後世の評価


勇気ある人々
 ケネディ大統領はその著『勇気ある人々』の中でジョン・クインシー・アダムズを次のように評している。『勇気ある人々』は、1955年にピュリッツァー賞を受賞し、全米でベスト・セラーになった。

「ジョン・クインシー・アダムズは、われわれの政府やわれわれの生き方に忘れがたい足跡を遺したすばらしい血筋を代表する、最も偉大な人物の一人だからだ。清教徒は、世の中に対するアダムズの姿勢の形成に影響を与えた岩即ばかりのニューイングランドの田舎のように、厳格に、そしてかたくなに、アメリカ共和国の黎明期に対して意義と一貫性、そして特徴的な性格を与えたのだ。アダムズは創造主に対して感じている厳格な責任感を生活のあらゆる場面に持ち込んでいる。人間は神の姿に似せてつくられている、したがって自分も自己統治のために必要な優れた能力を持っている、と信じていた。清教徒は自由を愛し、アダムズは法律を愛した。州の権利と個人の権利との折合いがつくポイントを正確に見きわめられる天才だった。[中略]。たしかに祖国のために献身的な仕事ができる最高の才能を持つ人物の一人ではあったものの、アダムズには、普通ならその人柄に彩りを添え魅力を与えてくれるような個性が、ほとんど見当たらなかった。ただし、その人柄には、魅力と高潔さがあった。頑固一徹、不屈の信念の持ち主で、まわりの最な手強い敵がくだす評価よりもさらに厳しく自らを評価し、われわれの歴史に登場する偉大な政治家の中にあって比類のない誠実さを発揮し、どんなときにも、自らの良心と、両親やその戒めそして教訓に恥じない人間になるという心の奥底からの義務感を糧に前進する、そんな人柄だった。[中略]。『大衆に対する異常なほどの気づかいをしている振りをする、大衆の偏見に迎合する、大衆の情熱に奉仕する、そして目まぐるしく変わる大衆の意見に調子を合わせる』といった類の愛国者になることを拒否していた。その導きの星は、何年も前に父親が確立してくれた清教徒の政治家としての主義主張だった。それは『公職にある者は自分自身の欲望の召使でもなければ、世の人々の召使でもない。自らが崇める神の召使なのだ』ということだった(宮本喜一訳)」

総評
 アダムズは自らが固く信奉する厳格な正義から、政治的配慮に基づく政策を採用することを好まなかった。それはアダムズが猟官制度を採用しなかったことからもよく分かる。こうしたアダムズの自他ともに厳格な姿勢は、ともすれば一般庶民を遠ざけているようにも見えた。それは父ジョンにも共通している。
 アダムズは大衆の関心に迎合せず、しばしば妥協を好まず、自らが不正だと思ったことは全く遠慮することなく主張したので決して「政治屋」の資質に優れているわけではなかった。しかし、「国家の行為は、国益の排他的、かつ最優先の考慮により規定される」という自らの信念を貫き通した姿勢は、外交面での業績とともに高く評価されている。アダムズが推進しようとしたアメリカン・システムも形を変えて後の共和党に受け継がれ、19世紀後半の発展の礎となった。

ジョン・クインシー・アダムズ大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究