと私は言った。それで彼はそれらを持ち帰り、1日か2日経ってから私に草稿を差し出した。私が何らかの訂正を提案したかどうかは覚えていない。5人委員会に報告がなされ、吟味を受けたが、どのような変更や訂正があったかは覚えていない。しかし、少なくとも実際には、それは大陸会議に報告され、激しい批判と最も雄弁ないくつかの段落を除いた後、1776年7月4日に採択され、世界に発表された」

歴代アメリカ合衆国大統領研究/歴代アメリカ大統領研究者の成果