学生時代


各地の学校で学ぶ
 独立戦争時、クインシーの学校は閉鎖されていたために、ジョン・クインシー・アダムズは家庭で教育を受けた。また父ジョンの下で働いていた法務書記から学んだ。10才までにはシェークスピアを読んでいたという。
 父の異動に同行してフランスに渡り、パリ郊外のパッシー・アカデミーでフランス語やラテン語の古典に加え、フェンシング、ダンス、音楽、そして芸術などを学んだ。父ジョンは息子がフランス語を修得していく様子を「私がすべての本を使って1週間で学ぶよりも1日でより多くのフランス語を学んでいる」と記している。さらに父の指導の下、代数、三角法、微分、地理学を身につけた。
 アムステルダムでは、ラテン語学校に入学したが、1781年にライデン大学に移っている。

ハーヴァードに進学
 ジョン・クインシー・アダムズは正規教育を受けた期間は短かったが、父ジョンの厳しい薫陶と外国生活のお蔭でギリシア語、ラテン語、フランス語、オランダ語、ドイツ語に堪能であった。1785年7月に帰国した後、叔父の指導を暫く受け、ハーヴァード大学に進学した。アダムズは「ヨーロッパに長期間滞在していたので、我が祖国で疎外感を感じるのではないかと危惧した」とこの頃を回想している。
 大学ではピー・ベータ・カッパ結社に属し、楽団でフルートを演奏したという。1787年7月18日、ハーヴァード大学を51人中次席で卒業した。卒業式では「国民の福祉への公的信頼の重要性と必要性」と題する式辞を述べた。ハーヴァード大学での経験により、アダムズは「私自身や私の将来の見通しに関する私の見解は、まことに平凡に近いもの」だと思うようになった。
 大学卒業後アダムズはマサチューセッツ州ニューベリーポートで、後にマサチューセッツ州最高裁長官になったテオフィロス・パーソンズの下で法律を学んだ。勉学の合間を縫って、古代の歴史から文学作品まで幅広く読書した。特にジェファソンの『ヴァージニア覚書』やイギリス小説の父ヘンリー・フィールディングの『捨て子トム・ジョーンズの物語』を好んで読んだという。

ジョン・クインシー・アダムズ大統領歴代アメリカ合衆国大統領研究