司法長官リーヴァイ・リンカーン


 リーヴァイ・リンカーン (1749.5.15-1820.4.14)はマサチューセッツ植民地ヒンガムの農家に生まれた。鍛冶屋に徒弟奉公したが、才識を認められハーヴァード大学に入学した。1772年に同大学を卒業後、ノーザンプトンで法律を学んだ。独立戦争が勃発すると民兵隊に加わり、『農夫の手紙』を執筆して愛国心を訴えた。ウスター郡で弁護士業に勤しみ、次第に名声を得た。さらに同郡の検認法廷の判事や執行使を務めた。また邦憲法制定会議にも参加し、リンカーンはマサチューセッツ政界で民主共和派として重きをなした。
 1796年、マサチューセッツ下院議員に就き、翌年、同上院議員に就いた。さらに1800年には連邦下院議員に選出された。その後、ジェファソンによる司法長官任命を受け辞任した。マディソンがワシントンに到着するまで臨時国務長官も務めた。ルイジアナ購入の合憲性についてジェファソンから諮問を受けた時、リンカーンは、ルイジアナ購入の合憲性を確立するために憲法を修正すべきだと答えた。リンカーンは『農夫による国民への手紙』で、連邦派が聖職者を政治に巻き込もうとしていると批判した。ジェファソンは、リンカーンをニュー・イングランド地方の民主共和派を代表する政治家として厚く信頼した。退任後、リンカーンはマサチューセッツ州上院議員に選ばれた。マサチューセッツ知事代理を務め、前任者の死去にともない、知事職を引き継いだが、1809年の知事選挙で敗北した。その後、マディソン大統領によって最高裁判事に指名されたが、それを断ってウスターに戻った。

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