郵政長官サミュエル・オズグッド


 郵政長官職は、1789年9月22日、財務長官の下に設けられた役職である。郵政長官の年俸は1500ドルであった。
サミュエル・オズグッド(1748.2.3-1813.8.12)はマサチューセッツ植民地アンドーヴァーに生まれた。父は農夫と町役人であった。1770年にハーヴァード・カレッジを卒業後、アンドーヴァーに帰り、商業で成功を収めた。1774年、イギリス議会による強圧的諸法に抗議するエセックス郡会議に参加した。翌1775年からマサチューセッツ植民地議会議員を務めた。
独立戦争時はアンドーヴァーの民兵隊を率いた。後に大佐に昇格した。退役後、エセックス郡の治安判事を務め、マサチューセッツ邦議会議会を三期務めた。1779年から翌年にかけてマサチューセッツ邦憲法制定会議に参加し、州上院議員に選出された。さらに1781年、連合会議のマサチューセッツ邦代表に選ばれた。そして、2度にわたって再選された。連合会議では商業で成功を収めた手腕を買われ、北アメリカ銀行の理事を務めた。その後、1785年から1789年まで会計委員を務めた。
 郵政長官としてオズグッドは郵便網の整備計画を立案した。その当時、アメリカは僅か75の郵便局と1875マイルの郵便網を持つに過ぎなかった。オズグッドの計画は東海岸の主要都市と辺縁の小都市を結ぶことができるように郵便網を拡大するという計画であった。首都がフィラデルフィアに移転する際に、オズグッドはニュー・ヨークから離れることを拒み、職を辞した。
1792年、ニュー・ヨーク州の選挙人に選ばれ、ワシントンの再選に票を投じた。その後、暫くは神学の研究に精を出した。1800年から1803年までニュー・ヨーク州議会下院議員を務め、1801年には下院議長に選ばれている。またジェファソンからニュー・ヨーク管区の国税監査官に任命された。1803年にニュー・ヨーク港の税関吏となり、在職のまま死去した。オズグッドは貧しい子供達の教育のために学校を設立したことやアメリカ芸術アカデミーの創立に関与したことでも知られている。

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