出鼻を挫け、ヒラリーの独走阻止

 民主党のケリーが敗れた2004年11月、その直後に行われた世論調査で、次の大統領候補にという呼び声が最も高かったヒラリーは、2007年の出馬表明以来、資金力と知名度で圧倒的な優位に立っていました。さらに夫のビル・クリントン元大統領のバックアップや黒人有力議員の支持を得たりするなど着実に地歩を固めたのです。大統領の椅子獲得へ絶対的な自信をのぞかせるヒラリーの独走を阻止するためにオバマは何をしたのか。

Ordinary people can do extraordinary things; because we are not a collection of Red States and Blue States, we are the United States of America; and at this moment, in this election, we are ready to believe again.
「平凡な人々こそ非凡なことを成し遂げます。なぜなら我々は民主党支持の州や共和党支持の州の寄せ集めなどではなく、我々はアメリカ合衆国だからです。そして、まさにこの瞬間に、この選挙で我々は再び信じようではありませんか」
                                   バラク・オバマ

How will we win in November 2008 by nominating a candidate who will be able to go the distance and who will be the best president on day one? I am ready for that contest.
「最後まで頑張って、変化が始まる初日に最適な大統領になれる候補を指名すれば本選で勝てるでしょう。戦う準備はできているわ」          
                                ヒラリー・クリントン
      
 全米最初の党員集会が開かれるアイオワ州で、まずはヒラリーの出鼻を挫こうとオバマは人々の政治不信を払拭するために熱く語りかけました。人々に希望、そして変化を再び信じるよう訴えかけました。
 「オバマは既に人々に大きな変化をもたらしたと思う。黒人がみんなの代表となり、うまくやれることを白人も黒人も分かり始めたようで嬉しい」とある男性は語っています。一方、ある女性はヒラリーに対して「同じような既得権益の政治はいらないわ。それにホワイトハウスにクリントンは二度もいらないわよ」と語っています。
 オバマの言葉は若者や無党派層の心をとらえました。オバマは理想の大統領像を示し、人々の間ではびこる政治的無関心を打破したのです。その結果、大接戦の末にオバマはアイオワ州を制し、緒戦を勝利で飾りました。

●オバマの戦略を斬る
シニシズム(Cynicism)対策。政治不信を払拭すること。いつの世も有権者は、どうせ政治家なんて誰も同じで信じられないと思っているもの。まず信じさせるにはどうするか。有権者の疑いを吹き飛ばすためには言うべき言葉はただ一つ、「信じる」。単純だが最も有効的な手段は、「信じる」をとにかく繰り返すこと。

惜敗するも、「きっと私たちはできる」演説で捲き返すオバマ

 ヒラリーは初戦での敗北を取り戻そうと善戦、オバマの経験不足を指摘しました。ヒラリーは自分の実績を強調し、オバマの変化や希望は言葉だけに過ぎないと攻撃しました。
 オバマはヒラリーの攻撃にもめげずに、「きっと私たちはできる」を合言葉に演説を展開し、徐々に人々の心をとらえていきました。
 ある女子学生は、「オバマは私に立ち上がって戦う力を与えてくれる。オバマは何か違うわね」と言っています。オバマには人々に勇気と自信を与える力があるのかもしれません。
ニューハンプシャー州の投票日先日の7日、ヒラリーは「私はアメリカから多くの機会を得たから、私たちが後退してしまうのを見たくないだけよ」と言った時に感情が昂ぶって涙ぐんでしまいました。これまでの「冷徹な女」というイメージが少し崩れ、多くの人々がヒラリーの内なる情熱に気が付いたのです。
 ヒラリーをカフェで見かけたある女性は、「ヒラリーは本当に疲れているようだったわ。ヒラリーは他の候補者よりもたくさんの視線にさらされているわ。どんなに装っていてもどんなに笑っていてもね」と同情を示しています。 
 緒戦に続くニューハンプシャー州で敗れたとはいえ互角の戦いができたことはオバマに大きなプラスとなりました。ニューハンプシャー州はほとんど白人しかいない州です。そんな州でも善戦できたことは黒人の支持のみならず、白人の支持も集められる実力をオバマが持っていることを示しています。特に「きっと私たちはできる」演説は人々に大きな自信を与え、オバマが救世主だというムードを盛り上げました。

‘Yes We Can’ speech
「きっと私たちはできる」演説

Yes we can to justice and equality. Yes we can to opportunity and prosperity. Yes we can heal this nation. Yes we can repair this world. Yes we can.
「公正と平等に『きっと私たちはできる』。機会と繁栄に『きっと私たちはできる』。きっと私たちはできる、アメリカを癒すことが。きっと私たちはできる、この世界を修復することが。きっと私たちはできる」

We are one people; we are one nation; and together, we will begin the next great chapter in America’s story with three words that will ring from coast to coast; from sea to shining sea ? Yes. We. Can.
「私たちは一つの国民、私たちは一つの国家、そして一緒になってアメリカの歴史の偉大なる次の章を始めようではありませんか。海岸から海岸へ、海から輝きの海へ響き渡る三つの言葉とともに。きっと、私たちは、できる」
                                   バラク・オバマ

 実はこの「きっと私たちはできる」は2003年の上院選挙でも使われたモットーです。オバマは、共和党対立候補のアラン・キーズのネガティブ・キャンペーンに対して反撃はできるだけせずに希望と連帯を前面に打ち出すことで勝利しました。「きっと私たちはできる」はオバマにとって最も馴染みが深い言葉なのです。さらにこの「きっと私たちはできる(Yes we can)」はオバマの選挙スローガンである「変化、それは信じることができること(Change We Can believe in)」と実によくあっています。
 ケネディの「アメリカを再び動かそう(Let’s Get America Moving Again)」というスローガンやレーガンの「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」というスローガンと並んで記憶に残るスローガンです。
 この「きっと私たちはできる」演説は動画投稿サイトのYouTubeで実に100万回以上の再生回数を記録しています。オバマの公式サイトと合わせればもっと多くの人々が見たでしょう。さらにこの演説にインスピレーションを得たミュージシャンが曲を作りました。演説と同じくYouTubeに投稿されたその曲の再生回数は800万回を超えています。
 そのミュージシャンは、演説を聞いた時の感想を「釘付けになった。感激した。自分の人生を振り返って、自分が授かった恩恵とそうしたもののために戦ってくれた人々のことを思い出した」と綴っています。

●オバマの戦略を斬る
サウンドバイト(soundbite)戦略。政治家は有権者に顔と名前を覚えてもらうのも仕事の一環。できれば自分の主張もちょっとは知ってもらいたい。でも長々と喋ってもニュースで流されるのは数秒間。では初めから流されやすい形にしておけばいい。「きっと私たちはできる」演説には、ニュースで流しやすい短くて手頃な名文句がしっかりとちりばめられています。

オバマの圧勝、ヒラリーの独走阻止に成功
 
 勢いを増すオバマを前にしてヒラリーは女性とブルーカラー層の圧倒的な支持に綻びが出ないように支持固めに走りました。
 その一方で、オバマは「過去対未来」という人種や性別を超越した二項対立を打ち出したのです。いったいどのような狙いがあったのでしょうか。オバマはそれだけではなく「きっと私たちはできる(Yes we can)」を定着させることにも成功しています。

The choice in this election is not between regions or religions or genders. It’s not about rich versus poor; young versus old; and it is not about black versus white. It’s about the past versus the future.
「この選挙における選択は地域、宗教、性差によるのではない。富者と貧者でもなく、若者と高齢者でもなく、そして黒人と白人の選択でもない。まさに過去と未来の選択なのです」
       
Yes, we can. Yes, we can change. Yes, we can. Yes, we can heal this nation. Yes, we can seize our future.
「きっと私たちはできる。きっと私たちは変わることができる。きっと癒すことができる、アメリカを。きっと私たちは未来をつかむことができる」
                                   バラク・オバマ

I never thought we would see  the day when an African-American and a woman were competing for the presidency of the United States.
「アメリカ系アメリカ人と女性が大統領の椅子をめぐって争う日が来るとは思いもよりませんでした」

It is the middle class and working families in America, and we want to give everyone a chance at upward mobility.
「中流階級と労働者の世帯がアメリカを偉大にしたのです。だからすべての人に這い上がるチャンスを与えたい」
                                ヒラリー・クリントン                    
 
 サウスカロライナ州は黒人の人口比が高い州で、ここでオバマがどれだけヒラリーと差をつけられるかが今後の黒人票の趨勢を決定します。オバマは過去の政治からの脱却と新しい政治の導入を約束して多くの人々の支持を集めました。
 過去の政治とは、特殊権益と絡み合った中央政界そのものであり、長年ワシントンで活躍してきたヒラリーももちろん含まれます。そして未来の新しい政治とは、さまざまな不安を抱えているアメリカ国民に勇気と希望を与え、ブッシュ政権の下でますます広がった分断を修復する政治に他なりません。
 オバマが打ち出した過去対未来という二項対立は連帯を呼びかけるのには好都合なのです。オバマが有権者に黒人の代表だと判断されれば幅広い得票ができません。しかし過去対未来であればその心配はありませんし、オバマの立場もはっきりします。優れた二項対立の設定です。オバマは白人と黒人の連帯を訴えかけ、圧倒的な黒人票に加え、一定数の白人票も集めることに成功しました。
 ヒラリーは黒人に人気が高い夫のクリントン元大統領の援護射撃を受けましたが、黒人と白人の連帯を作り出すことができず、黒人票でオバマに大差をつけられました。しかし、ある女性が「女性を理解できるのはやっぱり女性なのよ。強い女性は優しい心を持っているものよ」と言っているようにヒラリーは女性からの支持が厚いことも事実です。
 オバマがお馴染みの「きっと私たちはできる(Yes we can)」で会場を湧かせると、今度は聴衆が「きっと私たちはできる」を熱狂的にコールする。今、アメリカは変わらなければならないという多くの人々の漠然とした不安をオバマは呼び覚まし、「うねり」と「現象」を作り出したのです。
 サウスカロライナ州では人種によって票が分かれたので、さまざまな支持層の連帯を強めることがオバマの今後の課題として残されました。

●オバマの戦略を斬る
ラベリング(labeling)戦略。レッテルを貼ること。政治家がどんな人物なのか曖昧。一言で言えばどういう人物なの?そう思う有権者は多いはず。それならばオバマは「未来」でヒラリーは「過去」というレッテルを貼り付けてしまえばいい。そうすれば有権者はオバマに良いイメージを持つし、ヒラリーに悪いイメージを持つ。まさに一石二鳥。

メガチューズデイはまさに天下分け目の決戦

 序盤戦でオバマは善戦しましたが、それでもヒラリーが依然として優勢であることは変わりません。人々の麦僊とした不安を呼び覚まし、「うねり」と「減少」を作り出すことにオバマは成功しましたが、今度はそれをどこに向けるのか対象を示す必要があります。「ワシントン」、その一言にオバマは対象を絞りました。
 従来通りヒラリーは初日から働ける大統領として経験の豊富さをアピール。さらにオバマの「変化」に対抗して「アメリカを作り直す」ことを提案しています。

Black, white, Hispanics, Asian, Native American, gay, straight, North, South, East, West, rich, poor, young and old, we could gather our voices to challenge the special interests that have come to dominate Washington.
「黒人、白人、ヒスパニック系、アジア系、ネイティヴ・アメリカン、同性愛者、異性愛者、北部、南部、東部、西部、富者、貧者、若人、老人、みんなの声を集めよう。ワシントンを支配しようとする特殊権益に立ち向かうために」

Our time has come, our movement is real, and change is coming to America.
「私たちの時代が来た。私たちの勢いは本物だ。変化がアメリカに起こる」

This time can be different because this campaign for the presidency is different.
「今度こそ違う。なぜなら今回の大統領選挙は違うからだ」
                                   バラク・オバマ 

It is imperative that we have a president starting on day one who can begin to solve our problems, tackle these challenges, and seize the opportunities that I think await.
「初日から問題の解決を始めることができ、試練に立ち向かうことができ、待ち受ける機会をつかむことができる大統領を選ぶことが必要よ」

Tonight, in record numbers, you voted not just to make history, but to remake America.
「今夜は記録的な数の投票だったけど、みなさんはただ歴史を作るためではなく、アメリカを作り直すために投票したのよ」
                                ヒラリー・クリントン

 メガチューズデイを制するかどうかはまさに天王山、選挙の勝敗を左右します。1月30日、三番手につけていたジョン・エドワーズ元上院議員がメガチューズデイを前に撤退を表明、ヒラリー対オバマの本格的な一騎打ちの始まりです。メガチューズデイでは全米50州のうち22州とサモアが一斉に予備選挙と党員集会を行います。
 メガチューズデイは実質8日間の短期決戦で、もちろんすべての州を巡ることは不可能に近いと言えます。資金を出し惜しみせずに一気にメディア攻勢に出るオバマ。さらにヒスパニック系に人気のあるエドワード・ケネディ上院議員の支持を取り付け、スペイン語の広告を流し、ヒラリーが圧倒的な支持を誇るヒスパニック系の切り崩しを図りました。ヒラリーもテレビ集会を開催しオバマのメディア攻勢に対抗します。ヒラリーは選挙戦の最中、「涙ぐまないようにすると言ったけど、もう約束通りにできそうにないわ」と言ってまたもや涙ぐむ場面も。母校のあたたかさに緊張の糸が途切れたのでしょうか。
 ヒラリーは経験の豊富さを強調し、それに対してオバマは「変化」と「新しいリーダーシップ」を強調しました。政策の面では根本的な争点があまりないためにイメージ戦略の勝負です。
 ヒラリーの支持者は、「オバマは好きだけどヒラリーのほうが政治家として優れているわ」と言う一方で、オバマの支持者は「政治にこんなに興味を持てたのは初めてのことよ」と言っています。「経験のヒラリー」、「変化のオバマ」というイメージがすっかり定着しているようです。
 オバマは、「きっと私たちはできる(Yes we can)」を完全に戦略に取り入れ、「きっと彼らはできる(Yes they can)」、「きっと彼女はできる(Yes she can)」、「きっと彼はできる(Yes he can)」という新しい形も生み出した。聴衆はオバマと一緒になって「きっと私たちはできる(Yes we can)」と唱えました。
 この戦略が採用されたのは、オバマが単に黒人の代表ではなく、人々の連帯を強め、人種、性別、老若の違いを超えた変化を求めるすべての人々の候補に脱皮する必要があったからです。ある支持者は、「私たちが暮らしている国は国としてなっていない。誰かが何とかして違いを生み出して本物の変化をもたらさなければいけないんだ。オバマは最善の選択だよ」とオバマが変化をもたらすことを期待しています。
 メガチューズデイは僅差でオバマが勝利しましたが、依然としてヒラリーの先行リードは残っています。オバマはどうやってヒラリーに追いつくのか。
 
●オバマの戦略を斬る
ストロー・マン(straw man)戦略。仮想敵を作り出すこと。共通の敵がいれば人々は団結しやすい。「ワシントンを支配しようとする特殊権益」とはいったい何なのか具体的には誰も知らない。だからあまり反発する人はいないが、本当は曖昧であっても叩く相手が誰かを示せば人々を団結させることができる。

オバマの九連勝
 
 メガチューズデイでの戦果をさらに拡大すべく、オバマは過去対未来の構図、そしてワシントンの腐敗を説いて支持を集め一気に逆転を目指します。 
 ヒラリーは国民皆保険についてオバマを攻撃しましたが、もともとプランに大差がないので決定打に欠けます。またヒラリー自身も「アメリカを取り戻す」という変化を唱えますが、過去にされてしまったヒラリーが変化を唱えても効果はあまり望めません。

If we do this, then we can begin to turn the page on the invisible barriers―the silent storms-that have ravaged this city and this country: the old divisions of black and white; of rich and poor. It’s time to leave that to yesterday. It’s time to choose tomorrow.
「もしニューオーリンズを再建できるなら、見えない障壁、すなわち、この町とアメリカを破壊した静かな嵐、それは黒人と白人の古くからの分裂、そして富者と貧者の分裂を取り去ることができる。そんなものは過去においやってしまうおう。今こそ明日を選ぶべき時だ」

It’s a Washington where politicians like John McCain and Hillary Clinton voted for a war in Iraq that should’ve never authorized and never been waged.
「マケインとヒラリーのような政治家が、決して認めるべきではなく、決して報われることのないイラク戦争に賛成票を投じるような場所、それがワシントンです」

                                   バラク・オバマ

I am ready to make your case because your voices are the change we seek and together we will take back the White House and take back America.
「私はあなたたちの声を伝えるわ。あなたたちの声は私たちが求める変化だから。一緒にホワイトハウスを、アメリカを取り戻しましょう」
                                ヒラリー・クリントン 

 ルイジアナ州、ネブラスカ州、ワシントン州、メイン州、メリーランド州、ヴァージニア州、ハワイ州、ウィスコンシン州でオバマは九連勝を遂げる。一般代議員数と特別代議員の総数でオバマはヒラリーに逆転しました。オバマは資金集めでもヒラリーをリード。
 黒人の人口比が高い州に加えて保守的で伝統的な価値観の強い州でも勝利をおさめました。
 「近頃、うねりと精神の高まりを感じる。アメリカで何かが起きている。人々は大きな飛躍をしようとしている」とヒラリー支持を表明していた有力黒人下院議員がオバマ支持に転向しました。オバマはもはや黒人と若者だけの候補ではなく、オバマの可能性に疑問を抱いていた人々もオバマ支持に回るようになりました。
 オバマは対イラク武力行使決議に賛成したヒラリーをマケインとともに過去のワシントンの政治に関与したと断罪しました。過去対未来の戦いでは、もちろんヒラリーは過去で、オバマは未来という図式なのです。オバマは、「ヒラリーが[ファーストレディになった1993年以来]過去15年間の政治を打破するのは難しいと思います」と言っています。
 オバマは一人の意識、一つの町、そして一つの州が変われば全米が変わるきっかけになると訴えました。一つひとつの積み重ね、草の根運動が大きなうねりとなるのです。うねりはケネディ神話に続く新たなるオバマ神話となりつつあり、ケネディの下で働いたことがある人物は「今まで会った政治家の中でケネディを彷彿とさせるのはオバマだけだ」と評価しています。
 「変化」、「きっと私たちはできる」、そして「過去対未来」という人々の脳裏に鮮烈に刻まれるイメージ戦略でオバマは支持層の急拡大に成功しました。ある30代の男性は「オバマの演説はとても真摯で、率直で、感情を揺さぶる。今の世代にはケネディやキング牧師のような言葉がなかった。私たちは勇気を与えてくれる誰かを待っていたんだ」と語っている。
 ヒラリーはオバマの快進撃を次でとめなければもはや後がありません。勢いをこのまま止めることができなければランドスライド(地滑り)が起きて、一気に結果が決まってしまう恐れがあります。

●オバマの戦略を斬る
レピテション(repetition)戦略。重要なことは何度でも繰り返すこと。どんなことでも一度聞いたくらいでは記憶に残らない。訴えかけるテーマがいけると思えばくどいと言われようが中身がないと批判されようがとにかく繰り返す。そうすれば多くの人々に浸透する。


後編 今度は逃げるオバマに追うヒラリー⇒タイトル考案
一進一退の攻防

 九連勝を遂げたものの、まだヒラリーを追い詰めるには至らないオバマと挽回を期すヒラリーは、激しい舌戦を交わします。しかし、お互いに決定打が与えられずオバマとヒラリーは非難や皮肉の応酬に終始し、特にヒラリーはオバマを呼び捨てにする怒りのパフォーマンスまで見せています。戦いはまさに泥沼に。

You see people who have worked in a plant for 20 years, put their heart and soul into building profits for shareholders. Suddenly, the rug’s pulled out from under them; the job’s shipped overseas. They don’t have health care. They don’t have a pension. They’re trying to compete with their teenage kids for a job paying seven bucks an hour at the local fast-food joint.
「20年間、誠心誠意、株主の利益のために工場で働いてきたのに、突然、足元をすくわれて海外に仕事を奪われた人々がいる。彼らには保険がない。年金もない。彼らは10代の子供たちと時給7ドルのファースト・フード店の仕事をめぐって争わなければならない」
                                   バラク・オバマ

We’ve seen the tragic result of having a president who had neither the experience nor the wisdom to manage our foreign policy and safeguard our national security. We can’t let that happen again.
「外交を円滑に行い、安全保障を守る経験も知恵もない大統領を抱くという悲劇を見てきました。再びそんなことを繰り返すわけにはいきません」
                                ヒラリー・クリントン

 このままオバマの快進撃を許すか、それともヒラリーが食い下がるか。次の山場は3月4日のオハイオ州、ロードアイランド州、テキサス州、バーモント州の4州となりました。
 特に重要なのはオハイオ州とテキサス州で、ヒラリーが圧倒的なリードを誇っています。オハイオ州はヒラリーの支持層であるブルーカラーが多く、テキサス州は同じくヒラリーの支持層であるヒスパニック系が全人口の3分の1を占めます。
 ヒラリーにとってはここで大勝して反撃に転じるか、オバマにとっては同点に持ち込んでヒラリーの反撃を封じるか運命の分かれ道になります。
 ある教員はオバマに演説を聞いた時の感動を、「ここにいる人々はずっと打ちひしがれていたんだ。でもオバマがファースト・フードの仕事について語った時、それが心に響いたんだ。人生で初めて本物の変化が起こるかもしれないと感じさせる候補に私は出会った」と語っています。
 オバマはヒラリーに対して倍の資金を投入してテレビ・コマーシャルを展開、少しでもヒラリーのリードを縮めようとしました。一方、ヒラリー陣営は「午前3時。子供たちは安心してぐっすり寝入っている・・・・・」というナレーションに引き続き、ホワイトハウスでヒラリーが緊急電話に出るコマーシャルを流しました。ヒラリーは経験ある強い指導者というイメージを打ち出したのです。それをオバマは「どんな正確な外交経験があれば午前3時に電話に出ることで自分が適任であると主張できるのか」と痛烈に皮肉る場面も見られました。
 対するヒラリーは2000年のブッシュ大統領が思いやりのある保守主義で「変化」を訴え人々が騙された結果、最悪の事態がもたらされたとし、「変化」を訴えているオバマを暗に批判しました。ヒラリーはブッシュ大統領とオバマを並べる作戦を採用、オバマのイメージダウンを図ることに腐心したのです。他にもヒラリーは、オバマを面と向かって戦おうとしない「卑怯者」と呼びました。
 結局、ヒラリーは何とかリードを守りきって、3月4日の4州のうち、オハイオ州、バーモント州で勝利しただけでなく、さらにはテキサス州の予備選挙(テキサス州では党員大会と予備選挙でそれぞれ代議員を選出)でも勝利をおさめたのです。
 
●オバマの戦略を斬る
フレーミング(framing)戦略。理解しやすいような枠組みで何かを説明すること。労働者が失業して困窮している。そう一言で済ますのは簡単だが、それだけでは共感できない。あまりに一般的な話だからだ。それを具体的な話を交えて分かりやすくする。有権者が社会問題を我が身のことに感じられる。それが本当の理解だ。

ヒラリー、オバマの隙をついて一矢報いる
 
 一進一退の攻防でヒラリーはオバマに追い着くことはできませんでした。そのためヒラリー撤退論が囁かれ始めましたが、ヒラリーは力強い言葉で最後まで選挙戦を戦い抜くことを宣言しました。そして、最後の大票田ペンシルバニア州にヒラリーは逆転勝利の望みを託したのです。
 ペンシルバニア州はクリントン一家と深い縁があるだけではなく、オバマが高い支持を誇る高学歴層と若年層が少ない。大差でペンシルバニア州を制すればヒラリーの逆転勝利も夢ではありません。
 まさに正念場のヒラリーは外交経験をアピールしようと、「狙撃の下、着陸したのを忘れない。空港で何か式典があるはずだったけど、それどころじゃなくて頭を下げて乗物に走って乗り込んで基地に向かった」と冗談めかして言いました。それが嘘だと判明して非難を浴びると、ヒラリーは、ビル・クリントン元大統領の援護射撃で何とか危機を乗り切るという失態を演じた。
 それも束の間、今度はオバマ陣営に危機が訪れました。オバマが通う教会のライト師が、9・11同時多発テロはアメリカにも責任があるとし、アメリカ政府が黒人にエイズを広めていると批判したのです。さらに人種問題についても白人に対する敵意をあらわにしました。ライト師の発言はオバマに飛び火し、オバマは支持率の急落に見舞われることになります。
 オバマは人種問題を話題にすることは避けていましたが、支持率の低迷をうけて人種問題に関する演説を行いました。それが「より完全な連邦(A More Perfect Union)」演説です。

‘A More Perfect Union’ speech
「より完全な連邦」演説

Race is an issue that I believe this nation cannot afford to ignore right now.
「人種問題は今、アメリカが無視できない問題だと思います」

And if we walk away now, if we simply retreat into our respective corners, we will never be able to come together and solve challenges like health care, or education, or the need to find good jobs for every American.
「今、私たちが責任から逃れ自分の殻に籠ってしまったら、国民皆保険や教育、すべてのアメリカ国民に職を見つけるといった挑戦を一緒になってやり遂げることができなくなる」

But what we know-what we have seen ― is that America can change. That is true genius of this nation. What we have already achieved gives us hope-the audacity of hope-for what we can and must achieve tomorrow.
「アメリカは変わるということを私たちは知っているし見てきた。それがアメリカの本質。私たちが既に成し遂げてきたことは私たちに希望を与える。明日に成し遂げなければならないことに対する勇敢なる希望を。」
                                   バラク・オバマ
 
 人種問題に足をとられるとアメリカが今、直面しているさまざまな社会問題に対処できなくなるとオバマは訴えました。
 演説の最後のほうでアシュリーという選挙戦を手伝っている一人の白人女性が登場します。黒人社会で選挙戦の手伝いをしていたアシュリーは、ある談話会でなぜオバマを支援するのかと聞いて回りました。みんなそれぞれの理由や背景を持っていましたが、一人の年老いた黒人男性だけは違いました。その黒人がそこにいたのは、保険のためでも経済のためでもなく、オバマのためでもありません。その男性の答えは「アシュリーのためにここにいる」というものでした。これは人種も性別も立場も越えて心を通わせることができるという連帯の物語です。
 この演説はYouTubeにアップされ、400万回以上の再生回数を記録しています。ある学生は「さまざまな集団の中で繰り返し対話が必要だったけど、日常的には全然交流がなかった。でもオバマの演説が交流の場を生み出した」と演説が多くの人々に影響を与えたことを語っています。
 CBSの世論調査によると、過半数の人々が、オバマの人種問題に対する意見に賛同しています。オバマは何とか危機を乗り切ったと言えるでしょう。オバマの演説をテレビで見た男性は、「人種問題のようなことを全米放送で話したがる人なんてそんなにいないだろうが、オバマはちゃんと話したし、うまくやったさ」と言っています。
 
 オバマは、ライト師の発言に端を発する人種問題から離れて、その他の国内問題に人々の注意を向けようとしました。しかし、今度はオバマ自身が「苦境に陥った労働者が、不満をぶちまける方法として、銃や宗教、または好意的ではない人々に対する敵意や反移民感情、それに反貿易感情に執着するのは驚くべきことではない」という失言をしてしまったのです。
 オバマの失言に対してある女性は「オバマはペンシルバニアのことを分かっていない。ペンシルバニアの人々が信心深いのはそれが素性だからで仕事に怒っているからではない」と憤りをあらわにしています。
 ヒラリーはすかさず「オバマの意見はエリート主義で、実情を把握していないのよ。アメリカ人の価値と信念を分かっていないのね」と批判を浴びせました。オバマは、実は経済的苦境を強調するためだったと反論し、ヒラリーがネガティブ・キャンペーンに終始していると反撃を試みています。
 ついに運命の日の4月22日。ペンシルバニア州で予備選挙が行われ、結果、ヒラリーが勝利しました。ヒラリーは勝利したものの決して圧勝とは言えず、今後の見通しは明るくありません。対するオバマも失言のダメージでヒラリーに決定打を与えることができなかった。予備選挙は最後の最後までもつれこむことになったのです。

●ヒラリーの戦略を斬る
ネガティヴィティ(negativity)戦略。相手の弱点を突くこと。オバマ自身はエリート云々などとは言っていないのに失言をエリート主義と断言して切り捨てるヒラリー。どんな話の流れで言ったかは問題ではない。敵に都合の良い解釈を許してしまうのはまさに油断。解釈をする主導権を渡してしまったのはオバマのミス。

戦いはまだ続く 

 ペンシルバニア州での勝利は戦いをさらに長引かせることになった。ヒラリーは勝利をおさめたものの、逆転の弾みになるほどの勝利ではありません。ヒラリーは疲弊する中産階級のために奮闘する政治家というイメージを強め最後の抵抗を試みました。
 それに対抗してオバマはヒラリーの支持層であるブルーカラー層に楔を打ち込みます。さらにオバマは失言によるイメージダウンを払拭しようと庶民色をアピールしました。もちろん勇気と希望に触れることも忘れてはいません。
  
How many workers have suffered the indignity of having to compete with their own children for a minimum wage job at McDonalds after they gave their lives to a company where the CEO just walked off with that multi-million dollar bonus?
「どれだけ多くの労働者が、数百万ドルのボーナスを懐に経営者が去っていくような会社に人生を捧げた後で、マクドナルドの最低賃金の職を自分自身の子供と奪い合わざるを得ないような冷遇を受けているのか」

The fact is Michelle and I, our lives-if you look back the last two decades-more closely approximate the lives of the average voter than any other candidate. We struggled with paying student loans, we tried to figure out how to make sure that we got adequate day care, I filled up my own gas tanks.
「もしここ20年を振り返れるのであれば、ミシェルと私の人生は他のどの候補者よりも平均的な有権者の生活に近いものです。学生ローンを返すために頑張ったし、どうやって適切な保育を受けることができるか計算したし、自分でガソリンタンクをいっぱいにした」

                                   バラク・オバマ

We need a president who’s a fighter, who knows what it is like to get knocked down, then is able to get back up: that’s the story of America, right?
「闘士である大統領が必要です。ノックダウンされて、それから復活することがどんなことか分かっていないとね。それこそアメリカらしい物語でしょ」
                                
I'm the only candidate who has a plan to give relief to the nation's drivers and to pay for it. And people need relief.
「全米のドライバーに救済を与え補助を与えるプランを持っている唯一の候補は私です。人々には救済が必要よ」
                                ヒラリー・クリントン

 ヒラリーがペンシルバニア州を死守したことで戦いは最後の最後まで続くことになり、オバマはヒラリーの支持層を切り崩そうとブルーカラーに対するアピールを増やしました。またエリート主義という批判をかわすために、オバマは庶民色を前面に出しました。
 オバマは自分の祖父母や父母がアメリカでどう生きてきたか訴えかけ、聴衆に古き良きアメリカを思い出させました。そして、今こそアメリカを再生しなければならないと訴えました。
 そんな最中、ライト師の発言問題が再燃。ライト師匠がまた白人に対する敵意をあらわにしたのです。ライト師との関係をこのまま続ければ白人の支持が危うくなります。オバマはライト師と訣別し、「ライト師の発言は不愉快だ。私が目指すことや私の存在そのものすべてを否定している」と絶縁を宣言しました。
 これ以上の支持率の低下を食い止めるためにオバマ夫人のミシェルがテレビに出演、オバマの健闘を視聴者にアピールしました。
 一方、ヒラリーは中産階級のために奮闘する政治家というイメージを強化し、オバマは実情を知らないエリートだと攻撃しました。高騰するガソリン代と闘うヒラリー、国民皆保険実現のために戦うヒラリーといったイメージ戦略です。
 ちょうどこの頃、「ヒラリー対コーヒー・メーカー」という映像がYouTubeにアップされるという珍事がありました。ヒラリーがコーヒー・メーカーと奮闘している姿をとらえた映像です。再生回数は100万回に迫っています。闘士ヒラリーにも暫しの休息が必要なようです。
 白人労働者が多いインディアナ州でヒラリーは勝利しましたが、ヒラリーのオバマに対するネガティブ・キャンペーンを多くの人々が快く思っていませんでした。一方、インディアナ州よりも票数が大きいノースカロライナ州はオバマの手に落ちました。
 ヒラリーは「候補指名が決まるまで私はレースを続けるわ。候補になるために私はできるかぎり頑張るつもりよ」と撤退論を再度拒絶し最後の巻き返しをはかりました。

●オバマの戦略を斬る
オーセンティシティ(authenticity)戦略。生身の人間であることをアピールすること。自分とは縁遠いエリートだなと有権者に思われてしまうのは政治家にとってマイナスになる。手の届かない人間ではなくて実は身近な人間だという演出も必要。だからバスケットボールをしたり気軽に有権者に話しかけたりする。注目が集まっている人間であればあるほど意外性があるので効果が高い。

大統領を目指して二つの道は今一つに

 オバマの勝利宣言はとても慎ましやかで自分を誇るところがほとんどありません。それに応えたヒラリーの「きっと私たちはできる」も慎ましやかです。予備選挙が終わった時、これからなすべきことはオバマ陣営とヒラリー陣営の二つに分かれて争った民主党員を再び統合することです。ヒラリーが歩んだ道、オバマの歩んだ道は別々でしたが、これからは大統領を目指して一つになるのです。

Tonight, we mark the end of one historic journey with the beginning of another-a journey that will bring a new and better day to America. Because of you, tonight I can stand here and say that I will be the Democratic nominee for president of the United States of America.
「今夜、新たなる歴史的な旅が始まりとともに一つの歴史的な旅の終わりを迎えた。その旅はアメリカに新しくより良い日をもたらす。まさにあなたたちのおかげなのだ。今夜、私がここに立ち、アメリカ合衆国大統領民主党候補は私であると言えるのは」
                                   バラク・オバマ

The way to continue our fight now, to accomplish the goal for which we stand, is to take our energy, our passion and strength and do all we can to help elect Barack Obama the next president of the United States.
「私たちの打ちたてた目標を達成するために今、戦いを続ける方法は、私たちの活力と情熱、そして強さをかけてオバマが次期アメリカ大統領に選出されるように全力で応援することよ」

So today I am standing with Senator Obama to say: ‘Yes, we can!’

「今日、私はオバマとここに立って『きっと私たちはできる』と言おう」
                                ヒラリー・クリントン

 遂にヒラリーはオバマに及ばず、6月3日のモンタナ州とサウスダコタ州を最後に予備選挙は幕を閉じました。丸5か月に及ぶ激闘でした。6月8日にヒラリーはオバマを支持する旨を公表、戦いは終わりました。
 オバマの勝利を聞いてガーナからの移民は「これまでなかったような希望を黒人の私たちは今、持っています。私の小さな娘のために新しい目標を持っています。娘は黒人だからといって言い訳をしなくてすみます」と希望を語っています。
 6月28日にオバマとヒラリーはニューハンプシャー州のユニティ(統合)で肩を並べ一致団結して本選にのぞむことを誓いました。キャッチ・フレーズは「変化のために統合を(Unite for change)」です。

●オバマの戦略を斬る
フェンス・メンディング(fence mending)戦略。対立の溝を埋めること。ヒラリーの支持者の反目をかうと本選に悪影響が及ぶ。ここはヒラリーを持ち上げて早く溝を埋めてしまったほうが得策。既に勝負は決まったのだからいくら敗者を持ち上げても問題ない。今までいがみあっていても、そこはこらえて昨日の敵は今日の味方に。

オバマはアメリカに何をもたらすのか?

 「私には夢がある」。1963年8月28日、キング牧師はワシントンに結集した大観衆の前で演説を歴史に残る演説を行いました。それからちょうど45年、2008年8月28日にオバマがデンバーで開催された民主党大会で大統領候補指名受諾演説を行いました。
 オバマはまさに彗星の如く登場しました。ついこないだまではオサマ・ビン・ラディンとしばしば名前を取り違えられていたくらいです。今、全米が、いえ全世界がオバマに注目していると言っても過言ではありません。
 2004年に民主党大会でオバマが基調演説をした時に、早くもオバマを2008年の大統領候補にという声がありましたが、それを本当に実現してしまうとは誰が予想し得たでしょうか。そして、オバマはこれからどこへ向かうのでしょうか。
 オバマのことをいろいろ考えていると忘れられない政治家が一人います。ウィリアム・ブライアンです。1896年、弱冠36歳のブライアンは金権政治を打破することを誓う「黄金の十字架」演説で民主党の大統領候補指名を獲得しました。雄弁で知られたブライアンは一般大衆による政権奪取を訴えて全米を精力的に遊説しました。しかし、ブライアンは特殊権益の厚い壁に阻まれ敗れたのです。ブライアンが苦境に陥っても一般大衆は自らの声を届け自らの思いを表現する武器を持っていませんでした。結局、ブライアンは三度大統領選に挑戦しましたが三度ともかないませんでした。
 オバマもブライアンと同じく特殊権益の支配からワシントンを解き放つことを目指しています。ブライアンの時代よりもワシントンにはさらに多くの利害が絡み合っていることでしょう。それをオバマは断ち切ろうとしています。
 ブライアンの時代と大きく違う点が一つあります。一般大衆が自らの声を届け自らの思いを表現する武器を持ったことです。もはや選挙運動はマスメディアだけでは事足りません。マスメディアに加えてインターネットがますます影響力を強めています。新聞、テレビ、ラジオ、インターネット、ありとあらゆるメディアを通じた総力戦です。
 従来、メディア戦略は、マスメディアを介していかにうまく候補者を一般大衆に売り込むかが課題でした。候補者、マスメディア、そして一般大衆という一方通行の流れがありました。しかし、今では一般大衆も情報を発信できます。マスメディアがオバマを好意的に報道すると、インターネットでその記事や映像が流される。今度は、インターネットでオバマの演説をもとにした歌がアップされるとマスメディアがそれを取材する。このようにマスメディアとインターネットが好循環を生み出したことがオバマの大きな追い風になりました。
 オバマ陣営はYouTubeを有効活用していましたが、ヒラリー陣営はそうとは言えません。オバマのキャンペーン・ウェブサイトがYouTubeにアップした動画は1000を超えますが、ヒラリーのキャンペーン・ウェブサイトがYouTubeにアップした動画は100にも満たない数です。
 インターネットはオバマが強調する草の根活動の強力な武器となりました。インターネットを使えば支持者たちが自ら資金集めパーティーを開いたり、交流会を催したりすることが容易になります。支持者たちが活動を自分たちの手で盛り上げることができたのです。
 自分が知らない間に何か大事なことが一部の人によって決められることにもう我慢できないという一般大衆の声と思いをオバマは巨大な力に育て上げました。しかし、「オバマ疲れ」という言葉も囁かれます。今後のオバマの課題はいかにその巨大な力を維持するかです。そのためには大統領に当選し、国を先頭に立って導く決意に溢れた雄姿を国民に絶えずさらし続けなければなりません。
 オバマが目指しているのは現代版のニュー・ディールです。ディールとはトランプの手札を配ることです。大富豪というゲームがありますが、もし手札が初めから良ければ勝つのはたやすいでしょう。少しくらいの差であれば手札が悪くても工夫次第で勝てます。しかし、相手に良い手札がすべて渡ってしまって、自分ところには悪い手札しかないとなればどうでしょうか。いくら工夫しても勝てません。
 アメリカは伝統的に自由放任主義です。努力した者が成功をおさめる。それこそがアメリカの単純かつ絶対的真理と言えます。しかし、成功は継承されます。良い手札を一度握った人はそれを自分の子供たちに手渡そうとします。自由放任主義がずっと続くとそれが果てしなく切り返され、良い手札を持つ人たちのところにはますます良い手札が集まり、悪い手札を持つ人たちのところには良い手札が回ってこなくなります。オバマはそれをリセットして手札を配りなおそうとしているのです。
 内政だけではなく外交面でもオバマは新機軸を国民に示そうとしています。石油利権の支配からの脱却です。アメリカ外交は石油利権に振り回されていると世界の多くの人々が思っているでしょう。石油利権がアメリカ外交をすべて決定しているわけではありませんが、それはアメリカの負の側面だと信じられています。それを是正しようという試みは世界に大いに歓迎されるでしょう。
 9・11以後、アメリカは超大国でありながらも迷走しています。冷戦でアメリカが勝利したのは強大なソフトパワーがあったからです。世界征服をくわだてるソ連から世界の自由を守るのがアメリカだという正当性は計り知れない利益をアメリカに与えました。自由で豊かな希望溢れたアメリカというイメージはとても重要です。そういうイメージが世界中で定着すればアメリカを好きになる人が増えます。それこそがソフトパワーです。世界の中でアメリカが今、最も必要としているのはソフトパワーなのです。
 グルジア紛争でロシアは新冷戦も辞さないと強硬姿勢を示しました。ロシアは強いロシアの復権という明確なビジョンを打ち出しています。もし新冷戦が始まるのであればアメリカはどのような正当性でロシアに対峙しようというのでしょうか。アメリカは世界に向かって何か新しい正当性を打ち出さなければなりません。それがソフトパワーの源になります。
 予備選挙に勝利をおさめた後、オバマはベルリンを訪れました。その時の観衆の熱狂ぶりは歴史的なものでした。熱狂をもたらすのはソフトパワーに他なりません。オバマはアメリカ外交でソフトパワーを復活させようとしているのです。
 最後にオバマはなぜヒラリーに勝利できたのかまとめておきます。オバマは今まで見えなかった声なき声を一つのうねりにまとめることに成功しました。それができたのはもちろんインターネットだけの力ではありません。やはり、オバマの言葉の力があったからです。
 ヒラリーは理性に訴えかけました。しかし、オバマは情熱に訴えかけました。多くの人々が今のままでは駄目だと漠然とした不安を抱いていましたが、何をどうすればよいのか分かりませんでした。そういう時には何が一番必要とされるのでしょうか。
 まずは希望を与えることが大事です。不安で心がいっぱいの時に理性に訴えかけても効果はありません。オバマは情熱に訴えかける言葉で人々の不安を行動に変えたのです。ある60代の白人男性は、「オバマは何をなすべきか良く分かっている。イラク政策に関しても撤退と望んでいるアメリカ国民の意思をくみ取っている」と評価しています。
 オバマとヒラリーの対照的な点は人間味という点です。オバマは自分の出自を語り、人々が身近に思えるような話を多用し人間味を出しました。政治家も一人の人間です。政策のみならず自分たちの大統領候補がどんな人間であるのか、有権者は内面を知りたいのです。大統領はアメリカの顔です。
 オバマは自分の持ち味が何かよく分かっています。そして、人々が何を求めているのかもよく分かっています。アメリカ国民にとって9・11は恐怖そのものでした。そして、テロに対する戦争によってアメリカ国民の自由は著しく制限され、また世界の大半の国々からアメリカは疎まれることになりました。さらにサブプライムローン問題やガソリン価格の高騰、不透明な経済状況、明るいニュースはほとんどありません。そんな時に求められるパーソナリティは何でしょう。未来を真っ直ぐ見詰める確かな瞳です。暗い気分を吹き飛ばしてくれるような笑顔です。そして、不利な状況でも努力を放棄しない芯の強さと落ち着きです。オバマは過去の経歴からすると短気でせっかちな面もあります。落ち着きはオバマの優れたセルフコントロールによるものでしょう。それでいて少年のような茶目っけも時折顔をのぞかせます。このようにいろいろな面があるからオバマは人を惹きつけます。
 オバマをステレオタイプにあてはめることはできません。一般的に人間はよく知らない人がどういう人物か判断する時にステレオタイプに頼ります。こういうことをする人はきっとああいう性格に違いないと判断するものです。特別に親密にならない限りは、無意識のうちにステレオタイプをあてはめて「理解」してしまい安心します。そうなると途端に興味は薄れます。
 しかし、オバマに対してあてはめることができるようなステレオタイプを持つ人はほとんどいないでしょう。オバマは黒人といってもハーフであり、アメリカ人といってもインドネシアで教育を受けていますから。
 人間は未知のものがあると不安を覚えます。未知のものを自分が知っているもの、つまりステレオタイプにあてはめて分別し「理解」したいのです。そして安心したいのです。あてはめることができるようなステレオタイプが無ければ、できるだけ情報を集めて判断しようとします。それが興味や関心になります。オバマに注目が集まるのはそういう深層心理も働いているでしょう。
 対してヒラリーはなかなか人間味を出す機会がありませんでした。冷酷であるとか計算高いなど悪いイメージが付きまとい、好悪の別がはっきり分かれました。ヒラリーの支持者である40代白人女性でさえ、「クリントン政権の時に医療保険について口を出し始めたときから、ヒラリーは人々の嫌悪の対象になっていた」と認めています。ステレオタイプが既に出来上がっています。そのため新たな興味や関心を呼び起こしにくいというデメリットがヒラリーにはあったのです。そうなると既存の悪いイメージを覆すのは並大抵のことでは不可能でしょう。
 選挙戦の途中で涙ぐんだり、コーヒー・メーカーと戦ったりする珍事がありましたが、そうした人間味のある面を見せられればヒラリーはもっと得票することができたはずです。ヒラリーは、経験豊富であることをアピールするよりもあたたかい人間味を演出するべきでした。ヒラリーが経験豊富であることは初めから十分に知れ渡っているのですから。そして、ヒラリーに最も必要だったのは、オバマに対してネガティブ攻撃をすることではなく、恐れずに既存のイメージを叩き壊す勇気でした。
 一方、オバマは、ヒラリーに対してネガティブ攻撃をすることはできるだけ避け、その代わりに夢や希望、変化というポジティブな言葉で人々を魅了しました。人々が持つ不安をくみ取り、それを打ち消す力強い言葉の力こそオバマの真骨頂です。その言葉の力と人間味の演出が、アメリカを何とか変えようと熱望する政治家というオバマのイメージを作り出したのです。内政であれ外交であれ、オバマはきっと何かをやってくれる、そう思わせることに成功したことがオバマの最大の勝因です。
ジョージ・ワシントン大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究