国務長官ジョン・カルフーン


ジェームズ・ポーク ジョン・カルフーンの経歴については、モンローの項、副大統領/閣僚/最高裁長官、陸軍長官ジョン・カルフーンを参照せよ。
 カルフーンは前政権から引き続き留任したが、短期間で退任した。同年、連邦上院議員に再び就任した。カルフーンは米墨戦争に強く反対した。もしメキシコから新たに領土を獲得することになれば、その領土における奴隷制の是非をめぐって奴隷制問題が再燃する恐れがあると考えたからである。
 カルフーンは自由州としてオレゴンとカリフォルニアが連邦に加盟することに反対している。カルフーンは、両州が自由州として連邦に加盟することにより、奴隷州と自由州の均衡が崩れることを危惧していた。また1849年の「南部の声明」では、自由州が奴隷解放を行なう陰謀をめぐらせていると主張した。こうしたカルフーンの主張は南部の世論を糾合する役割を果たした。
 1850年、ホイッグ党と民主党の代表者達によって奴隷制問題に関する妥協策が協議された。カルフーンは、もし北部が南部の自主性を重んじ奴隷制の存続を認めれば連邦の解体は避けられると信じていた。1850年3月31日、カルフーンはワシントンで亡くなった。皮肉にもカルフーンの死は、北部と南部の間の緊張を和らげ1850年妥協の成立を促すものとなった。晩年、カルフーンは2つの論説を書いていた。まず「憲法と合衆国政府に関する論考」と題する一文では、多数者の支配の中における少数者の権利について述べられている。そして、「政治に関する論考」では、政治における多元主義について論じられている。

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