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アメリカ歴代大統領研究ポータル

幽霊の正体は?

ワシントンと桜の木


偉人を彩る舞台装置

 もしあなたが少しでもジョージ・ワシントンについて興味があれば、桜の木の伝説をきっと知っているはずだ。伝説は偉人を彩る強烈な舞台装置である。歴史は偉人の伝説で溢れている。

 アイザック・ニュートンが木から落ちる林檎を見て万有引力の法則を考え付いたという伝説。
 ウィリアム・テルが息子の頭の上に置かれた林檎を射抜いた伝説。
 ジェームズ・ワットが湯沸かしを見て蒸気機関の発明のヒントを得た伝説。
 スコットランド王ロバート1世が洞窟の中にいる蜘蛛が何度も何度も巣を張るのに失敗しながらも成功するまで決して諦めなかったのを見て、自分もいつかイングランドを打ち破るまで諦めないと決意したという伝説。
 クリストファー・コロンブスの卵の伝説。

 このように歴史的人物には数えきれない伝説がある。そのどれもが逸話として面白く、また偉人の人間性を端的に示しているから人口に膾炙している。もし逸話が偉人の人間性に合っていなければ、人々の記憶に残ることはなかっただろう。
 桜の木の伝説も同じであり、幼少期のワシントンを語るのであれば、避けることができない話題である。ワシントンの人間性、正確に言えば、ワシントンがこうあって欲しいという人々の願望から桜の木の伝説は定着した。
 桜の木の伝説を改めて確認するとともに、なぜそのような伝説ができたのか考えてみたい。以下はその伝説の最も有名な部分である。

桜の木の逸話

 ワシントンが6歳の頃、父オーガスティンが大事にしていた桜を切ってしまったことから話は始まる。
「庭のあそこにある小さな美しい桜の木を切ったのは誰か」
 オーガスティンは少年を詰問する。
「お父さん、僕は嘘をつけません。僕が嘘をつけないことはお父さんもよく分かっていますよね。私の手斧で桜の木を切りました」
 ワシントンは少しもたじろぐことなく答える。
「我が息子の英雄的行為は、銀を咲かせ純金を実らせるような何千本の木にも優るものだ」

ワシントンと桜の木
ワシントンと桜の木

逸話が生まれた背景

 この有名な桜の木の逸話は、メイソン・ウィームズ(通称ウィームズ牧師)という人物が書いた『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』という本に掲載されている。桜の木の話は、明らかにウィームズの創作である。しかもウィームズはその他にも多くの伝説を生み出している。そうした伝説はまとめてウィームジアナと呼ばれている。ウィームズは情報源として「素晴らしい淑女」という人物を挙げているがそれが誰なのか、そもそも実在の人物であるか否かさえまったく分かっていない。
 様々な異論はあるものの、桜の木の逸話は、ワシントンのイメージを定着させるのに大きく貢献したことは間違いない。つまり、桜の木の逸話が流布したことで多くのアメリカ人がどのようにワシントンを理想化していたのかが窺える。自分達が望ましいと信じる人物像を偉人に反映して賞賛することはよくある。
 アメリカ人にとって正直であることが何よりも大事なことであり、ワシントンにもそうあって欲しかったのだ。だからこそ桜の木の伝説は根強く人々の心に残った。そして、ウィームズの伝記が流布した19世紀初頭のアメリカは、新国家としてまさに発展の第一歩を踏み出そうという時期であった。そのような時だからこそ人々は、自分達の道標となる国民的英雄を必要としたのだ。

参考:逸話の作者メイソン・ウィームズ

 メイソン・ウィームズは、ワシントンと無縁の人間ではない。ウィームズの妻は、ワシントンの罹りつけの医師の姪である。何だかあまりに遠過ぎてよく分からない縁だが、それでもウィームズは1787年3月にワシントンと実際に面会している。また晩年には手紙を交わしている。
 ウィームズは、巡回説教師であり、街から街へ様々な本を売り歩いていた。しばしば説教をしながら本を売り、本を売りながら説教をした。後にウィームズは、「元マウント・ヴァーノン教区牧師」といういかにもワシントンと関連がありそうな肩書を名乗る。しかし、残念なことにマウント・ヴァーノン教区は存在しない。経歴詐称である。
 ある日、ウィームズは、ヴァージニアのある街の居酒屋の軒先でトマス・ペインの『理性の時代』を売っていた。そこへ聖職者が通り掛かって、そのような社会にとって有害な本を売りつけることがなぜできるのかと嘆く。すかさずウィームズは、ペインを批判する本を取り出して「解毒剤を見て下さい。毒と解毒剤の両方ございます」と言って売りつけようとしたという。なるほど商魂逞しい。
 また『不朽の助言』という本をウィームズはワシントンに送り付けている。ウィームズは、ワシントンの返信を推薦の言葉として『不朽の助言』に挟んで販売する。ウィームズは、ワシントンの生前から「ワシントンの美点」と題してワシントンに関する逸話を集めていたらしい。
 ただウィームズは、本を売り捌いて一儲けしようとだけ考えていた人物ではない。人民の間に優れた書物を普及させることによって人民を啓蒙しようと常に考えていた。特に若者の模範となるような人間像を提示する必要があると信じていた。それにうってつけの題材が誰もが知っているワシントンであった。
 ウィームズは、出版業者にワシントンの伝記を発行する意義を「彼の偉大な美徳、第1に議会と宗教的諸原理に対する彼の尊敬、第2に彼の愛国心、第3に彼の高潔さ、第4に彼の勤勉、第5に彼の節制と禁酒、第6に彼の正義などを描き出すこと」と述べている。人民に徳を称揚するような優れた書物を普及させたいという思いが『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』を生んだ。
 本を売り歩く仕事をウィームズは「偉大なる仕事」と思っていた。しかもウィームズは、ただ漫然と本を売り歩いていたわけではない。ウィームズの本を取り扱う書店を各地の大きな街に設けたり、新聞や雑誌に広告を出したり、宝くじの景品として本を推奨したり、多角的な販売方法を編み出した。立派な事業家である。

参考:ウィームズの桜の木の逸話全訳

「賢明なオデュッセウス[ギリシア神話の英雄でホメロスの『オデュッセイア』の主人公]が愛するテレマコス[オデュッセウスの息子]と苦難をともにしたよりも、ワシントン氏がジョージと苦難をともにしたわけではないが、幼少期の真実への愛を育んでいる。『ジョージ、真実は若者の資質の中でも最も愛すべきものだ。我が息子よ、私はとても正直な心と純粋な唇を持つために我々が彼のあらゆる言葉に信頼を寄せることができる少年に会いに行くためなら50マイル[約80キロメートル]でも馬に乗って行くだろう。ああ、あらゆる人の目の前にそういう少年が現れたら何と愛らしいことだろうか。彼の両親は彼に目がないだろう。彼の親類は彼を誇りとするだろう。彼らの子供達に手本にしてもらいたいがために彼のことを絶えず誉めるだろう。両親は度々、彼を彼らに会いに行かせるだろう。いつでも彼は、まるで小さな天使のように喜んで受け入れられ、彼らの子供達の良き模範となるだろう』(と彼は言った)。『しかし、ああ、ジョージよ、嘘をつくような誰も言葉を信じないような少年に対してはどのような違いがもたらされるのだろうか。彼が行く所がどこであれ、反感で以って見られるだろうし、両親達は彼らの子供達に彼を会わせるのを恐れるかもしれない。ああ、ジョージよ、我が息子よ、おまえがこのような体たらくになるのであれば、心から愛するおまえを小さな棺に閉じ込める手助けをして墓場にやってしまったほうが喜ばしいくらいだ。私の周りを纏わりついている小さな足を持ち、愛情のこもった目と甘い囀りをして私の幸福の大きな部分になっている我が息子を捨てることは私にとってつらいことだ。しかし、私はおまえが下品な嘘つきなるくらいであれば捨ててしまうだろう』。『お父さん、僕が嘘をついたことがありましたか』(とジョージは真面目に言った)。『いいや、ジョージ我が息子よ、ありがたいことに、おまえは嘘をついたことがない。そして、私はおまえが決してそうしないことを心から願っている。少なくともおまえは私から見れば、そのような恥ずべきことをしなければならない後ろめたいことはないだろう。多くの両親達は、あらゆる小さな咎で子供達を野蛮にも打つことでこうした不道徳な行いを矯正しようとすることさえある。したがって、次に何か悪いことをした際、小さな恐るべき生き物は、ただ罰杖から逃れるために口から嘘を吐く。しかし、おまえ自身は、ジョージよ、私の前にいつも言っているように、今、おまえにもう一度言うが、もしおまえが何か間違ったことをたまたました時はいつでも、おまえはまだ経験も知識もない小さな少年なので度々、それは起こるに違いないが、決してそれを隠すような嘘をつかないように。我が息子よ、小さな男のように勇気を出し、それを私に告げるように。そして、ジョージよ、おまえを打つ代わりに私はそれで以っておまえを誇りに思うだけではなく愛すようになるだろう』。これは良い種を蒔くみたいだとあなたは言うでしょう。そうです。神のお蔭で穀物は、私がそうであると思うように、ある者が真実の親として、つまり彼の子供にとって守護天使として振舞えば育つのです。以下の挿話はその一例です。失うには非常に惜しく、疑うにはあまりに真に迫っています。というのは、私が恩義を受けている同じ素晴らしい淑女によって私に伝えられたからです。彼女は『ジョージが6歳頃、彼は手斧をたくさん持っていました。たいていの幼い少年達のように、彼は手斧が非常に好きで、行く手にあるすべてのものを絶えず切って歩きました。ある日、母のエンドウの支柱を切って度々楽しんでいた庭園で、不運にも彼の手斧の刃先が美しいイギリスの桜の若木にあたり、彼が恐ろしい叫び声をあげたので、その木よりも良い木を得られるとは思えないほどの木でした。翌朝、ワシントン氏が彼の木に何が起きたのかを発見しました。時にそれは非常にお気に入りで、家に来た時、気まぐれな創造主にもっと暖かくなるように求めたほどで、ギニー金貨5枚[6万3,000円相当]も惜しまないほどでした。誰も彼にそのことについて何も言えませんでした。やがてジョージが手斧を持って姿を現しました。彼の父は『ジョージよ、庭園のあそこにあるあの美しい小さな桜の木を切ったのはおまえか』と聞きました。これは厳しい質問でした。そして、ジョージは暫くの間、たじろぎながらも、すぐに立ち直って、全てを超越する真実の言いようのない魅力にその若く甘美な顔を輝かせながら彼の父を見つめて、勇敢にも『お父さん、僕は嘘をつけません。僕が嘘をつけないことはお父さんもよく分かっていますよね。私の手斧で桜の木を切りました』と叫びました。『愛するおまえよ、腕の中に飛び込んでおいで』と恍惚とした彼の父は叫び、『腕の中に飛び込んでおいで。ジョージよ、私は非常に嬉しい。おまえは私の木を切ったが、代わりにおまえは私に千倍も優るものを与えたのだから。そうした我が息子の英雄的行為は、銀を咲かせ純金を実らせるような何千本の木にも優るものだ』と言った』と語りました」

参考:マーク・トウェインの言及

 マーク・トウェインは「ジョージ・ワシントン略伝」と題する小論において次のように言及している。

「少年の頃、彼はまだ将来、偉大になるように約束されていたわけではなかった。彼は若者が普通に身に付けている筈の処世術を知らなかった。彼は嘘をつけなかったのである。その時、彼は、現代の最も慎ましい少年達でさえ身に付けている便利な手段を身に付けていなかったのだ。今の時代はどんな少年も嘘をつくことができる。私は立てるようになる前から嘘をつくことができたが、そうしたやんちゃは私の家族では当たり前のことだったので特に注目されることもなかった。若きジョージはそうした世智をまったく身に付けていなかったようだ。ある時、彼は父親が大切にしている桜の木を切り倒してしまって、それを隠すことを知らなかったと言われている」