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アメリカ歴代大統領研究ポータル

天皇と首相の訪米日程一覧

 日米首脳会談の場は、ホワイト・ハウスの他、キャンプ・デーヴィッドも有名。ケネディ大統領と池田勇人首相のように大統領専用ヨットが会談の場に選ばれることもある。さらにニクソン大統領と佐藤栄作首相の会談、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領と海部俊樹首相の会談、そして、ジョージ・W・ブッシュ大統領と小泉純一郎首相の会談のように大統領の私邸で行われる場合もある。
参考: 国務省公式ガイドラインによる訪問のランク

国賓訪問(State Visit):アメリカ大統領が国家元首(大統領・君主)を招待。大統領の4年の任期中に各国に対して一度のみ許可される。ゲストは大統領の公式迎賓館であるブレア・ハウスで3泊4日滞在、ホワイト・ハウスで国賓晩餐会(State Dinner)が開催され、贈り物が交換され、到着と出発にあたってサウス・グラウンズでセレモニーが行われ、21発の礼砲が放たれる。

公式訪問(Official Visit):アメリカ大統領が首長(首相)を招待。ゲストは大統領の公式迎賓館であるブレア・ハウスで3泊4日滞在、大統領と会談でき、ホワイト・ハウスで公式晩餐会(Official Dinner)が開催され、贈り物が交換され、到着と出発にあたってサウス・グラウンズでセレモニーが行われ、19発の礼砲が放たれる。

公式実務訪問(Official Working Visit):アメリカ大統領が国家元首や首長を招待する。ゲストは大統領の公式迎賓館であるブレア・ハウスで2泊3日滞在、大統領と会談でき、ホワイト・ハウスで昼食会(Working Luncheon)が開催され、贈り物の交換は必ずしも行われない。

実務訪問(Official Working Visit):アメリカ大統領が国家元首や首長を招待する。ホワイト・ハウスで会談が行われるが、昼食会や晩餐会、記者会見などは通常、行われない。

私的訪問(Private Visit):国家元首、首長、その他の政府高官がアメリカ大統領の招待なしで訪問する。大統領に会談を求めることはできるが実現するとは限らない。ブレア・ハウスに宿泊できない。

参考情報  国務省「外交儀礼に関するQ&A

以下の一覧表は国務省の資料を中心に作成。
1951年9月3日〜5日 吉田茂 トルーマン
備考:サン・フランシスコ講和会議に参加。
1954年11月7日〜13日 吉田茂 アイゼンハワー
備考:ヨーロッパから帰国途中でニュー・ヨーク、サン・フランシスコ、ホノルルを訪問。  
1957年6月19日〜22日 岸信介 アイゼンハワー
備考:公式訪問。岸信介首相はゴルフ好きで知られている。訪米中(動画1)、同じくゴルフ好きのアイゼンハワーと一緒にプレイして会談(動画2)。岸信介首相は、沖縄返還や駐日米軍の扱いに日本政府の意向を反映することなどを求めた。その結果、アイゼンハワーとダレス国務長官は1951年日米安全保障条約(通称「旧安保」)の再交渉を確約した。それは後の新日米安全保障条約の締結への扉を開くものであった。アイゼンハワー大統領と岸信介のゴルフは、「アイゼンハワー的な儀礼(Eisenhowerish ceremony)」と呼ばれ、両国の新しい時代を象徴する出来事になった。つまり、これまでよりも日米の関係がより対等になったことを印象付けるためにゴルフが行われた。それにゴルフという場は親睦を深める貴重な機会であった。なぜならアイゼンハワーは非常にスケジュールに厳密な人間で公式の会談だけでは親睦を深めるような無駄話をする時間がなかったからである。外交を円滑に進めるために首脳間の個人的信頼が必要であることは言うまでもない。岸信介首相は、他にホノルル、サン・フランシスコ、ニュー・ヨーク、ロス・アンジェルスを訪問。
1960年1月17日〜21日 岸信介 アイゼンハワー
備考:非公式訪問。1月19日、日米安全保障条約に署名。  
1961年6月20日〜23日 池田勇人 ケネディ
備考:公式訪問。池田勇人首相は大統領専用ヨットのハニー・フィッツ号(全長104フィート)でケネディ大統領と会談(画像集)。ケネディ大統領はよくホワイト・ハウスから抜け出してポトマック川に浮かべたハニー・フィッツ号で静かな時間を過ごすのが好きだったという(内観画像)。他にホノルル、ロス・アンジェルス、ニュー・ヨーク、シカゴを訪問。
1963年11月24日〜25日 池田勇人 リンドン・ジョンソン
備考:ケネディ大統領の葬儀に参列。
1965年1月12日〜16日 佐藤栄作 リンドン・ジョンソン
備考:公式訪問。他にホノルル、サン・フランシスコ、ニュー・ヨーク、ロス・アンジェルスを訪問。  
1967年11月12日〜19日 佐藤栄作 リンドン・ジョンソン
備考:公式訪問。他にニュー・ヨークとスプリングフィールド(イリノイ州)を訪問。  
1969年11月16日〜25日 佐藤栄作 ニクソン
備考:公式訪問。記念品として銘板を交換(動画)。他にニュー・ヨークとサン・フランシスコを訪問。 沖縄返還の共同声明を発表(動画)。 
1970年10月24日 佐藤栄作 ニクソン
備考:ホワイト・ハウスで開催された国連発足25周年記念晩餐会に出席、ニクソン大統領と個人的に会談。この時、ニクソンは「中国政府との関係がどうであれ、日本との友好関係と緊密な関係は最も重要である」と述べている。  
1971年9月26日 昭和天皇 ニクソン
備考:非公式訪問。ヨーロッパに向かう途中の昭和天皇・皇后がニクソン大統領とアラスカ州エルメンドルフ空軍基地で会談。
1972年1月6日〜7日 佐藤栄作 ニクソン
備考:ニクソン大統領のサン・クレメンテの別荘ラ・カサ・パシフィカ(ニクソンが命名、記者団は通称「西のホワイト・ハウス」と呼んだ)で会談(関連文書)。ラ・カサ・パシフィカは1969年にニクソンが購入したものである。佐藤首相の他にもブレジネフ書記長、グスタヴォ・オルダス大統領、グエン・ヴァン・チュー大統領などの外国首脳を迎えている。
 1月6日、ニクソンは佐藤首相を迎えるセレモニーを行い、午後1時30分から1回目の会談、その夜、首相と政府高官と晩餐をともにした。海兵隊の楽団によって演奏が行われた。1月7日、午前9時30分から2回目の会談が行われた。対中関係や核安全保障などを話し合った。1回目と2回目の参加者は、ニクソン大統領、佐藤首相、牛場信彦(外交官)、赤谷源一(外交官・通訳)、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官、ジェームズ・ウィッケル(外交官・通訳)である。さらに午前11時から3回目の会談が行われた。3回目の会談にはロジャーズ国務長官と福田外相が参加して沖縄返還の具体的な日程を協議した。
 ニクソンは前年に訪中を急遽、発表して世界を驚かせた。そのため佐藤首相と親しく会談してアメリカの立場を理解してもらう必要があった。会談後、大統領と首相は共同声明を発表した(画像)。その場で佐藤首相はニクソンの対中対ソ外交方針への支持を表明した。
ニクソン大統領と佐藤栄作首相
 佐藤栄作首相は首相退任後の1973年1月31日にもワシントンを訪れ、大統領執務室でニクソン大統領と会談して、沖縄返還について「世紀の決定でした」と感謝の意を述べている(関連文書)。  
1972年8月30日〜9月1日 田中角栄 ニクソン
備考:公式訪問(ハワイ)。
1973年7月31日〜8月5日 田中角栄 ニクソン
備考:公式訪問。7月29日〜30日までワシントンを私的訪問、その後、ニュー・ヨーク、シカゴ、サン・フランシスコを訪問。
1974年9月21日 田中角栄 フォード
備考:私的訪問。大統領執務室で会談。
1975年8月2日〜10日 三木武夫 フォード
備考:公式訪問。他にシアトル、ニュー・ヨーク、ロス・アンジェルスを訪問。
1975年9月30日〜10月13日 昭和天皇  フォード
備考:国賓訪問。アメリカ本土初訪問。 他にウィリアムズバーグ(ヴァージニア州)、ウッド・ホール(マサチューセッツ州)、ニュー・ヨーク、シカゴ、ロス・アンジェルス、サン・ディエゴ、サン・フランシスコ、ホノルルを訪問。ウィリアムズバーグでは自動車の乗り入れが禁止だったので馬車でパレード。 
1976年6月26日〜30日 三木武夫  フォード
備考:私的訪問。アメリカ独立200周年の贈り物を贈呈(会談のスケジュール)、フォード大統領と会談(詳細内容)。贈り物とは、ジョン・F・ケネディ・センター(総合文化施設)のテラス・シアターとロス・アンジェルス、シアトル、サン・フランシスコへの桜の木である。
1977年3月20日〜23日 福田赳夫  カーター
備考:公式訪問。首脳会談の際に首相が大統領に訪日を要請。  
1978年5月1日〜3日 福田赳夫  カーター
備考:公式訪問。  
1979年4月30日〜5月6日 大平正芳  カーター
備考:公式訪問。他にニュー・ヨーク、ロス・アンジェルスを訪問。
1981年5月4日〜9日 鈴木善幸  レーガン
備考:公式訪問。他にニュー・ヨークを訪問。当時、最高齢の大統領であったレーガンであったが、鈴木善幸首相が自分よりも26日年長だと知ると、両国間の関係を「彼が兄のように」改めようと言ったという。大統領と首相は大統領執務室で会談。しかし、首相は同行した外交官に会談をほとんど任せっきりで、晩餐会の乾杯も熱が入らず、記念写真の撮影にもあまり興味を示さなかった。そして、鈴木善幸首相は帰国中の飛行機の中で「日米安保条約は軍事同盟ではない」と発言、外相が辞任する騒動に発展。
1983年1月17日〜20日 中曽根康弘  レーガン
備考:公式実務訪問。前回の鈴木首相の訪米の結果、アメリカ政府高官に中曽根首相の訪米を打診したところ「残念ながら大統領のスケジュールでは一回の会談しかできません」という回答を受けた。通例、アメリカ大統領が主要国のトップと会談する際は二国間の問題と世界の問題について一回ずつ会談する。しかもスケジュールが詰まっていて昼食会しかできず、晩餐会は無理だという。もし晩餐会を開いてほしいのであれば副大統領が応対する。日本の外交官は中曽根首相に訪米を延期して様子を見たらどうかと勧めた。首相は助言に従わず、早期の会談を望んだ。幸いにも日米首脳会談は実現した。大統領執務室で次のような会話が交わされたという。
 大統領:「牛肉とオレンジについて話したい」
 首相:「その議論は専門家に任せましょう。私は世界の問題について話し合いたい」
 そうしたやり取りが何度か繰り返された後、レーガンは折れて世界の問題について話し合い始めた。
 首相:「日本と合衆国は運命共同体です」
 会談後、レーガン大統領の発案で二人は「ロン」と「ヤス」と呼び合うようになった。レーガン大統領と中曽根首相は政治的に反共保守という共通点を持っていたので固い連帯関係を築き、日米安全保障体制を強化した。ただ経済的にレーガンは、対日貿易による巨額の赤字に対して連邦議会が提示した保護貿易的な法案を呑まざるを得なかった。
1983年5月26日〜31日 中曽根康弘  レーガン
備考:公式実務訪問。ウィリアムズバーグ(ヴァージニア州)で開催された経済サミットに出席。 
1985年1月1日〜2日 中曽根康弘  レーガン
備考:公式訪問(ロス・アンジェルス)  
1985年10月25日 中曽根康弘 レーガン
備考:ニュー・ヨークで大統領と会談。  
1986年4月12日〜14日 中曽根康弘  レーガン
備考:公式実務訪問。ホワイト・ハウスとキャンプ・デーヴィッドで大統領と会談。キャンプ・デーヴィッドで行われた他の首脳会談として1959年9月に行われたアイゼンハワー大統領とフルシチョフ書記長の米露会談が有名。  
1987年4月29日〜5月5日 中曽根康弘  レーガン
備考:公式訪問。その後、マウイ島(ハワイ州)を私的訪問。  
1988年1月12日〜15日 竹下登 レーガン
備考:公式実務訪問。  
1989年2月1日〜3日 竹下登  ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:公式実務訪問。その後、ロス・アンジェルスに私的訪問。
1989年8月30日〜9月2日 海部俊樹  ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:公式実務訪問。サン・フランシスコ訪問後、ボストンを私的訪問。  
1990年3月2日〜3日 海部俊樹 ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:パーム・スプリングス(カリフォルニア州)で大統領と会談。  
1990年7月7日〜11日 海部俊樹 ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:ヒューストン(テキサス州)で大統領と個人会談、経済サミットに出席。 
1990年9月29日 海部俊樹  ジョージ・H・W・ブッシュ
備考: 国連総会で大統領と会見。 
1991年4月4日 海部俊樹  ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:ニューポート・ビーチ(カリフォルニア州)で大統領と非公式会談。  
1991年7月11日 海部俊樹 ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:ケネバンクポート(メイン州)のブッシュ・コンパウンドで大統領と非公式会談。海部首相はロンドンで開催される経済サミットに出席する途中でケネバンクポートにあるブッシュが休暇を過ごすケネバンクポートの私邸を訪問。ブッシュは4年間でケネバンクポートを25回訪問し、合計155日滞在している。海部首相の他にもカナダ首相マルルーニー(3回)、イギリス首相メージャー(2回)、ヨルダン国王フセイン、オランダ首相シュリーター、イスラエル首相ラビン、アルゼンチン大統領メネム、チェコ大統領ハヴェル、ポーランド大統領ワレサなど各国首脳が訪れている。
  海部首相は、湾岸戦争に関する費用に関して90億ドルに加えて追加の5億ドルを支払う意向を伝えた。会談後に行われた共同記者会見でブッシュ大統領は「湾岸の問題は完全に解決された」 と述べた。さらに今回で6回目の訪米となる海部首相に対してブッシュは訪日を約束した。
1992年1月30日 宮澤喜一  ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:国連安全保障理事会で大統領と会見。  
1992年6月30日〜7月2日 宮澤喜一 ジョージ・H・W・ブッシュ
備考:公式実務訪問。
1993年4月15日〜17日 宮澤喜一  クリントン
備考:私的訪問で大統領と会談。
1993年9月27日 細川護煕  クリントン
備考:国連総会で大統領と会見。  
1993年11月19日〜20日 細川護煕  クリントン
備考:APECに出席(シアトル)。
1994年2月10日〜12日 細川護煕  クリントン
備考:実務訪問。  
1994年6月10日〜15日 平成天皇  クリントン
備考:国賓訪問。アトランタ、チャールストン、シャーロッツビル、ニュー・ヨークを訪問。  
1995年1月10日〜12日 村山富市  クリントン
備考:公式実務訪問。  
1996年2月23日 橋本龍太郎  クリントン
備考:サンタ・モニカ(カリフォルニア州)で大統領と非公式会談。  
1996年9月24日 橋本龍太郎 クリントン
備考:国連総会で大統領と会見。  
1997年4月24日〜26日 橋本龍太郎  クリントン
備考:公式実務訪問。
1997年6月19日〜22日 橋本龍太郎  クリントン
備考:デンバー(コロラド州)で開催された経済サミットに出席前、大統領と会談。  
1998年9月22日 小渕恵三  クリントン
備考:国連総会で大統領と会見。
1999年4月29日〜4日 小渕恵三  クリントン
備考:公式訪問。ロス・アンジェルスとシカゴを訪問。  
2000年5月4日〜5日 森喜朗  クリントン
備考:実務訪問。    
2001年3月18日〜19日 森喜朗  ジョージ・W・ブッシュ
備考:実務訪問。  
2001年6月30日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:実務訪問。キャンプ・デーヴィッドを訪問。  
2001年9月24日〜25日 小泉純一郎 ジョージ・W・ブッシュ
備考: 実務訪問。
ブッシュ大統領と小泉首相
2002年9月12日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:国連総会で大統領と会見。  
2003年5月22日〜23日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:実務訪問。訪問先はテキサス州クロフォード郊外にあるプレーリー・チャペル牧場。牧場は1999年にブッシュが購入したもの。名前の由来は近くの学校。敷地1,583エーカー。建物の面積は4,000平方フィート。温水プールもある。8年の任期中に17回、合計490日滞在している。ブッシュは「時に大統領がワシントンから離れることは重要だ」と述べている。
 ブッシュ大統領は自ら運転するトラックで小泉首相を送迎した。他の外国首脳や記者も大統領が運転するトラックにしばしば乗っている。両首脳は核問題について北朝鮮に厳しい態度で臨むことで合意。ブッシュは、「北朝鮮によって拉致されたすべての日本市民について完全な説明がなされるまで合衆国は日本とともに真剣に向き合うと首相に保証した」と公表。
 他にここを訪問した外国首脳は、プーチン大統領、ブレア首相、江沢民国家主席、スペイン首相アスナール、オーストラリア首相ハワード、イタリア首相ベルルスコーニ、メキシコ大統領フォックス、ムバラク大統領、スペイン国王夫妻、カナダ首相マーティン、イスラエル首相シャロン、コロンビア大統領ウリベ、メルケル首相、デンマーク首相ラスムセンなどである。
2004年6月8日〜10日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:G8サミット(ジョージア州シー・アイランド)に出席。  
2004年9月21日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:国連総会で大統領と会見。  
2006年6月28日〜30日 小泉純一郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:公式訪問。他にメンフィス(テキサス州)を訪問。  
2007年4月26日〜27日 安倍晋三  ジョージ・W・ブッシュ
備考:実務訪問。キャンプ・デーヴィッドで大統領と会談。
2007年11月15日〜16日 福田康夫  ジョージ・W・ブッシュ
備考:実務訪問。  
2008年11月14日〜15日 麻生太郎  ジョージ・W・ブッシュ
備考:G20経済サミットに出席。
2009年2月24日 麻生太郎  オバマ
備考:実務訪問。  
2009年9月23日 鳩山由紀夫  オバマ
備考:国連総会で大統領と会見。  
2009年9月24日〜25日 鳩山由紀夫  オバマ
備考:G20経済サミットに出席(ペンシルベニア州ピッツバーグ)。  
2010年4月12日〜13日 鳩山由紀夫  オバマ
備考:核安全保障サミットに出席。  
2010年9月23日 菅直人  オバマ
備考:国連総会で大統領と会見。  
2011年9月21日 野田佳彦 オバマ 
備考:国連総会で大統領と会見。
2011年11月10日〜13日 野田佳彦  オバマ
備考:APECサミットに出席(ハワイ州ホノルル及びカポレイ)。  
2012年4月30日 野田佳彦  オバマ
備考:実務訪問。  
2012年5月18日〜19日 野田佳彦  オバマ
備考:G8サミットに出席(キャンプ・デーヴィッド)。
2013年2月22日 安倍晋三  オバマ
備考:実務訪問。安倍晋三首相はオバマ大統領にパターをプレゼントしている。その際に母方の祖父である岸信介首相が1957年にアイゼンハワーとゴルフを楽しんだことを語っている。
2015年4月26日〜5月3日 安倍晋三 オバマ
備考:国賓訪問(画像集)。本来であれば定義上、国賓訪問ではなく公式訪問として扱われる。しかし、国務省は国賓訪問(State Visit)と明記している。その一方で日本の外務省は公式訪問(Official State)と明記している。
2015年9月26日〜10月2日 安倍晋三 オバマ
備考:国連総会に出席。バイデン副大統領の表敬訪問を受ける。  
2016年9月18日〜24日 安倍晋三 オバマ
備考:国連総会に出席。ヒラリー・クリントン元国務長官の表敬訪問を受ける。
2016年11月17日 安倍晋三 オバマ
備考:私的訪問。トランプ・タワー(ニュー・ヨーク)でトランプ次期大統領と会談、ゴルフ・クラブを贈呈。 
2016年12月26日〜27日 安倍晋三 オバマ
備考:休暇中でハワイに滞在中の大統領とともにパール・ハーバーを訪問して献花。
2017年2月10日 安倍晋三  トランプ
備考:外務省の発表では「日米首脳会談(Japan-U.S. Summit Meeting)」とあるだけで訪問の種別は不明。ホワイト・ハウスでも「meet in Washington」 と表記されているだけである。おそらく公式実務訪問という扱いではないか。