アメリカ大統領の任期

 アメリカ大統領の任期について詳しく解説する。まず通常、アメリカ大統領の任期は憲法の規定にしたがって2期8年である。しかし、引き継ぎの任期を務めた場合は異なる。前大統領が職務を遂行できなく亡くなった場合に大統領職を引き継ぐ場合、その期間が2年未満であれば、さらに2回大統領に選出を認められる。その期間が2年以上であれば1回しか大統領に選出を認められない。つまり、引き継ぎの任期を務めた場合、最大の任期は3期10年未満となる。

大統領の任期に関する憲法制定会議の議論

 大統領の選出方法、再任を認めるか否か、そして任期の長さはそれぞれ独立して考えられない問題であった。ヴァージニア案では行政府の長の任期は空白のままであり、再任は認められていなかった。61日、こうした規定が全体委員会で検討された時、再任を認め任期を3年とする案、再任を2回認め任期を3年とする案、再任を認めず任期を7年とする案など様々な案が提案された。 

69日、ゲリーは行政府の長を連邦議会の投票ではなく諸邦の知事の投票で選ぶ案を提案した。邦知事は自身も邦の行政府の長であるため議会よりも有能な行政府の長を選ぶことができると期待された。しかし、ゲリーの案は否決された[i]。代表達の選択は、再任を認めるか否かという点、そして連邦議会による選出を認めるか否かという点に絞られた。マディソンは再任を認める点と行政府の長を連邦議会によって選出する点の両方を憲法案に盛り込むことはできないと主張した。なぜならもし大統領が議会によって選ばれ、かつ再任を認められた場合、大統領は再任されるように政治的影響力と官職任命権を使って議員を抱き込む危険性が考えられたからである[ii]。最終的に613日に以下のような決議がまとまった。

 「1人からなる国家行政首長が設けられ、国民議会によって選出され、任期は7年とし、連邦法を執行する権限を持ち、その他の規定で定められる場合を除いた官吏を任命する権限を持ち、2回選ばれる資格はなく、弾劾され、不正行為、もしくは義務の怠慢で有罪判決を受ければ免職され、固定給を受け、それによって公務に彼の時間を捧げる報酬とし、国庫から支払いを受けると決議する。国家行政首長はあらゆる法を拒否する権限を持ち、その後、国民議会の各院で3分の2の票を得なければ可決されないと決議する」[iii]

マディソンの指摘にも拘わらず、717日、憲法制定会議は再任を認める点と行政府の長を連邦議会によって選出する点の両方を認めた。しかし、ジェームズ・マックラーグ(James McClurg)が両方を盛り込むことの矛盾点を指摘した時、大統領を1期に限るように戻された。さらにマックラーグはグヴァヌア・モリスとジェイコブ・ブルーム(Jacob Broom)の支持を受けて、矛盾点を解決する別の方法を提案した。すなわち、大統領を連邦議会が選出し、任期を罪過なき限り終身とする案である。マックラーグの考えでは、任期を7年とし、議会による再選を認めることは、行政府の長を永久に議会の従属させることを意味した。再選を認める議決の後で行政府の長の独立を保つためには任期を終身にするしかないとマックラーグは主張した。モリスはマックラーグの提案を支持し、終身制により行政府の長の独立が保たれるのであれば、どのような選任方法をとっても問題はないと述べた。メイスンは、行政府の長に終身制を認めることは容易に世襲君主制に添加する危険性があると指摘した。マディソンは、人民による選挙か、もしくは任期を長くすることで行政府の長を議会から独立させることは共和政体を保持するために不可欠であると論じた。マックラーグの提案はメイスンが述べたように過度に君主制を想起させるものだったので代表達にとって受け入れられるものではなかった。

719日、マーティンは行政府の長の再選を制限するべきだと動議した。ランドルフはマーティンの動議を支持して、もし行政府の長が議会により再選されることになれば、行政府の長は議会をまったく抑制できなくなると述べた。モリスは、行政府の長が議会により自由に任命され弾劾されるようになれば、行政府の長が人民の利益の保護者になることもできず、単なる議会の従属者になると警告した。そして、モリスは行政府の長を議会から独立させるために、行政府の長を人民の選挙で選び、再選資格を与えるべきだと主張した。キングも再選資格を奪うのに反対して人民が選ぶ選挙人による行政府の長の選出が最善であると主張した。マディソンは一般人民による選挙が望ましいと述べた。ウィルソンは再選資格をなくさない限り、行政府の長を議会が選出すべきではないという見解の一致が見られると指摘した。そして、人民による直接選挙、もしくは間接選挙が受け入れられるようになってきたのは喜ばしいことだとウィルソンは述べた。最終的に憲法制定会議はマーティンの動議を否決する一方で、大統領の任期を7年から6年に短縮することを決定した。任期をもっと短くすべきだと主張するモリスに対してエルズワースは、もし選挙が頻繁に行われれば、行政府の長の地位は十分に強固なものとならないと論じた。エルズワースの考えでは、たとえ不人気になっても行政府の長は遂行しなければならない義務を持っている。

724日、行政府の長をどのように選出するべきかという問題が再び議題にのぼった。ウィリアム・ホーストン(William Houston)は、既に同意が成立していたように選挙人が行政府の長を選出する代わりに連邦議会が行政府の長を選出する方式を再び提案した。ホーストンは、選挙人方式は非常に不便であり、多額の費用を要するうえに、有能な人物は選挙人になりたがらないだろうと述べた。結局、憲法制定会議は行政府の長を選出する方式を選挙人による方式から連邦議会による方式に戻すように決定した。任期と再任を認めるか否かも再び議論の対象となった。ウィリアムスンは選挙方法だけではなく任期を7年とし再任を認めない規定も復活させるべきだと主張した。エルズワースは再任を認めない規定を復活させることに反対して、もし再選を認めれば行政府の長は職務に励むことが期待されると主張した。ゲリーは、再任を認めないのであれば、任期を長くすればする程、行政府の長が議会に従属する危険性も抑えられるので任期を10年ないし20年に延期するべきだと主張した。

さらに726日、憲法制定会議は行政府の長の任期を1期に限るように決定した。具体的にどのような条文にするかは細目委員会に委ねられた[iv]。再任を認めるか否か、それとも連邦議会による選出か否かという問題はまた任期の長さを決定する問題でもあった。もし大統領が連邦議会によって選ばれ、再任が認められない場合、任期を長くするべきだと代表達は考えていた。一方でもし大統領が議会によって選ばれず再任が認められた場合、任期を短くするほうが好ましいと代表達は考えていた。

86日、細目委員会は草案を提出した。行政府の長に関する条文は以下の通りである。

「第1節、合衆国の行政権は1人の人物に属する。彼の肩書きは『アメリカ合衆国大統領』であり、彼の称号は閣下』である。大統領は議会の投票によって選出される。大統領は7年間、在職し、2回選出されることはない。第2節、大統領は、随時連邦の情報につき情報を議会に与える。大統領は必要にして良策なりと考える施策について議会に対し審議を勧告する。大統領は非常の場合には、議会を招集することができる。閉会の時期に関して両院の間に見解の一致を欠く場合には、自ら適当と考える時期まで休会させることができる。彼は合衆国の法律の適切かつ忠実に執行されることを配慮する。大統領は合衆国のすべての官吏を任命し、この憲法に特別の規定あるもの以外のすべての場合の官吏を任命する。大統領は大使を接受し、諸国の首長と通信できる。大統領は刑の執行延期と恩赦を与える権限を有するが、彼の恩赦は弾劾を防止するために申し立てることはできない。大統領は陸海軍及び各州の民兵の最高司令官である。大統領はその職務に対して定時に報酬を受け、その額は彼の任期の間、増減されることはない。大統領は行政府の職務の遂行を開始する前に、次のような宣誓もしくは確約をしなければならない。『私はアメリカ合衆国大統領の職務を忠実に遂行することを[空白]厳粛に誓う(もしくは確約する)』。大統領は、反逆罪、収賄、もしくは汚職で下院によって弾劾され、かつ最高裁で有罪判決を受ければその職を免じられる。上述のような免職、死亡、辞職、またはその権限及び義務を遂行する能力を失った場合は、別の大統領が選ばれるか、大統領の不能力の状態が去るまで上院議長がその権限と義務を行使する」[v]

 憲法制定会議は824日まで大統領に関する規定を取り上げなかった。大統領に関する規定の議論は827日まで行われた。大統領の権限を強めようとする提案も大統領の権限を弱めようとする提案も認められなかった。8月末、憲法制定会議は様々な問題を考案するために延滞事項委員会を発足させた。延滞事項委員会は、選挙人によって大統領を選出し、再任は制限されず、任期は4年とすることを推奨した。憲法制定会議は延滞事項委員会の報告を採択した。

任期を4年とし、再任を制限しないという決定は、任期を1期に限るべきだという主張と任期を終身とするべきだという主張の間の妥協である[vi]。しかし、多くの代表達は再任を制限するという考えに否定的であった。もし大統領が良い治績をあげたのならば、どうして人民は彼を続投させることが許されないのだろうか。議員の再任には制限が課せられないことを考えると、議員よりも継続性と経験が必要とされる行政府の長に再任を認めることは妥当である。国家の緊急時に人民の安全に不可欠な行政府の長が再任できなくするのは懸命なことだろうか。またもし再任が認められないことで政治的野心を阻まれた行政府の長が暴力や憲法に反した方法で権力を維持しようとする可能性もある[vii]



[i] David C. Whitney and Robin Vaughn Whitney, The American Presidents, Biographies of the Chief Executives, from George Washington through Barack Obama (The Reader’s Digest Association, Inc., 2009), 621.

[ii] Max Farrand, ed., The Records of the Federal Convention (Yale University Press, 1937), 1:68.

[iii] David C. Whitney and Robin Vaughn Whitney, The American Presidents, Biographies of the Chief Executives, from George Washington through Barack Obama (The Reader’s Digest Association, Inc., 2009), 622.

[iv] David C. Whitney and Robin Vaughn Whitney, The American Presidents, Biographies of the Chief Executives, from George Washington through Barack Obama (The Reader’s Digest Association, Inc., 2009), 625.

[v] David C. Whitney and Robin Vaughn Whitney, The American Presidents, Biographies of the Chief Executives, from George Washington through Barack Obama (The Reader’s Digest Association, Inc., 2009), 626-627.

[vi] 宇都宮静男、『アメリカ大統領制度論』(有信堂、1974)167

[vii] Max Farrand, ed., The Records of the Federal Convention (Yale University Press, 1937), 2:53.

任期について定めた憲法修正第22条の解説

 憲法修正第22条は、何人も2回を超えて大統領に選出されてはならないと規定している。また前大統領から大統領職を引き継いだ大統領も2年以上、在職した場合、1回を超えて大統領に選出されてはならないと規定している。もし大統領職を引き継いだ大統領が2年未満しか在職しない場合、2回の選出が許され、合計の任期は10年未満となる。憲法修正第22条は、議会がこの問題を考えている当時の大統領であったトルーマンを対象外にするように考えられ、「本条の規定は、それが効力を生ずる時に任期にある大統領の職にある者またはその大統領の職を行う者が、その任期の残余期間中大統領の職にありまたは大統領の職を行うことを妨げるものではない」と規定している。憲法修正第22条は、2期在任の伝統を破って4選を果たしたローズヴェルトに対する共和党が支配する議会の非難の表れである。

 大統領の在職は2期までに限るべきだと公式に表明した初めての大統領はジェファソンである。3期目に出馬するように求めるヴァーモント州議会からの手紙に、18071210日、ジェファソンは以下のように答えている。

 「行政首長の業務の終わりについては憲法で定められていませんし、慣習でも定められていませんが、彼の在任は、名目上、4年ですが、実際は終身になるかもしれず、歴史はそれがいかにたやすく世襲に変わるのを示しています。短い選挙期間で責任を持つ代議政府は人類に多くの幸せをもたらすと信じて私はそうした原理を本質的に傷付けるような行動をとらないことが義務であると感じますし、2期を越えた任期の延長に対する最初の例をもたらした模範的な前任者によって打ち立てられた健全な先例を無視する人物になるのは気が進みません」[i]

 ジェファソンがワシントンを模範的な前任者として言及したのは完全に適切であるとは言えない。ワシントンは自発的に2期で大統領職を退いたが、それは何らかの原理に基づいたわけではなく、政治の世界から引退したいという個人的な欲求が強かった。しかし、ジェファソンによる任期を2期に限る伝統は大統領制度にすぐに定着した。ジョン・クインジー・アダムズはそうした伝統を「暗黙の補足的な憲法」と述べている[ii]。さらにホイッグ党員と多くの民主党員は大統領の任期を1期に限るべきだと議論するようになった。実際、ジャクソン以降、リンカンが登場するまで選挙で当選して2期務めた大統領は1人もいなかった。ジャクソンも大統領の任期を6年に延ばす一方で1期に限るように憲法を修正するべきだと主張していた。ワシントンからフーヴァーまでの30人の大統領の中で20人が1期だけか、もしくはそれ以下の任期しか持たなかった。

 19世紀後半から20世紀初期にかけて、3期目の問題は時折、議論されるだけであった。グラントとウィルソンは3期目に向けて意欲を見せたが、2期目の終わりに人気が低迷していたために大統領候補指名獲得でさえ難しいと思われた。セオドア・ローズヴェルトの事例はさらに複雑である。ローズヴェルトが大統領選挙で当選したのは1904年の1回だけであり、その前に前任者のマッキンリーの任期を引き継いで3年半在職した。1908年、ローズヴェルトは再指名を辞退した。ローズヴェルトの人気を考えると当選は確実に思われたが、ローズヴェルトは大統領の任期を2期に限る伝統を「賢明な慣習」と評した。しかし、4年後、ローズヴェルトは再び大統領選挙に出馬した。1908年にローズヴェルトは「3杯目のコーヒー」を飲むことを否定したが、それはコーヒーを再び飲まないと決意したわけではなく、「もちろん私が意味したのは3期続けての任期」だと述べた[iii]

  1940年に大統領の任期を2期に限る伝統はフランクリン・ローズヴェルトによって破られた。1937年、ローズヴェルトは3期目の可能性を完全に排除しなかったが、1941120日の大きな抱負は後継者に大統領職を引き継ぐことだと述べた。数多くの民主党員が大統領選挙に出馬する意思を固めた。しかし、ローズヴェルトは2期目が経過するにつれ、自らの政策と計画に抵抗する議会にますます苛立ちを募らせるようになった。1939年に第2次世界大戦が始まると、アメリカのみが世界情勢の喧騒から逃れ続けることができる見込みはほとんどなかった。19407月の民主党全国党大会でローズヴェルトは最終的に3期目への意欲を公表した。全国党大会の代表達は圧倒的多数でローズヴェルトを支持した。

 ローズヴェルトの立候補の正当性について世論は分かれ、共和党員は彼らの候補者であるウェンデル・ウィルキー(Wendell Willkie)を応援するために「3期目を阻止せよ」と叫んだ。民主党員はリンカンの言葉を引用して「川の流れの中で馬を変えること」は馬鹿げていると反論した。ローズヴェルトは1940年の大統領選挙で勝利を収めたが、一般投票の差は、1936年の1,108万票から494万票に減少した。第2次世界大戦の勝利が目前となっていた1944年の大統領選挙では、ローズヴェルトは360万票差で勝利した[iv]。そして、ローズヴェルトは4期目に入って3ヶ月もしないうちに病死した。

 議会は大統領の任期を制限していない憲法に決して満足していたわけではなかった。1789年から1947年に至るまで270もの大統領の任期を制限する決議が議会に提出された。ローズヴェルトの登場は、この長い間、懸案事項だった問題に党派的な側面を付け加えた。1932年、共和党はローズヴェルトのニュー・ディール連合によって権力の座を追われた。保守的な南部の民主党員は、リベラル派と北部の民主党員に党の支配権を譲り渡した。

 1946年の中間選挙で共和党は上下両院で多数派を奪還した。194726日、下院は大統領の任期を2期に限る修正を憲法に加える案を285票対121票で可決した。下院の案は、1期を完全に務め、もう1期を1日でも務めた大統領は再選を求めることはできないと規定している。共和党議員は全会一致でこの修正を支持し、民主党議員は47人が賛成し、121人が反対した。民主党議員の賛成票は大部分が南部の民主党議員の票であった。312日、上院は1期を完全に務め、もう1期を半分未満務めた大統領に再選を認めるように変更したうえで憲法修正を59票対23票で可決した。共和党議員は下院と同じく全会一致で修正を支持した。民主党議員は13人が賛成し、23人が反対した。下院の案と上院の案の違いは速やかに調整され、1947324日に議会は最終決定を下した。

 憲法修正第22条をめぐる議論は、党派的な問題に憲法上の原理が被されていた。共和党は、大統領の任期を2期に限ることでアメリカ国民は過度に個人化した大統領制度の脅威から守られると主張した。さらに共和党のレオ・アレン(Leo Allen)下院議員は、国民に大統領が在任する期間を制限できる機会を与えるべきだと述べた。それに対して民主党のエステス・キーフォーヴァー(Estes Kefauver)下院議員は、国民はもし大統領が再任を求めれば、4年ごとに大統領が在職を終わらせるべきか否か判断する機会を持つことができると答えた。大統領の任期に制限を設けなかった憲法制定会議の決定にほとんど注意が払われることはなかった。また議会は修正が副大統領にもたらす好ましい政治的影響を予見することもなかった。2期を務めた大統領が再任を禁止されることで、副大統領は政権内の地位を維持したままで次の大統領候補指名を獲得するために公然と選挙運動を行うことができるようになった。

 憲法修正第22条が発議された後、批准を求められた各州の反応は様々であった。憲法修正第22条が成立するまで311ヶ月を要した。議会の発議から成立に至るまでの期間は2番目に長い。ちなみにその期間が最も長かったのは、議会が議員報酬を引き上げるのを制限する憲法修正第27条である。1789年に発議されてから1992年に成立するまで203年を要した。1947年に18の州議会が修正第22条を承認した。いずれの州も共和党の地盤であった。その後、批准はゆっくりと進んだ。南部は民主党の地盤であったが、トルーマンが公民権法を推進したことによって、人種分離を求める南部の州議会は修正を批准するようになった[v]。その結果、1951227日、憲法修正第22条は成立した。成立後、さらに5州が批准し、批准した州は41州となった。

 憲法修正第22条が成立して以来、2期を完全に務めた大統領がまだそれ程多くないために、修正が近代的大統領制度と現代的大統領制度にどのような影響を与えたのか見極めることは難しい。ケネディは1期目の3年目で暗殺された。19631122日に大統領職を引き継いだリンドン・ジョンソンはケネディの任期の半分未満しか務めていないので、さらに2期務めることができた。しかし、1968年に人気が低迷していために、ジョンソンは大統領選挙に出馬することを断念せざるを得なかった。ニクソンは1972年に再選されたが、2期目の半分が過ぎる前に辞任した。フォードはニクソンの任期の半分以上を務めたために、さらに1期しか務めることが認められていなかった。しかし、フォードは大統領選挙で敗北した。1976年の大統領選挙でフォードを破ったカーターは1980年の大統領選挙でレーガンに破れ、1期で大統領職を追われた。レーガンの後継者のジョージ・HW・ブッシュもクリントンに再選を阻まれた。

 憲法修正第22条の適用を受けた最初の大統領はアイゼンハワーである。1960年にアイゼンハワーは3期目に立候補する意欲を持っていたという。大統領としてアイゼンハワーは憲法修正第22条に対して「深い懸念」を抱いていた[vi]。レーガンは憲法修正第22条の適用を受ける2番目の大統領であった。レーガンは2期目に大統領の任期を2期に制限する条項を撤廃するために憲法を修正することを主張した。ただしレーガン自身には適用されない形式での修正である。結局、レーガンの主張は認められなかった。アイゼンハワーやレーガンの人気にも拘わらず、アメリカ国民は憲法修正第22条の撤廃を望む様子をまったく見せなかった。アメリカ国民の間には、大統領は強力な指導者であるべきだが、強力になり過ぎるのを防ぐために限られた時間のみ指導者であることを許されるという見解の一致が行き渡っているようである。しかし、大統領の任期を制限することによって、大統領の権限は縮小されることになる。また大統領は3期目を目指して大統領選挙に出馬できないことで自党の支持を失う恐れがある。それと同時に大統領の影響力が弱まる恐れがある[vii]



[i] Letter from Thomas Jefferson to the Legislature of Vermont, December 10, 1807.

[ii] Arthur B. Tourtellot, The Presidents on the Presidency (Dobleday, 1964), 34-35.

[iii] Edward S. Corwin, The President: Office and Powers, 1787-1984 (New York University Press, 1984), 378.

[iv] CQ Press, Presidential Elections 1789-2008 (CQ Press, 2010), 153-155.

[v] David E. Kyvig, Explicit and Authentic Acts: Amending the U.S. Constitution (University Press of Kansas, 1996), 332-333.

[vi] Michael R. Beschloss, Mayday: Eisenhower, Khrushchev, and the U-2 Affair (Haper and Row, 1986), 3.

[vii] 宇都宮静男、『アメリカ大統領制度論』(有信堂、1974)176-177


アメリカ大統領の初歩的Q&A
歴代アメリカ合衆国大統領研究